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もらってきた!

先生(3才)が公園の木の下に落ちていた花びらを拾ってきた。


「これ、もらってきた!」


「もらってきた?」


「うん、だってこれ、あの木のだもん」


確かに。

地面に落ちていたけど、この花びらはもともと木に咲いていたもの。

「拾った!」ではなく、「もらった!」と先生は認識したらしい。

子どもの発言にはいつも本質的なことが含まれてると思う。


例えば、人は勝手に地面に線を引いて、土地の所有権をつくる。

でも所有権のある土地も元は、土だ。地殻の表層だ。

誰のものかっていったら、地球のものだ。

だから私有地に勝手にズカズカ入っていいということでは、もちろんない。

ただ、私たちの身の回りのもの全て、もとをたどれば自然物と人の労力で創り出されたものだ。

農産物は人がタネを植え、肥料など管理するが、作物は基本的に光と水と土の力で育つ。

半導体の原料も石油も元をたどると自然物だ。そこに人の労力が加わり様々なものが造られる。

(というのは、「お金の向こうに人がいる」田内学著で読み共感した。本の主題は経済だが、これも大事な概念というか事実で、本のことはまた別で書きたい。)

大人は普段の生活のなかで、「これは自然のものだ」なんて考えないと思う。

だから、土に線を引いて、タネに特許をつけて、オレのもの!(ジャイアンをイメージ)と堂々と言っている。

「自然からもらった!」という概念がきっと抜け落ちている。

そういうジャイアンな考えがいろんな歪みの原因の一つなのかもしれない、と感じる。


例えば

「地主さんてなあに?」

「この竹林はなんで入っちゃいけないの?」

と子どもに聞かれたらなんて答えよう。


辞書に載っていることを答えるのではなく

特に身近な、地域の現状をよく観察して

「なんでだろうね?」

と、一緒に考えていきたい。

なんだかよくわからない方向に着地してしまった感があるけど、、

子どもの言うことって、よくよく聞いてみると本当におもしろい。


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