08「カトリーナ」/錆付くまで
1月20日リリースアルバム「錆付くまで/宮下遊」の感想noteとなります。
特典のコンセプトブックや対談CD、非公開MVについてもネタバレ有で触れてるので、未読未視聴の方はご注意ください。キルマーアレンジCD買いそびれ民(憐)。→2月27日追記:親切な遊毒者様に1枚譲っていただきました。ありがとうございます!note追加します。
錆付くまで/クロスフェード
生成された構造が錆付く前に、文字に留めておこうと思った。
ネゲントロピーへの切望が人生の歯車を動かす。どちらに?
【カトリーナ】
クロスフェードのチョイスが絶妙だったため、通しで聴く前はまったく曲の全体像が掴めず、だからこそ他にないミステリアスな存在感が際立っていた。天空の女神演じる宮下からの主演男優演じる宮下の激しいシャウト。一体何故この構成なのだろうと疑問に思ったことだろう。
しかし、あらゆる隠喩が込められたこの楽曲から、正確に作曲者の意図を引き寄せられた人は少ないのではないか。コンセプトブックを読んでから曲を聞いた私にはちょっとネタバレ要素が多かった。これだけメタファーの散りばめられた曲なら、自己解釈してから作曲者・楽園都市氏の意図を知ればよかった。高潔な人格が透けて見える語り口にも好感がもて、興味が湧いた。理知的な批判精神で己を律する姿勢。その深い内面が、音色の複雑さと自由さを独自の論理形態で統括しているのだろう。
ファンタジーやSFを連想させる壮美で幻想的なサウンドは、時間旅行のような跳躍感に溢れている。ある時は忘れられた古の時計塔。ある時はネオン照らす黒塗りのディストピア。楽園都市の名に相応しく、本当に架空の街に連れて行かれたみたいだ。
しかし、その楽園世界を否定する影がちらつく。【カトリーナ】の都市に迷い込んだ宮下氏も、この夢のような景観を手放しで喜んでいるわけでなく、そう、どこかその安寧とした幸せを疑っているのだ。ここは本当に“人生なのだろうか”と。息をすればするほど風化する現実感の中で、気がつけば不快なものばかり目で追いかけるようになる。やがて意識が覚醒する。あらゆる祈りの実現に躍起になった都市は、ある時代の転換期において「眠り」の道を選んだ。つまり、停滞の一途をたどる現実の世界を捨て、脳がほぼ無制限に電気信号を送り続けるだけのヴァーチャルリアリティへの救済を求めたのである。
そこではもはや時間は不可逆だという理屈は通じず、嫌なことや不都合なことがあれば簡単に改変できてしまう。何もかもが実現可能となり、人間の想像力の方が限界点に達した時、その向こうに人間は何を求めるのだろう?
どこまでもSF脳な私にはこんなストーリーが湧いてきて止まらない。歴史的名作映画「マトリックス」よろしく、手垢のついた世界観設定だ。しかしそんな心踊る物語こそ、いつも「現実」の存在を打ち立てている。むしろリアリティのある純文学の方が現実から浮遊していると感じられる節がある。ファンタジーやSFといった媒体だからこそ見出せる生々しい人間社会、突きつけられる人類のアイデンティティという広大で普遍的なテーマ。そこには、今ある現実に没頭せず、冷静に客観視させるシミュレーション効果があるからではないだろうか?