耳飾

実のところ、わたしは美術のことをなにも知らない。

中学2年で美術の教師が変わった。前任は定年を過ぎた絵の上手なお爺ちゃんだった。テストは筆記が半分、創作が半分で、絵を描くのが好きだった私は、そんなテストを作るお爺ちゃんのことがとても好きだった。私の絵のことをよく褒めてくれたのも印象に残っている。

そんなお爺ちゃんに代わってやってきた女性の美術教師のことは、はじめてあったときから、いや、彼女の授業を受けたときから、少しだけ苦手だった。

お爺ちゃんの授業は基本自由だった。課題を与えられて、わたしたちは自由に創作する。美術を学ぶとは、何かを生み出すことだ。中学生の美術とは、実技科目であるとおもっていた。

けれども女性教師は言う。

「大人になった時、画家の名前をひとりも知らない、有名絵画の名前を知らない、それはとても恥ずべきことです」

まさか。そんなことはないだろう。少なくとも、恥ずべきことではない。芸術は強制されるものではないからだ。

けれども受験を控えた中学生にとって、テストの点数や教師の独断と偏見で導き出される内申点というものは、かなり、重要なものだった。

わたしはそのときはじめて、美術の教科書というものを開いたのだった。

お爺ちゃんの授業では一度も開かれなかった教科書に、何が書かれていたのかはもう定かではない。けれど、その本の最後には、有名絵画と作者がずらりと並んでいた。もちろん、きちんと画像もついている。わたしはテストの点数をとるために、よくわからない絵と、カタカナが並ぶ絵の名前やその作者たちを、必死に覚えたのだった。

そして、見つけた。そのとき見たヨハネス・フェルメールの「牛乳を注ぐ女」を、わたしは今でもずっと忘れられないでいる。

有名な絵画だ。けれどもわたしは、恥ずかしいことに、中学2年の美術の授業で初めて教科書を開くまで、フェルメールの存在も、牛乳を注ぐ女、というタイトルの絵画のことも、惹かれる、という単語の正体も、知らなかったのだった。

実際にパリのルーヴル美術館で目にしたモナリザより、簡単に写真の撮れる現代アートより、何度も目にしたことのあるピカソのゲルニカより、教科書の一角に載っていた、小さなあの牛乳瓶を、わたしは今でも、いちばんうつくしい、とおもっているのだ。

その後、残念ながら、美術選択のない高校へ進学してしまったために、わたしには美術の知識が殆どない。だからといっては難だけれど、あのとき体験した、1枚の絵に惹かれる、という衝動を、未だ忘れられないのかもしれない。

苦手だった女性教師の言葉は強ち間違いではなかった。知らずに生きてはいけるだろう。けれど、知る、ということは、自分の人生において、あらゆる場面で作用されてくるものだ。教養、というひとことで済まされるものではない。知る、というひとつのステージを作ってくれていたこと、それがわたしの価値観の形成につよく影響していること、この歳になってやっと理解することができた。そしてそれは、音楽でも同じことである。芸術をすきに思うか苦手に思うかはさておき、知る機会を貰えることは想像以上に価値のあることだ。

そして、わたしのなかに、浅井葉月が生まれる、これは、単なる後付けに過ぎないかもしれないけれど、いまおもえば、きっとそうなのかもしれない、とおもう。

浅井葉月が和泉の絵を初めて見たとき、それは、わたしがみた教科書の一角にある、フェルメールの光の粒への感情と、きっと似ている。そんな気がしている。



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