【映画鑑賞メモ】安部公房の映画を見に行った in渋谷 前半
前の記事でも書かせていただいたけど、
本日から渋谷のCINEMA VERAで安部公房の映画祭りが始まっている。
原作がすべて安部公房ということではなく、脚本を担当しているものがピックアップされている、ということで比較的メジャーなものからマイナーなものまで混ざっている。
明日以降は行けなそうなので、本日、午前から夜まで浸らせていただいた。
客層
このタイミングで安部公房の映像作品を見に来る層がどういう人たちなのか?というのは個人的に興味があった。
何故か?同じくらい安部公房の作品が好きな人に会ったことがないからです。この世に仲間がいるかどうかというのは生きていく上で重要であるといえます。
自分がざっと周囲を見渡した印象では…
中高年(35歳以上)のソロ男性:6割
女性・若年男性(35歳以下)・カップル:残り4割
といった印象。
自分と同様、世帯を持ちながらも一人で来ている男性がマジョリティのように思われた。※世帯を持っているかどうかは知らないが
今日見た作品
感想については、チケットの枠と同じ単位で書いていくことにしよう。
1.白い朝、1日240時間
2.詩人の生涯、時の崖
3.トーク 石井岳龍監督 - 鳥羽耕史氏
4.燃え尽きた地図
5.壁あつき部屋
※同日に"砂の女"もやっていたが、過去にDVD等で見たことがあったので今回は見送り、食事・休憩時間とした。他の上記の作品たちはすべて初見。
この記事では、1.~3.について書いていきます。
1.白い朝、1日240時間
最初のコマは、30分前後の短編2つ。
[白い朝]
アンパン工場?で働く工員たちの休日を描いたもの。
休日、車に7人押し込めて道中トラブルに見舞われながら海の見えるところへ繰り出す…というのが一応の流れ。
しかし、"休日に外へ繰り出す"という言葉で想起されるような、風が通り抜けるような開放感、爽やかさが全くない。
車は激狭。会話はぼそぼそ喋り(当時はそれが当たり前だった?)、外に繰り出しているときも何かにつけて工場の光景がフラッシュバック、脳裏にちらつくと言わんばかりで日常が重く影を落としている印象。途中のピアノの音は美しく叙情を感じる一幕もあったが、全体的には退廃的な雰囲気。
パン工場自体がネガティブなイメージを持つということは本来は無いはずだが、作品中で想起されるパン工場は、パン生地の不透明で流動性に乏しいぼってりとした感じが生活にがんじがらめになっている人のようにも見える。
また、そんなパン生地がラインからはみ出ずに整然と流れていくさまというのも逃れられない日常、決まった日常という檻を表しているようだった。
7人いる仲間たちだが、ある人は海の見えるところに行きたいといい、ある人は同行する女性の一人に手を出したいなど個々の目的があり、休日に外に繰り出すと言いながらもやりたいことが一緒というわけではなく、あまり仲が良さそうには見えない。
といった感じで、"淀んだ日中"ではアレなので"白い朝"と言い換えているのかと思った。
主演女優の入江美樹さんが美人だと思って見ていたが、小澤征爾の妻であるということも知って二重の驚き。
[1日240時間] 1970年大阪万博の自動車館で流されていたものらしい。
*あらすじ
ある博士が10倍早く動ける薬を開発した。
"アクセレチン"といい、これを摂取すると少しばかりの痙攣の後に通常の10倍のスピードで動けるようになる。アクセレチンを摂取した人々がその効果を享受し、と思ったら調子に乗ってたちまちひどい目に遭う。それでも薬をよこせという圧力は博士のもとに届き続き、博士と助手はそれから逃げ惑う。
薬を飲んだ博士が宙返りしながら高速で逃げていたらその軌道を繰り返しているうちにタイヤに変身(!?)。
日本の自動車の技術力をアピールするという主旨で終わる。
アクセレチンの効果で出てきたものとしては…
・金魚に投与したら、金魚が水槽から飛び出してしまう
・工員がバイクの組立を超高速でおこなう。
・(おそらく立ち読みで)本を読み終えてしまう。
・ボクシングの試合中、セコンドが選手にアクセレチンを投与。
両選手とも10倍速で動くので観客はその姿を目では捉えられない。
動きが早過ぎて画面がぐちゃぐちゃになったと思ったら、やがて2人とも爆散する。
・全裸の女性が複数のカメラから画面に映され、ひたすらダンスをする。(単に薬でラリっている人に見えなくもないのがなんとも…)
もう一つ書いておくべき点として、出てくる女性がことごとくセクシーな役回りをさせられていて不安になる。映画館では客層が客層だから大丈夫だと思うが、民放で同じものが流れたら炎上不可避かと。
助手役の女性が明らかにそっち系担当で、アクセレチンの効果を確認しているときにずっと床から天井を見る視点で彼女の股間を写しまくっているなどがある。
映画の終わりに
"日本自動車工業会"の名前が出てくるが、自動車の便利さを礼賛した作品であるとは読み取りづらい内容で、本当にこれでいいのかと言いたくなった。
2.詩人の生涯、時の崖
[詩人の生涯]
筋は本編通りなので省略。
実写ではなく、厳しい(いかめしい)絵柄のアニメ絵といった感じ。
あと、無声。
2020年で思う"アニメ"とは全く異なっており、どちらかというと絵本のコマ数を大幅に増やしてアニメ調にしたと言ったほうが正しそう。
小説内ではひっきりなしに"ユーキッタン"と言っていた糸車はもっとカラカラした音になっていたと思う。
"赤い繭"でもそうなのだが、人が糸に変身するとき、血とか死とか肉体的な要素がいくらか残っているのが特徴的である。
当時の人が"(体で、心で)血を流している"ということを思わせずにはいられない。
また、どうでもいいが、自分が小説を読んでイメージしていたよりも息子の外見がオッサンだった。
[時の崖]
やはり筋は本編通りなので省略。
実は私はこの話は好きではない。
特にSF的な幻想的なところがなく、おじさんがひたすらひたすらボヤくだけなので安部公房作品特有のシニカルな笑いという要素に欠けることがその理由。
ただ、これはこの作品の成り立ちが関係していて、ボクシングジム内の様々な音や独り言などを最初に録音しそこから話を組み上げていったというプロセスのためらしい。
役者さんは原文ままの内容でかなりの部分喋っていたのだが、
文字を読まされている感がなく自然にモノローグを積み上げている。
人間臭い言葉で人間臭さを積み上げている。
これは結構すごいことと思う。
文章で読むよりも今回のように映像で見た方がボクサーの彼という事象をよく感じることが出来てよいのではないだろうか。
後の対談ではボクシングの試合でKOされたときに見えた空に色がつかずに
取ってつけたようなシーンである階段を登る女性の脚には色がついたのは何故かということを話していたが、
彼の中ではボクシングに関係すること全般に諦めの色(灰色)が見えていて、動物的な三大欲求をのようなことに喜びを求めているからであるというように思えた。
3.トーク 石井岳龍監督-鳥羽耕史氏
40分という枠だけ分かっていてどのように展開されていくのかと思ったが、
最初は直前に流していた"時の崖"の感想がどうだったか、というところから始まり
"時の崖"が幾つかの形でメディアミックスをしていた作品であること、
石井監督が好きな作品、箱男の制作に当たり安部公房本人からあった話は何か…
という方向に進んでいった。
個人的には前述したように"時の崖"が特別好きな作品ではないため、
ずいぶんと時の崖の話を引っ張るなという印象であった。
まあ、そのお陰で知らなかったことを沢山教えて頂けたけれど。
後半には来週から始まる箱男の話も少々始まり、過去に監督が安部公房と会話したときの思い出についても少し話があったが、こういう場でも言えないことが多いとのことと、そこでTime Upを迎えてしまったりだった。箱男の話をもっと聞きたかったのでちょっと残念。
来週の"箱男"での挨拶も聴きに行きたいと思います。
前半終わり