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切り替えスイッチ

noteでフォローしている方の記事を読んだりしていて、ふと、自分の子供の頃もよく似た状態だったのかもしれない、という思いになった。彼女が心理系に詳しい人なのだけれど、彼女も同意見だった。

数年前に受けた心理カウンセリングでのこと。性別や国籍、表情など多種多様な子供が、1枚1枚描かれた数十枚のカードを前に出されて先生から

「子供の頃の自分に一番似たカードを選んでください」

と言われた。わたしがカードを順番にしばらく見ながら戸惑っていると先生からまた、

「1枚じゃなくても良いですよ」

そう言われて。ちょっと安心して。わたしが直感で素早く選んだのは、男女それぞれ2人ずつ、4枚のカードだった。うん。間違いなく、この4人だな。そう思った。その後のカウンセリングについては詳しくは書けないけれど、当時のわたしは女の子2人の話はさけるように、あまりしなかったのを覚えてる。そしてあの頃のわたしの中にもまだ、その4人は存在していた。また、後から聞いた話だけれど、4枚も選んだのは唯一わたしだけだったそうだ。しかも男女別に。多くても通常は2枚しか選ばないらしい。

カウンセリングを受けて思い出したことがあった。子供の頃によくあった症状で、突然自分が自分を見下ろすかのような感覚に陥ることがよくあって。それは授業中や友達と話している時、関係なく襲われた。現実感のないこの感覚は、何とも言えない恐怖感も伴っていた。あれは何だったんだろう。今でもわからない。

そしてわたしは、幼稚園から小学校低学年まで、いわゆるいじめられっ子で。教室内ではいつも、自分の殻に閉じこもっていた。逆に家や家の近所ではガキ大将のように暴れん坊で、男の子たちと仮面ライダーごっこや基地を作って遊んだり。木登りしたり。棒を振り回して戦ったり。男子からはよく「おとこおんな」と揶揄されることがあった。だけど女の子とおままごとをするのも大好きな子だった。

今思うのは、学校の自分と近所の自分はまったくの別人格。親からは「極端な内弁慶」とよく笑われていたけれど、自分の中では別人だった。だから学校では絶対に近所の友達とは話もしなかったし、学校で会う近所の男子は学校の自分にとっては「知らない人」だった。

学校の自分と家周辺の自分と。切り替わるのは通学途中の急な坂道。坂道を降りると学校の自分。上ると、家の自分。不思議なくらいに自然に切り替わっていた。彼女からは「トワイライトゾーンだったんだね」と言われて。あぁ、そうだったそうだった。わたしのトワイライトゾーン。「パラリラ坂!」そう言って2人で笑いあって。昨年には一緒に歩いてもらった。もう、切り替わることはなかった。

そんな子供の頃。今でも鮮明に覚えている出来事がある。

当時小学校低学年でいじめっ子からいじめにもあっていた頃。わたしは体育でやるドッジボールが得意で、男子にも負けない強さで、校内で少し有名になっていた。なぜかスポーツをする時だけは、強い男の子の自分が出てくる。周囲にしたらまるで人が変わったかのように、思いっきり強いボールを男子に当てて喜んでいた。

そしてある日。休みの日に家にいると、母が突然「あなたを訪ねてクラスメートの男の子が家の前にたくさん来てるわよ。ドッジボールで勝負したいって言ってるわよ」そう言ってきた。わたしはパニックになった。そしてトイレにこもった。男子たちはしばらく待っていたそうだけれど、絶対に出てくる様子のないわたしに母が、「あの子今お腹を壊してトイレから出てこれないの、ごめんねぇ」そう説明してくれて、男子たちは渋々帰っていった。

トイレの中のわたしは、自分の中の2人の男の子でせめぎあっていた。ドッジボールで勝負したい自分、だけどそれを止める自分。止める自分は、自分の居場所を守る必要があった。男子たちがこわかったんじゃなく。自分が自由でいられるこの領域へは、あの子たちは入れたくはなかった。いじめっ子がいることを認識していた母は、わたしが怖かったのだろうと慰めてくれた。だけど違う。この居場所を守らなきゃ、自分の居場所も自分も、消えてなくなる気がしていた。

子供の頃にはっきりと居た4人も、大人になってからは、人格と言うほどのものではなくなった。子供の頃だって、解離性同一性障害の人のように、それがはっきりしたものではないのかもしれない。ただ今もだけれどわたしには、何かにつけわたしの行動には「今どんな自分になるかの切り替え」というものが必要だった。

中学に入るとバスケ部に入部した。スポーツには自信があった。だけど自分でも気づいていなかったのは、団体行動と強制的にやらされる運動が苦手なこと。得意だったはずのスポーツもうまくできない。すっかり自信をなくしてしまった。スポーツ得意な自分に、うまく切り替えができない状況に、そのうち部活からも足は遠のいた。当時、同じ部の女子の先輩に恋愛感情を抱いていたわたしは、学校では恋する女の子の自分が、ほとんどの時間を占めていた。

だけど押さえられてしまっていた男の子の感情はやがて主張し始める。そんな当時のわたしがハマり始めたのは音楽。バンドでのギター。高校生になると、ほとんどの時間をバンドについやした。スポーツ少年はバンド少年に変わっていた。オリジナル曲も作って、ライブにも出て、かっこいい衣装を着て女の子のファンにもかっこよくきめていた。ここでもスタジオやステージの上では別の自分を作っていたのだ。その特殊な環境に、周囲にも認めてもらいやすかった。「音楽の話をするときだけ、別人になるね」当時よく言われた言葉だった。

だけど普段のわたしは人が怖くて気弱で。人とのコミュニケーションもうまくできなくて。そんな弱い女の子の自分を押さえつけるために、すぐに切り替えが必要な時には、今だけここだけの話、アルコールにも手を出していた。だけどその頃も同じバンドの女子に恋をして、彼女を見る時だけはわたしの心は女子になっていた。だけどそんな自分はカッコよくはない。好きな女子にもモテはしない。20代に入ってからは短髪にして、すっかり男っぽくふるまうようになった。そしたら急にモテはじめた。もう女子の自分はいなくなってもらうことにした。これはXジェンダーや中性・両性を自認する人にはあるあるかもしれない。

こんな風にわたしは、見たくない自分を押し込めて、その時の自分の都合のいいように自分を切り替えながら過ごしてきたんだと思う。

今はどんな自分でいるか

取捨選択して切り替えないと、うまく社会で立てなかったんだと。切り替えというスイッチがなきゃ、その場に立っていられなかったんだと。

だけど今、人生で初めて、どんな自分でも大絶賛してくれる彼女が出来て。今は切り替えというものが必要ではなくなった。もうスイッチはいらないのだ。

わたしはどれもわたしで、その時のわたしのままでいい。

だけど切り替えスイッチを手に持つことは、癖になっている。切り替えが必要だった場面でスイッチを持たずにそのままでいる。そのままの自分で行動する。

これにはまだまだ、リハビリが必要だ。

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