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第四巻~オオカミ少年と白薔薇の巫女~①-1

第一話「剣と炎と鍛冶屋の少年」
 
    1
 
「大漁、大漁~っと。これだけあれば、ナッツパーティーができるね」
 ランは大量に買い込んだナッツのお菓子を抱えて、ホクホク顔で歩いていた。
抱えている紙袋の中には、チョコでナッツをコーティングしたものや、ナッツを揚げてそのまわりに水あめを絡めたものなど、おいしそうなものが数種類入っている。
 ここは国境の町アスタナ。
 ランたちは少し前に、セルデスタから国境を越えてアーキスタに無事入ったのだ。
 先ほどまでいたディンガの町と同じく、山間の高地に位置するこの町は気温が低く、まだ日があるというのに少し肌寒いくらいだった。
「しかし、たくさん買い込んだね。こんなにたくさん食べたら、鼻血が出ちゃうかもしれないよ?」
 ランの隣を歩くアルヒェが苦笑する。
「だーいじょうぶだって! 鼻血が出たら食べるの止めればいいだけだもん。それまでは食べても大丈夫なの」
 ワケのわからない理屈を言って、ランはもう我慢できない様子で紙袋に手を入れ、お菓子をつまみ食いしながら歩く。
「しょうがないなあ……」
「うまーい! このナッツ飴、最高~~。アルヒェも食べてみなよ」
 ランは飴をひとつ取り出しアルヒェに差し出す。ランがあまりに美味しそうに食べるので、アルヒェも釣られて、ひとくちいただくことにした。
「ん~、ホントだ、うまーい」
「でしょでしょ」
 もぐもぐと飴を舐めていると、あっというまに宿の前についてしまった。
 ふたりは先にお菓子を食べていたことがバレないようにガリガリと飴を食べてしまう。証拠隠滅というわけだ。
 ランとアルヒェは食べきると、お互いの口の中をチェックした。
「オーケー」
 跡形もなく消えたことを確認し、宿の玄関をくぐろうとした、そのときだった。
 宿の二階から、なにかが落ちてきてランの頭を直撃したのは!
「いだっ!」
 とっさに頭をさすり、ランは思わずしゃがみ込む。
「大丈夫? ……あれ?」
 心配してランに近寄ったアルヒェは、地面に落ちた〝それ〟を見つけ、目を丸くした。
そう、それはよく知っている……――、
「オードじゃないか。なんで窓から?」
 アルヒェが急いで拾い上げると、
《……君たちか。助かった》
 いささか情けない声でオードが礼を言った。
「オード、もしかして鍵の姿でも動けるようになったの?」
《違う。アージュに放り投げられたんだ》
「ええっ?」
「どうして?」
 ふたりは驚いて二階を見やる。と――たった今までこちらを見下ろしていたらしい、アージュの深紅の髪が翻ったのが見えた。
「なんか、怒らせるようなこと言ったの?」
 小声でランが訊くと、
《……いや、その……私がアージュの歳がいくつか訊いたら……》
「投げられた、と」
 なぜか言いにくそうに理由を述べたオードの言葉を継いで、アルヒェが軽いため息をついた。
《……そうなんだ》
「なんだよ、なんでそんなことで怒るワケ?」
 ランは訝しげに首をひねった。理由がよくわからない。
「アージュは、確かオレよりひとつ上だから……」
 ランは今、十二歳。青蘭月に誕生日を迎えたばかりなのだ。
 ディスターナの夏祭りを楽しんでいる最中――占い小屋でそのことに気がつき、「これで同い年だね」って言ったら、なぜかアージュはごまかした。だから、今、十二なのか十三になったのかは不明だが、歳は近いはずだ。
「隠すようなことじゃないと思うんだけどなあ」
「まあ、女性に歳を訊くのは失礼だというからね」
《ああ、騎士にあるまじき行為だった》
 真面目なオードが素直に反省の色を見せる。
 が、ランはまだ少しアージュに対して怒っていた。
「でもさ、オードを拾ったのがオレたちだったから、よかったようなものの……。他の人だったら、大変なことになってたよ?」
 言いながら、ランはオードを首にかける。
さっき窓辺にアージュの髪がちらりと見えたところから推測するに、彼女はランとアルヒェが通りかかったのを見て――つまり、オードの安全を確認してから――放り投げたのかもしれないが。
(アージュとオード……やっぱり、このあいだから変なんだよなあ)
 本人たちはケンカしているわけではない、とは言っていたが――。
 ランは小首を傾げながら、アルヒェのあとから宿に入ったのだった。
 
       


 
 紫色の月明かりが、アスタナの町に降り注いでいる。
 家々はかたく門戸を閉ざし、通りに人の姿はない。
 ランは夕食のあと、月明かりを浴びて人間の姿に戻ったオードとともに、町を見下ろす高台までやってきた。
「高いところって、気分がいいねー」
 ランが両腕を上げて大きく伸びし、オードも眼下の景色を見下ろして目をみはる。
「ほう……なかなか美しい眺めだな」
 小さな町を囲む森と、森の中に細い糸のように伸びる道が見える。あれが、次の町に続く峠道へとつながるのだろう。
「オレさあ、たまに呪われた血を持つ者になってよかったなあ、って思うことがあるんだよね」
 ランは景色を見下ろしながら、続けた。
「オードは真面目だから、怒るかもしれないけど……フツーの人間だと、魔の月の夜に出歩くことなんかできないじゃん?」
 世界は今、紫色の光に染め上げられている。
 それはとても幻想的で。
(普通の人ならば、一生見ることのない――景色か)
「……そうだな」
 オードは月光の淡い光を受け止めるように、白い――今は淡い紫色の手袋に包まれた手を、ゆるく握り込んだ。
 
 この世界は毎月、月の色が変わる。
 黄蘭月、緑蘭月、赤蘭月、青蘭月、紫蘭月、白蘭月、黒蘭月――月の模様が蘭の花に似ているため、こう呼ばれている。
 このうち、「魔の月」と呼ばれるのは、赤蘭月、紫蘭月、黒蘭月。これらの月の下で魔物に襲われた者は「呪われた血」を持つ者となる。
 ランは黒蘭月に襲われたため、黄蘭月に銀色のオオカミに、オードは二年前の紫蘭月に襲われ、それ以来、紫蘭月以外は鍵の姿のまま――という宿命を背負ってしまったのである。
 
「アージュも来ればよかったのにね」
「ああ……。しかし、アルヒェの手前、そう頻繁に夜出歩くわけにはいかないだろう」
 実はアージュもランたちに出会う以前に魔物に襲われ、赤蘭月になると吸血コウモリに変身してしまう身の上なのだが、アルヒェはそのことは知らないのだ。アージュのことを普通の人間だと思っているアルヒェは、ディンガの町にいたとき、オードとともに夜警に出ると言った彼女のことをひどく心配していた……。
「でもさ、なんか、ずるくない? アージュだけ隠してるなんてさ」
「しかし、特に本当のことを言う必要もないだろう。赤蘭月までアルヒェと一緒にいれば、バレてしまうだろうが……」
 その心配はする必要はない。紫蘭月の間にアーキスタの都アデルタに到着すれば、アルヒェとはそこで別れることになるからだ。
 アデルタでの別れを想像すると、オードは少し胸が詰まる。アルヒェと別れるのは、もちろんさみしいが――そのあとのアージュの気持ちを思うと……。
「オード、このナッツ飴、おいしいよ。食べない?」
 ランの声に、オードはハッと我に返った。

 

「オード、このナッツ飴、おいしいよ。食べない?」
 ランの声に、オードはハッと我に返った。
 目の前に差し出された丸い飴に指を伸ばし、つまんでみる。
「どう? おいしいでしょ?」
「ああ……。これは炒ったナッツが入っているのだな。飴の甘さとナッツの香ばしさが絶妙だ」
「オードはホント、おカタイよね。うまーいって、ひとこと言えばいいのに」
「……すまぬ」
「やだなあ、あやまることじゃないよ」
 ランはからからと笑って、丸太――ここはどうやら町の人々の憩いの場らしい――に腰を下ろした。夜は少し冷えるので、ランは今、青いマントを肩にかけている。
 ズボンの裾から出ている足を見て、オードはふと思った。
(ランはまだ気づいてないのだろうな……)
 ランのズボンは長いので、裾を上げているのだ。買ったとき、大きめだったので、ランが文句を言ったら、「すぐに大きくなるわよ」とアージュに言われたらしいが。
(呪われた血を持つ者は、魔物の血が入ったせいで普通の人間より成長が遅くなる……)
 それは一年ぶりに人間の姿に戻った最初の晩に、オードが自身を映した鏡を見て悟った事実だった。去年はたいして疑問を感じなかったのだが――さすがに二年経っても十五歳のときと見た目が変わらないのはおかしいと思ったのである。
 そして、今日、この町の宿に入り、アージュとふたりきりになったときに、そのことを問うたら――窓から放り投げられたのである。
(アージュはいったい、いくつなんだ……? まさか、うちの祖母と変わらない歳だとか言わないよな……。いやいや、あの凶暴……いや、おてんばぶりからすると、まだ若いとは思うが――いや、しかし……)
「オード、どうかしたの?」
 黙って立ったままのオードを、ランが見上げる。
「あ、いや……別に」
 オードはとっさに笑みを浮かべて、ランの隣に座った。
 そうして、ランが持ってきた紙袋の口をのぞきこむ。
「こっちもナッツのお菓子か。随分、買い込んだな」
「うん。オレ、オードとピクニックしたかったから、いっぱい買ったんだ」
 無邪気に笑って、ナッツ入りのクッキーをほおばるランを見て、オードはランが自分で気がつくまで言うのはやめようと思った。
 この紫蘭月が終わったら、白蘭月だ。
 呪われた血を清めるといわれている『白蘭月の白い丘に咲く白い蘭の朝露』がどこにあるかわからないが――次の白蘭月で無事にそれを見つけ、呪われた血が清められれば、問題はすべて解決する。
 そして、そのあとは。
(私は故国に帰ることになる――)
 それはランやアージュと、仲間と別れることを意味する。
 ふたりと離れるのはとてもさみしい――……が。
「おいしくないの?」
「え……あ」
 ランの声にオードは我に返った。
 考え事にとらわれて、菓子を食べる手が止まっていたのだ。
「今日のオード、なんか変だよ。ぼーっとしてばっかり」
「すまぬ。景色に見とれていたのだ」
 そう言い繕うとランは「なーんだ、よかった」と笑って、ナッツがまぶしてあるスティックを一本渡してくれた。
(今はいろいろ考えても仕方がない……私もランのように今を楽しまなければ損だな)
 オードはそう思い、スティックをひとかじりしたのだった。
 

(第一話-2へ続く…)


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