04「アノニマス・エゴイズム」/錆付くまで

1月20日リリースアルバム「錆付くまで/宮下遊」の感想noteとなります。
特典のコンセプトブックや対談CD、非公開MVについてもネタバレ有で触れてるので、未読未視聴の方はご注意ください。キルマーアレンジCD買いそびれ民(憐)。→2月27日追記:親切な遊毒者様に1枚譲っていただきました。ありがとうございます!note追加します。

錆付くまで/クロスフェード


生成された構造が錆付く前に、文字に留めておこうと思った。



劇烈な閃光で自らの闇を睨みつける、羽化への物語
【アノニマス・エゴイズム】

突出した完成度を誇るのは目に見えていた。何せプロの中のプロ。しかも作詞作曲編曲すべてその道のスペシャリストが分業して作り上げているではないか。畑も出荷方法も違いすぎる。どの曲も選りすぐりの高級ブランドとは言え、みかんやりんごが乗った器に、突然ドラゴンフルーツを置いてしまったら嫌でも目立ってしまうのは当たり前だろう。【アゴニマス・エゴイズム】に関してはちょっと厳しめなジャッチができたらいいなと思い、評論家気分で聴いて見事敗北した。

奇を衒わず自然に入ってくるのに、いつも新鮮な言葉選び。内観する歌詞に一切気を使うことなくダイナミックに駆け巡る疾走感マックスなデシロックサウンド。単に共感を誘ったり、期待に応えるだけでなく、新しい鮮烈なイメージが嫌味なく発芽する。
間奏部分の、二大勢力がぶつかり合うような重低音の重ね方も、激しさや争っている光景は彷彿とさせるのに、よく聴くと音楽的に本当に無秩序にぶつかりあっているわけではない(何を当たり前のことを宣うのか)。
私はネットクリエイターならではの「何か新しいものを生み出したいアンダーグラウンドな創作意欲」「プロっぽくパッケージ化されていないからこそ近づきたくなる余白」が結構好きだ。だからこそ、業界の揺るぎない底力で圧倒する【アノニマス・エゴイズム】という存在が場違いで許せないし、ぐうの音も出ず嫉妬してしまう自分こそ場違いで何だか恥ずかしくなる。

自己完結したテンションや主張、テーマに沿って聴者の共感や感動に寄り添う楽曲が多い中、【アノニマス・エゴイズム】には自分が一度示した思想に自ら矛盾を突きつけ、葛藤し、最終的に第三の道を切り開く。
おそらく、アニメという物語媒体が常に視野にあったからこそ見出されたメッセージ性の高さだろう。音響を変えることなく、同じ音でもそこに含まれる解釈や受け取り方のほうを変えてしまう。降参するしかない。そして聴くものを受動的な存在ではなく、能動的な変化を促された主人公に誘導させるプロセスすらも仕組まれているように感じた。日本の音楽を代表するカリスマ性を、彼らはいつも期待されている。

普段、「ガチプロはやっぱちげぇな〜」くらいでネットの音楽と具体的に比べることはしないが、この度じっくりと比較分析することで、音楽観察における奥行きが広がったように思える。
楽曲のエネルギーに負けない、噛み付くような殴るような宮下遊氏の歌声も、応援したくなる悩み多き主人公像を彷彿とさせて、また新しい彼に出会えた気がする。

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