見出し画像

高円寺歴3年目間近、Noteを始める。

ごきげんよう。
私は高円寺という人情と文化に満ちた街に住む26歳の独身男性だ。
仕事はITエンジニアで、大学を卒業してすぐ入社した会社でそのまま4年くらいせっせと働いて、今は5年目と言ったところだ。

私が高円寺に住み始めたのは約3年前の6月で、初めての一人暮らしだ。
その前の年の秋に友人と気になるラーメン屋に訪れたのがきっかけで高円寺を知り、そのラーメン屋で受領した温かい人情と、都心では珍しい昭和の雰囲気溢れる活気に魅せられてこの街を選んだ。
初めての独り立ちは、出来るだけ優しくて温かい街を選びたかったのだ。

住み始めて1年目は初めての一人暮らしということもあり、実家とは違う自立したサバイバル感を存分に味わうことに徹した。
実家では一度もやったことのない料理をYouTubeを見ながら練習し、友人の前で振る舞ったり、柄に合わないお弁当を作ってみたり(3日で終わった)、掃除をこまめにしたり、洗濯をして干したり。
少し生活に慣れてきたら、小さい植物を育ててみたり、お香を炊いたり、風鈴を飾ってみたりして、生活に彩りをつけてみた。

最初はそんな生活で満たされていた。でもこの街は、孤立に対しては残酷だった。

初めて住んだ部屋は高円寺駅から見て北側にあり、帰りには毎回駅前の広場のような場所を通る。
高円寺北口ロータリー広場。通称ヤニカス広場である。
(この名称について、私が煙草を吸う人々を特段蔑視しているわけではないことだけ、ここで誤解を解いておきたい。以下、ヤニカス広場。)

このヤニカス広場には、多くの若者と、ちゃんと家に帰っているのか心配な老人が一同に会し、一緒にお酒を酌み交わす。無料のでっかい居酒屋みたいな構造をしている。
お酒はどこにあるかというと、近くのセブンイレブンかローソンで仕入れている。
ちょっとお花を摘みたい時は、駅併設の便所がある。トイレにはいろんな言い換えの言葉があるが、「便所」という言葉が世界で一番似合う便所だと個人的に思っている。(今の時期は、個室に死体でもあるのではないかというくらいの蝿が飛んでいる。女子トイレもそうなのだろうか。)

ちょっと話が脱線してしまったが、このヤニカス広場では多くの人が集団で飲んでいる。そんな人々を横目に帰宅するのが毎日の日課になっていた。
一人で歩いている自分と、その集団とを、ふと比較してしまうのだ。
ただならぬ孤独感が込み上げてくる。自分はなんて寂しい生物なのだ!と。

高円寺1年生が終わりを迎えようとしている春。私は本業でかなり忙しかった。半月で80時間もの時間外残業をしていたのだ。
その月は土日なんてものはなく、朝出勤してから夜の終電で帰る毎日だった。自分の誕生日も、同じように1日中仕事で埋め尽くされて終わった。
精神も身体もボロボロで、トイレで何度も吐いていた。これが新人エンジニアか。思い知った。

そんな状況の時こそ、広場の人々との比較癖は酷くなる。
自分はこんなに一人で苦労しているのに、ここの住民はなんて楽しそうなんだ。いつかこの人達の仲間に入れたらな。
そんな思いを抱えたまま、仕事の繁忙期が終わりを告げた。

しばらく放心状態のような感じであったが、その後ネットの世界で高円寺の仲間を探してみることにした。
ジモティーやLINEのオープンチャット等を駆使した。時には宗教やマルチビジネスの勧誘が目的のものも居たが、そういう類のには疑い深い性格もあってか全く引っ掛からなかった。去なすのには苦労したが。

何人か会った後、一人の人と何度かご飯に行くことになった。さらに、その人の友人が来月引っ越してくるらしい。紹介してもらった。
やがてその人も含めて3人で高円寺で遊ぶようになった。例のヤニカス公園で飲んだりもして、やっと高円寺村に住民票を移すことができたような気がした。

その内の一人は高円寺歴が長く、高円寺のことをなんでも知っていた。
ある日、その人がよく聴くアーティストが高円寺で路上ライブをしていたので、一緒に聴きに行くことにした。
私は衝撃を受けた。今までの手の届かないアーティストと違って、同じ高さに座って輪になって一緒にお酒を路上飲みしながら歌っているのだ。
そこは今まで感じた街の温かさより、より密度の濃い温かさを感じた空間だった。自分は初めて本物の路上ライブを見た気がした。
今までの路上ライブは、通りすがりに「なんかやってんなー」という程度だった。それが、輪の中に入って聴くとこんなにも違うのかと驚いた。

路上を知ってから、しばらく遠くから路上を眺めたり、たまにその友人と輪の中に入って聞いていたのだが、ふと映像に残してみようと思った。
専門ではなかったが、映像制作に幾分興味があったのだ。一度撮ってみて、それを自分なりに編集してYouTubeにあげたら何かそこにメディアを作ることができるのではないか。そう思った。

そこで生まれたのが、KOENJI PLAY というYouTubeチャンネルだ。当時パッと脳内に浮かんだワードで命名したチャンネル名なので、毎回チャンネル然とした紹介の仕方をするのに、今だに多少の恥ずかしさがあったりする。
PLAYは多様な日本語に翻訳がある単語だ。「遊ぶ・演じる・演奏する・再生する・試合する」。この単語の多義性に強い信頼を置いて名付けた。
「えっ、プレイって笑 セックスってこと?笑」とかいう不届き者にはグーパンである。本来英単語のplayにセックスの意味はないのだ。

このKOENJI PLAYの活動を開始してから、多くの路上ライブに「撮影します」という名目で侵入できるようになった。素直に聴きに行けばいいじゃんって思うだろうが、人見知りにはそのハードルは恐ろしいほど高いのだ。この理由づけはすごく重要な役割を担っている。
そして路上ライブを聴いていると、演奏するアーティストやその周りで聴いている人達と知り合うことができるのだ。
今は友人がすごく多いというわけではないが、あの孤独で引け目を感じていた高円寺1年生の時と比べたら、多くの高円寺村の住民と知り合えたと思う。1年半活動しても収益化はできていないが、この活動で得られた恩恵は大きい気がする。

時計を見たら、もう丑三つ時。続きはまた今度!オバケが怖いので私はもう寝ます!おやすみなさい!

最後に、最初に撮影したKOENJI PLAYの動画を貼っておきます。名前の表記間違っていますが、「グッナイ小形」さんです。

動画編集始めたての頃で、サムネの作りも撮影も編集も色々アラだらけなお粗末動画ですが、ぜひ見てみてください。

初のNote投稿になりましたが、これからもこのように、自分の思ったこと・主義・主張を何にも縛られずに想いのままに赤裸々に書いていこうと思います。
そんな僕のNoteに、しばらくお付き合いいただけたら幸いです。

以上、Moootifでした。

いいなと思ったら応援しよう!