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コラム(5日)、V A R判定にレッドカード、パリ五輪サッカー

パリ五輪が盛り上がっている。個人的に注目していたサッカーは、男女ともベスト8で敗退した。連日22時、24時、26時、28時の試合開始に合わせて早寝したり、時間に合わせて起きたり、酷暑の中のテレビ観戦も“激烈”だった。男女ともよく頑張ったし、見ごたえのある試合が多かった。一番印象に残った試合は、決勝トーナメント初戦のスペイン戦だ。1−0とリードされた前半後半、日本のエースストライカー・細田真央が同点ゴールを決めた。ゴール正面でMF藤田譲瑠チマのパスを受けた細谷は、相手ディフェンス3人を背中に抱え振り向きざまゴール左にシュート、これが決まって1−1の同点に。強敵スペインとの一戦はこれで俄かに日本が勢いづくかと思えた。だがそれも束の間、ピッチの空気が微妙に変化する。細谷の表情が曇る。32歳の若いモーリタリア人のダハン・ベタイ主審が、空中に四角を描き、V A R(ビデオ・アシスタント・レフェリー)を参考にゴールを取り消したのだ。かくして細谷の歴史に残る一撃は無情にもデリートされた。

V A Rとはそもそも何なのだ。日本サッカー協会のH Pで調べてみた。目的は「最良の判定を見つけるのではなく、はっきりした明白な間違いをなくすためのシステム」とある。そして「最終決定はあくまで主審」と強調している。ベタイ主審は一旦ゴールと認定したが、V A Rの指摘を受けて判定を覆した。画像を見るとパスを受ける細谷の踵が、ディフェンスラインをほんのわずか出ているようだ。これがオフサイドの証拠だとスペインのテレビ局が放送したという。サッカーに限らずスポーツには微妙な判定がつきまとう。これを回避するために導入されたのがV A Rだ。前回W杯では「三苫の1ミリ」が話題になった。ボールがピッチに残っていたことがV A Rで確認された。今回は細谷の踵が数ミリ、オフサイドラインを出ていたとの判定。2つともV A Rが確認しのだが、この2つには決定的な違いがある。前者はピッチの内か外かの物理的な問題。後者は主審の判断という主観に関わる問題だ。

オフサイドの厳格な定義は知らないが、線審の旗が上がっていない以上、主審はオフサイドと認定できないのではないか。まして数ミリのこと、サッカーは本来ピッチの中で数ミリを争うゲームではないはずだ。線審だってそこまでは見極められない。それをV A Rで補う。ペナルティーゾーンで守備側の手にあたれば、最近はほとんどがP Kになる。ハンドは本来「意図的であったかどうか」が問われるべきだが、人間の目より確かなV A Rの判定がほぼ100%優先されている。マラドーナの“神の手”を擁護するつもりはない。すべての決定権を持っている主審が、V A Rの映し出す映像に無条件になびいているように見えるのだ。最終決定者である主審の“主観的判断”はどこいってしまったのだ。人類はいずれ生成AIに無条件に従うようになるだろう。サッカーは不確実性のある人間がダイナミックに躍動するゲームだ。ミリ単位の正確性を争う競技ではない。サッカーをコントロールする主審の主観的判断の質が問われているのだ。


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