12「輪廻転生」/錆付くまで
1月20日リリースアルバム「錆付くまで/宮下遊」の感想noteとなります。
特典のコンセプトブックや対談CD、非公開MVについてもネタバレ有で触れてるので、未読未視聴の方はご注意ください。キルマーアレンジCD買いそびれ民(憐)。→2月27日追記:親切な遊毒者様に1枚譲っていただきました。ありがとうございます!note追加します。
錆付くまで/クロスフェード
生成された構造が錆付く前に、文字に留めておこうと思った。
光と闇、連綿たる歴史の濁流で邂逅し、別れ、交わることなく僕らは共に行く
【輪廻転生】
コンセプトブックに書き下ろした文章がこの人だけなんか異様に多いなぁと素直に思った。いや、多いだろう、明らかに。シャノン氏、宇宙がどうとか世界の構造がどうとか言ってるし語り始めると止まらなくなるタイプだな(特大ブーメラン)。ところで脳内に“再演”されたバーチャル宮下遊さんってこちらじゃございません?違うか。
個人的に、集合的無意識とかアカシック・レコードとかいう宇宙の謎システムの存在を示唆する出会いだった。頼むからこれ以上私の潜在意識にアクセスしてアイデア盗んでいかないで欲しい。そしてそれをとんでもないクオリティで再現しないでほしい。怖くてあなたの新曲が聞けない。嫉妬で焼け焦げる。はい被害妄想。
もう【輪廻転生】については本人が素直にあれこれしゃべっちゃってるし、そんなに分析しても解釈が回り回って輪廻転生するだけだろう。クロスフェードで東南アジア民族音楽流れた時に好きは確定し、ずっと踊ってた。多分もっぷの前世あの辺だわ。ダンスは好きだけど下手すぎて部族間でいじめに遭い、村八分にされた最悪な過去があるから、今世でもダンスにコンプレックスを抱きながらもやめられずにいるカルマ背負って生きてる。
前回の「青に向かう」MVでも共通しているのは、二つの対となる人物?が登場するということ。彼はこの対極の片割れ目線で歌詞を紡ぐ。どうやら彼らは正反対で、世界線・次元階層を超えて生まれ変わり、なんの因果かめぐり逢い、仁義なき戦いを繰り広げるものの、僕は君にいっつも負けている。せめて100回戦って一回くらい勝たせてくれねぇかなって、また輪廻の扉を開く。しかし、本当に向き合わねばならない相手は、この輪廻転生という終わりなき世界システムの方だった、というオチ?
「青へ向かう」の続編を作りたかったという経緯もあり、あの世界線の白髪と黒髪の2人の出会いと別れが光と闇、昼と夜、エロスとタナトスのような根源的な二局性を帯びたメタファーにも思えてきた。私もそのシンボルを好んでよく作品に入れ込むけど、たぶんシャノン氏もそういうの好きそうだ。
入子構造になった次元階層の輪廻転生システムにおいて、共通して現れる、僕と君という二局性。これだけはどうにも逃れられない宿命らしいと当人たちはやんわり受け止めるが、実はその仕組み自体にすべての秘密は隠されている。僕らがいるかぎり、この歯車は回り続けるのか、案外僕らがいなくても回り続けるものなのかもしれない。その真理を決定づけ、支配しているものの先に、一体何があるのか。終わりと始まりがあることそのものに終わりも始まりもなく、結局永遠なのに、ひたすら繰り返しを演じさせられる僕らの存在意義を「空(くう)」だという人もいる。けどせっかくなら何かとてつもない重大な意味を見出してみたくなる。ミクロの中にマクロな広がりを見つけるように、マクロの方角にもまた、ミクロの始まりを見つけることができる。生を意識して初めて死を予感し、死を求めて初めて生きている今を知るように。対極が反転を起こすとき、このシステムも逆転するがしかし、見かけ上、何か変わっているとは気づけない。だから僕は100戦に1勝することも叶わないのだ。だって同じ時間を繰り返しているだけだから。この一連の時間の流れとやらを、俯瞰して見据える次元の視点が必要なのだとようやく気づくのだが、ではそれが実現すれば森羅万象を手にとるように理解できるのかというと、あまり自信がない。