“女性らしさ”より”自分らしさ”が大事でしょ?国際女性デーの今日、思うこと。
モテる、モテない
かわいい、ブス
おしゃれ、ダサい
女として、女らしく。
そんな現代社会に蔓延るルッキズムとジェンダー差別に無意識に翻弄されてきた女性たち。
世の男性よ、もうそろそろ女性に対して、”女性らしさ”よりも”その人らしさ”を尊重してくれませんか?
と今日International woman’s day(国際女性デー)に書いてみたいと思います。
私が日本の男尊女卑に気付かされたのは、
恥ずかしながら日本を出てからの話。
なんとなくアメリカ人の親友に、
お風呂のに下着をつけずに歩くのは日本では、はしたない女性として見られる話や、
女性はパートナー男性の前でも「はじらい」を求められること、を話したときに彼が言った
「クソみたいな社会だね」
というセリフで目が覚めました。
確かにおかしいよね、と。
昔はそれがよしとされていたかもしれないけれど、もう現代には合ってないよね。
そもそも「女性らしさ」って何なんだろう。
所詮、〜らしさなんて、時代が作ったただのテンプレートやないかい、と。
今の時代LGBTQや個性を尊重しようとされ始めてきている中でもはや「女性らしさ」の概念は時代遅れすぎるのではないかと。「男性らしさ」も然り。
私は元彼に、「はじらいを捨てないで」と言われたことがあります。笑
恥じらいを捨てられたら、もう女性としてみられなくなる、と。
その時はその言葉を真に受けて、
女性らしい服装やメイク、
お風呂後もバッチリと整えてから部屋に入ることを心がけました。
でももう今の私なら、「ばっかやろー!そんな時代遅れなこと言うなー!」と言ってやるし、「着たいものを着る!」「今はメイクしたくない!」と言えるし、最高に気持ちいいお風呂上がりには彼の前で裸でビール飲んでやります。
そんな男性らの戯言、まじで付き合わなくていい。
そんなこと言われたら、「じゃあ24時間私の目の前でぴっちりスーツ着てカッコいい状態でいてくれないと無理」とも言うかもです。
「男として〜しないと」「女として〜でないと」なんて言ってくるような人は、もう時代遅れすぎます。ばっかやろうです。
いまはまだ、日本人男性には少ないかもですが、世界には「そのままでいいんだよ」と自然体を愛してくれる異性(同性でも)が大勢いるはずです。
「外へ出るならメイクくらいしないと。」
「せめて着替えないと」
出かける前、なにか女性としてやらないといけないことのような気がして、なんとなく気分は乗らないのにメイクしたりした経験、皆さんにも一度はあるはず。
そんな状態だった私が日本を出てみると、
メイクや服装気にする男性なんていないし、もはや誰もそんなこと気にしていないし、「あなたのしたいようにしたらいいよ」とか「自然体が一番だよ」と言ってくれる人ばかりでした。
本当にその通りで、
したくなければしなくて良いのです。
あなたがしたいように生きれば良い。
私が今いるオーストラリアでは、
“男女らしさ” という基準はボーダーレスになりつつあり、
髪の毛を刈っている女性や、
ビーチでトップレスの女性、
毛を処理しない女性はあたりまえのようにいます。
メイクをする男性や、
可愛い服を着てオシャレをする男性も。
女性らしさや男性らしさを基準に相手を評価するような社会ではそもそもないので、とても生きやすいです。
西洋文化ではそもそも、他人の見た目に対して何かを言うということが御法度で、そもそも個人主義で他人に無関心だからこそ、なんだかその文化に救われた私がいます。
一方でアジア圏では、特にやまとなでしこが良しとされてきた日本社会は、無理をしている女性が世界でもダントツ多い国だと肌で感じる。
いまだに日本のメディア場では「モテるメイク」
「可愛くみられる〇〇」「男を虜にする〇〇」など、常に男性目線でどう思われるかを意識した記事ばかりで、すごく嫌悪感を感じます。
そんなもののためにお金と時間は使わなくて良し。
つい最近日本でセクハラ問題があった際は、
「そんな露出した服を着ている女性が悪い」と意見まで出る始末で、そんな男性主観すぎるスティグマが社会に深く根ざしすぎていると感じました。
世界的にみてもルッキズムやミソジニー的な考えが「ちょっとそれまずくない?」と淘汰され始めてきている中で、日本でももう少しそれらの情報やモラルが広がるといいと思います。
これからの社会、女性も男性も、
「女性らしさ」や「男性らしさ」でなく、
「その人らしさ」で評価されて良い時代のはず。
古い価値観やレッテルはもういらないし、
それぞれの個性を尊重する社会になれば良い。
世の中が、そんな個性をもっと尊重し合える社会になることを願います。
あなたが自分らしく生きることが一番美しい。
と過去の私にも言いたいです。