
モーさんのマイーナー作曲家発掘体験録vol.1
はじめに
クラシック音楽の楽しみ方は人それぞれです。
私は指揮者による演奏の違いや、演奏者による解釈の違いを楽しむといった本来的な楽しみ方はしていません。
昔は演奏会へ足を運んだこともあります。今でもサントリーホールで東フィルを振った秋山和慶の雄姿を忘れることは出来ません。ストラビンスキーチクルス。あの時のコントラバスのズシン、ズシンという響きはハッキリと胸に刻まれています。私にとって、あの日の興奮は決して過去の物ではありません。
そんな私ですが、最近はnoteに載せられた臨場感たっぷりなコンサート体験記を拝読しながら、その曲のCDを引っ張り出してきて聴く。もうこれでお腹いっぱい。まるで鰻屋の店先で、茶碗を持って匂いを嗅ぎながら飯を食らうという「昭和スタイル」と何ら変わらないです。
質の良い生演奏って、結構値が張るものですから、チケットを購入するのは中々どうして、私のような者には大変なものでして…。
気分はまるでインディージョーンズ
今日は年末の休みを利用して、名古屋の中古CDショップへ足を運びました。たまたま10%ダウンセール中だったので、財布の薄い私には大助かり。ここ何十年と私の興味は、「誰だそれ?」と誰もが言いたくなるマイナー作曲家の作品を漁っては聴きまくることに注がれています。マイナーであればある程、私のテンションは上がるのです。
それはあたかもダイヤや金の鉱脈から、一攫千金を掘り当てるようなもの。自分しか知らない、自分しか味わえない秘曲。そういう迷曲をひたすら探す。気分はまるでインディージョーンズ。お宝に巡り合えたなら儲けもの。
拙宅にうず高く積み上げられた、恐らくは二度と聴かれないだろうCDの山。宝の山の残骸です。さて、嫁さんの心中やいかに?
ロドルフ・クロイチェル
誰もが知るベートーヴェンがヴァイオリン・ソナタを献呈した男。だか彼は作曲家でもあります。私はNAXOSで彼の作曲したヴァイオリン協奏曲を見つけ、目を輝かせて購入。しかし今ではそのCDは何処へ行ったのやら…。
名演奏家も、名作曲家とは成らずか。もっとも、私の好みに合わないだけの話ですがね。
発掘を続ける理由
もちろん、誰も知らない、私だけが知っている名曲に出会うためです。でも、彼らに同情してしまうんですよね。努力して楽典を習得して、時間をかけてせっせと誰にも顧みられない作品を作る。そんな姿に自分を重ねてしまうんです。私は音楽家とオリジナル曲をせっせと合作しては、ネットで発表するという風変わりな趣味を持っています。汗水垂らして稼いだなけなしの給料を、せっせとつぎ込んで作品を作る。当然と言うべきでしょうか、特に有名でもない私のディレクションした作品は、今のところは、ほとんど誰の耳に触れることも無く、ネットの海に漂っています。そこら辺が被っちゃう。
だからせめて私だけでも彼らの曲を聴いてあげないとダメだなと思うんです。でも考えてみれば、中古のCDが売っているということは、この国で私以外の人間にも聴かれているのです。でもこうやってnoteに彼らの存在を書きつけているのは私だけです。こうすることが、少なからず彼らの供養に寄与するのではないかと思うのです。
なぜマイナー作曲家に手を出したのか?
忘れもしません。かつて秋葉原にあった石丸電気。ビル全体がクラシック音楽で満たされた空間。私はそこで、彼らに出会ってしまったんです。
ヴァシーリー・セルゲイェーヴィチ・カリーンニコフとルイ・シュポーアという二大スターに。
私はマイナーCDを選ぶ時、基本的なルールを決めています。なるべく「ハズレを引かないため」にです。
〇初期ロマン派の交響曲又は協奏曲。出来れば協奏曲。
〇必ず一枚は安全牌を購入すること
の二つです。
私の主たる好みは初期ロマン派なのです。20世紀に至りますと現代音楽的な曲(私は現代音楽が苦手なんです)を引く可能性もありますので、安全圏内としてマイナー曲はまるべく19世紀で留めるようにしています。しかし稀にアメリカのボイヤーのようなOH!と驚嘆出来る現代作曲家もおりますので、全く買わないかと言えばそうでもないです。年代に関しては、正直私にとって掛けの要素が強いのです。
マイナー交響曲も買いますが、基本は協奏曲です。協奏曲は元々オペラのアリアが派生した物のようですので、「歌心」に溢れております。私は歌が好きなので、交響曲よりは協奏曲を好んで買う傾向にあります。これはメジャー作曲家の作品でも同じです。
複数枚を買う場合は、必ず安全牌として有名作曲家の作品が入ったCDも購入するようにしています。これは買ったCDが全て私の感性にとってスカだった場合、ショップに足を運んだ労苦は無駄になってしまいます。それを防止するための処置です。
この基準に照らして石丸電気を物色しておりますと、
「私を買って下さい」
という声が聞こえたのか、私は何かに誘われるようにカリンニコフとシュポーアのCDを手にしていました。どちらとも当時の私は全く知りませんでした。家に帰って彼らの作品を聴いてみると、衝撃を受けました。
「これだ、これなんだ。こういう感動が味わいたいから宝探しは止められない」
カリンニコフの交響曲第1番は、確かにチャイコフスキーのそれと比べると造りが甘いです。所々で??と思う箇所がある。しかしですね。第1楽章の第1主題を聴いていると、まるで雪原を白馬が何頭も疾走している、それを上からカメラクルーが必死に撮影しているという風景が見えたんです。これは凄い。
シュポーアのヴァイオリン協奏曲第2番。あの甘美な第2楽章はベートーヴェンの協奏曲にだってひけを取りません。ベートーヴェンとメンデルスゾーンを足して2で割ったような素晴らしい曲です。これがマイナー曲に甘んじているのかと度肝を抜かれました。日本ではシュポーアは室内楽しかほとんど聴かれないようです。ごく稀に8番の協奏曲が演奏されるみたいですが…。第2番はもっと日本でも演奏したら良いのにと思うんですが、聞いたところでは楽譜のレンタル料が高いそうで。「需要と供給のバランス」については社会の授業で習ったのですが、こんなところにも影響しているんだなと思うと、少々がっかりします。
私にとって、この二人はキング・オブ・マイナー。マイナークラシック音楽界のスターなのです。私は第二、第三のカリンニコフとシュポーアを探すため、中古CDショップへと足を運ぶのです。必ずいる。私はそう信じています。
ということで今回の獲物は…
今回購入した獲物の中で、とりわけ私の興味をそそるのは、
「黒人作曲家によるヴァイオリン協奏曲」と銘打たれたCDです。
黒人だろうが白人だろうが私には関係ないのですが、収録されているサン=ジョルジュ以外の作曲家を私は知りません。
ラフィット
コールリッジ=テイラー
プライス
私が知らないだけで、皆さんは彼らのことをご存じかも知れませんね。
彼らの音楽が一体私にどんなワクワクをもたらしてくれるのか?私の感性にとって彼らは金の鉱脈か、それともただの石なのか。そのレポートはまたの機会にいたしたく存じます。本日はこれまで。