コラム(11日)、うんざりすること(18)、兵庫県斉藤知事をめぐる疑惑
今朝民放の情報番組を見ていてこのタイトルを思い出した。調べてみたら前回は2021年12月に17回目を書いている。改めて時の流れの速さを実感した。というわけで今回の「うんざり」は兵庫県の斉藤知事の辞任問題である。このところ民放の情報番組では必ずこの問題を取り上げている。トーンは全て同じ。一言で言えば「早く辞任しろ」ということだ。根拠は明白ではない。情緒的感情論だろう。正直言ってこの問題を取り上げる難しさは自覚している。故にこれまであまり関心を持ってこなかった。いまでも事実関係をきちっと把握しているわけではない。ではなぜ、この問題をあえて取り上げるのか。今朝の情報番組で兵庫県議会を構成する全政党が斉藤知事に辞任を要請したとあったからだ。全政党が一致している。100%の政党が辞任を突きつけたのだ。全政党が同じ方向を向いて動く。個人的にはここに言いようのない恐怖を感じる。だから“異議あり”と言いたいのだ。
斉藤知事の疑惑はパワハラだ。内部通報制度を利用して県の職員から疑惑を通報された。これを受けて知事は部下に当該通報の事実関係の調査を命じ、事実無根と結論づける。この間に職員にアンケートを実施、パワハラにとどまらず視察の際に斉藤知事が“おねだり”で物品を要求していた数々の疑惑も浮上する。これに意を強くしたのがテレビ局だ。民放は定例の情報番組で知事の違法性を連日報道、あること無いこと含め、知事の行為は「常軌を逸している」と批判する。県は百条委員会を開いて事実関係の調査に乗り出す。まだ結論は出ていないが、県議会を構成する政党はその結論を待たずに辞任要求を突きつけたのだ。前置きが長くなりすぎた。では一体何に“うんざり”しているのか。一つはテレビ各局の過剰な“おなだり”報道。加えて大半のコメンテーターがテレビ局に歩調をそろえる異常さ。県職員にぬるま湯体質はなかったのか。誰も調べないうちに斉藤知事・悪人説は地元兵庫県にとどまらず、全国へ伝播されていく。
断っておくが斉藤知事が辞めようが職に留まろうが、知ったこっちゃない。主としてテレビメディアが醸し出す雰囲気が、たまらなく嫌なのだ。危険であるとさえ思っている。テレビ局は内部通報制度が絶対的に正しいとの前提に立っている。だから悪用していないか、どこの局も調べない。現状は伝聞、又聞き、噂の類が大半である。にもかかわらず、まるで真実かのように報道している。まるで魔女狩りだ。「めざまし8」でパックマンは「(アメリカでは)有罪でも大統領選挙に出馬できる。罪状は確定していないからだ。それに引き換え日本は情緒的だ」とコメントする。同感だ。ただ米国は事実の有無、日本は倫理優先という違いはある。いずれにしても倫理観優先の日本であればこそ、事実無根と主張する斉藤知事にはこの際、徹底的に事実関係そのものを争ってもらいたい。疑惑が事実なら議会はいずれ不信任決議案を可決するだろう。その時に議会解散か辞任か、どちらかを選択すればいい。これは事実関係か情緒優先かの戦いでもある。