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NHK ETV特集「消えゆく“ニッポン”の記録〜民俗学者・神崎宣武〜」と、地域共同体のレストアについて

NHKの番組「ETV特集」で、「消えゆく“ニッポン”の記録〜民俗学者・神崎宣武〜」という番組を拝見しました。

民俗学・・・宮本常一さんと神崎宣武さん

神崎宣武さんは、ボクが敬愛する民俗学者宮本常一さんに師事され、宮本常一さんの民俗学研究フィールドワークに加わったのち、作家の司馬遼太郎さんの進言もあり、宮本常一さん亡き後も、東京大阪等大都市繁華街の文化風俗レポートから、故郷岡山での神主としての経験を活かしながら、現代に残る日本の村落社会や祭礼行事にまつわる著書を多数執筆されています。

神崎さんの師である宮本常一さんは、膨大なフィールドワークの中で、具に日本の農村、漁村の民俗学資料としての写真も撮っていらっしゃいます。
ボクも純粋に民俗学への興味を持って、たくさんの著書を読ませていただき、そして、写真の面でも、宮本さんのお写真からインスピレーションをいただき、写真作品を作ってきました。

番組では、神崎宣武さんの1年間を通じて、宮本常一さんが日本の村民に寄り添いながら実践されたフィールドワークを継承されながら、神崎さんの地元岡山で神主として、伝統的な村落の祭礼や、アニミズム、シャーマニズムが混然とある、土着信仰、民間信仰を、できる限り伝承されようとしています。
ただ、その中にも、過疎、高齢化社会による変化、それに、ご自身の高齢化による体調の衰えも踏まえて、決して頑固に伝統を固持するのではなく、省略するところは省略したり、変化させながら対応しています。

神々も多様な性格があるが、それも絶対的ではない。時どきに変化もあり、習合もあり、それがおもしろい。
神々と人々の自在な関係がおもしろい。

神崎宣武「旅する神々」より

しかしながら、番組を観ていて、簡略化してきているとはいえ、祭礼に向けた、神社氏子の「当番組」による、茅の輪や菰、しめ縄作りなど、高齢化した長老の「大当番」さんの伝承されてきた技術力を借りながらやる作業は、かなり複雑で大変なものだなぁ、と思いました。
茅の輪の材料となる「チガヤ」を大量に育てて刈り取る作業などは、農業従事者であることが前提の大仕事で、まぁ、できないことは無いだろうけれども、日頃パソコンの前で仕事をしている人が一朝一夕にできる作業ではないと感じます。
氏子の人も、番組の中ではほとんど農業従事者の古くからの村の住人で、新しい住人がいなさそう(番組として焦点を当てていないだけかもしれませんが)なのも気になりましたし、過疎高齢化の中、山村で「氏子」はどのぐらいの範囲に住んでいるのか?集まるのも大変なのではないか?と、心配になる部分もありました。

人間がおらんようになったらでけん。
お祭りはな、人間がするんですよ。
神様がするんじゃねえんですよ。

大当番 渡邉實夫さんの言葉

福井県池田町「池田暮らしの七か条」への反応

NHK ETV特集を観たのと同時期に、福井県池田町区長会の提言として、移住者の心得を説いた「池田暮らしの七か条」が広報誌に掲載され、その地方村社会共同体の移住者に対して、非常に厳しいともとれる文面が話題となりました。

そのことについて、ボクがいつも読ませていただいている、野本響子さんが記事にされました。
野本さんの記事は、ボクのnoteでも何度か紹介させていただいておりますが、マレーシアに移住された立場から、日本の教育について、共同体について、いつも鋭い視点で素晴らしい記事を書かれておりますので、有料記事も含め、是非、定期購読されることをオススメします!

ボクも、NHK ETV特集を見た直後であり、日頃から、地域共同体に対して思っていた部分も含め、僭越ながら、コメントを書かせていただきました。

野本さんこんにちは。
先日、NHKのETV特集で民俗学者であり、岡山の農村の神主をなさっている神崎宣武さんのドキュメンタリーがありました。

その番組を拝見したり、ボクも昔から、日本の民俗学に関する本などを読んできて思うのは、今残っている地域共同体の伝統的作業をもう一度整理して、新たに移住してきた人も含めて、本当に地域のためになる形に早急に修復しなきゃいけないと思います。

農村では、季節ごとのお祭りや、神楽など、今でも、都会に住んでいると想像もできないくらいの祭礼行事が残っていたりして、古くからの農業従事者は当然「残していかなければならない」という義務感、使命感で行っています。

逆に、観光産業という観点から「無形文化財」という形で脚光をあびたりして、少子高齢化の中、祭礼を継続していくことが大きな負担とプレッシャーにもなっているのではないでしょうか?

本来ならば、地域で暮らす人々が、より仲良く、楽しく暮らすための祭礼などの共同作業と、草刈りや掃除など、現代では行政が担うべき作業など、地域の共同作業が全てごちゃ混ぜになって、他所から移住してくる人にとっては、「田舎のキツイ縛り」という負の形で括られて表出しているのは残念な状況だと思います。

例えばですが、音楽家の岸野雄一さんが、「盆踊り」を地域住人みんなで現代でも楽しめるようにアレンジする活動をされたりしていますが、地域の伝統的祭礼などは、負担になり過ぎる部分は減らし、広い世代が参加して楽しめる形にリペアすることは可能なのではないかと思います。
その他の地域の作業的な分野は、行政が主導して、明確なルール作りをすべきかと思います。

・・・とはいえ、地域の予算が削減されていく中で、行政も、地域住人の中からも、改革を訴えるのは難しいのかなぁ・・・

日本の地域共同体の将来とは?

野本さんにもボクのコメントを取り上げてコメントをいただきました。
野本さんありがとうございます。このnote上をお借りしてお礼申し上げます。

ボクなりに少し補足させていただくと、本来、日本の祭礼は、「神様への奉納」という形をとりながらも、「地域の人々が、仲良く、楽しく暮らす」という目的のために、形を変えながら、柔軟に開催されていたと考えます。
野本さんからもコメントで頂きましたが、子育て家庭にとってもむしろメリットが多いものであるハズなのです。
ただ、「無形文化財」さらに、「観光資源」という視点も入って、ガチガチに伝統の形を保護しようとしたりすると、少子高齢化の中、祭礼を継続していくことが大きな負担とプレッシャーにもなってしまいます。

コメントの中で記載した、音楽家岸野雄一さんの「盆踊り」アレンジメントの取り組みについては、以前に記事にしましたので、是非こちらをお読みください。

ボクは、何度も書いていますが、本来社会的動物である人間が、伝統的な宗教観も捨て、伝統的村落共同体も捨て、家族的な終身雇用の企業社会も崩壊し、「個人の尊重」「多様性」を認めると同時に、「個人自由主義化」と「格差社会」が同時進行で急速に広まり、丸裸で投げ出された個人が「孤独」という絶望に陥ってしまうことに、非常に危機感を感じています。

現代、何らかの共同体を構成しようとするとき、今更新たな共同体を作るなど、ナンセンスな話で、もしできたとしても、それは一時的なもので、永続的な活動はできないと思います。
宗教やイデオロギーに基づいた共同体など、日本に根付かないか、オウムや日本赤軍など、それこそ先鋭化して、失敗した体験しか無いではないのでしょうか?

最近、エマニュエル・トッドさんの著作も読んでいますが、

結局は、日本という国に根差した、直径家族の構成を元に、物理的な居住空間=「地域社会」を軸にした、既存の地域共同体を、何とか我々みんなでレストアしていくしかないんじゃないかと思っています。

直径家族的権威主義でいくと、もはや地域社会にメスを入れるためには、行政主導で「上からの変革」しかないのかとも思いますが・・・。
市町村としては、国と住民の板挟みの狭間で、そんなリーダーシップなんて取れないのかなぁ・・・。
先の福井県池田町の財政ですが、

自主財源7.7%って・・・悲しくなりますね。
うーん、それでも、助成金ジャブジャブで、「何とかなっちゃってる」のが問題なのか・・・?

まぁ、自分も故郷の岡山を出て生活しているわけですが、現在の地域共同体の問題点を考えると、今から新たな共同体のことを考えるよりも、先にまず、現在生活している地域共同体に、積極的に参画することと、最終的には「自分の生まれ故郷」や「幼少時育った」とか、何らかの縁がある場所に、少しでも力になっていくことを本気で考えないと、残された時間は少ない!!と危機感を感じます。

今回はこの辺で。

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