占いと猫が好きな人間は大体怠惰
宿命と運命の違いについて
先日友人と占いに行った際に聞いた話をしようと思う。(なんか、占いに行ったとか言うと引かれることがあるのですが、普通にエンタメの線引きがちゃんとできる人間なのでムー問題です🌟)
占い師によれば、「運命の人がいるかどうか」の答えは「否」であった。運命論をよく描きがちな物書きのわたしとしては非常に悲しい話である。
けれど、「運命はないが宿命はある」と占い師は言う。
言うに、宿命とは持って生まれたもの(私が思うに、変えることができないもの、性別や血縁や人体構造のことを指すのではないか)で、運命は私たちの行動次第で変えられるものを指すのだという。
例えば私たちが牛肉であるとしよう。牛肉であるという事実(占い師でいうところの宿命)は変えることができないが、300円の牛丼になるのか、3万円のすき焼きになるのか、それは貴方が変えることのできる運命である、とのことだ。非常に弁が立つ占い師である。結構当たり前のことなのだが、なんか凄いことを言われた気もする。何を言うかではなくどう話すかってこういうことよね。
まあでもさ、世の中の全てが結局自分次第ってことなんだろうね。そりゃそうか。努力や頑張るってことが嫌いな洋梨ちゃんは度々運命に頼りたくなるのだけれど、運命とは自分が動いた結果であって、結果のことを人が運命と呼んでいるだけなんだって。そーだよね。じゃあどうするかってがんばれよって話。こんなこと言うのはあれだけど、占いや宗教にハマりやすい人間というのは基本怠惰だ。何故なら「楽して幸運を信じようとする」のが占いや宗教の根本だから。(すみません、これは完全に自論です)何もしてない人間ほど祈りがちだということは忘れないでいたい。ちなみに何故こんなことがわかるかというと、わたしがまさに怠惰を絵に描いたような人間で、占いや宗教的な話が大好きだからである(さて最初に話は戻るが、わたしはちゃんと信仰とエンタメの境界線を見極められる人間なので安心して欲しい)
まあ何が言いたいかって、あと1週間で出したい公募の〆切なのだけれど、ひじょ〜に進捗がわるく、死に物狂いで書かなければならないという事実を嘆いるために、こんなに長い前置きを書きました。ばかやろう! 今日から毎日就業後会社の個人ブースにこもって執筆する……たぶん……
みんながんばろうね〜ちゃんちゃん
(朝の電車で書いたので意味わかんなかったらゴメン、読み返す時間なかった🌟)
ちなみにタイトルでめちゃくちゃ猫好きをディスってしまって反省しているんだけどただの語呂合わせなので気にしないで……(ちなみにちなみにわたしはこの世の生き物の中で猫がいちばんすき、猫しかいらん)
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