8/18 上弦の月と勇気の話
蝕が続いた揺らぎの時期と、水星逆行が重なるタイミングを乗り越えて、この上弦の月を過ぎると徐々に空気が変わってきます。
20日以降、水星が順行に戻るので、物事がすっきりと進み始める感じです。
火星の大接近で、本当に赤い星が強く夜空に光っているのを一ヶ月近く眺めてきましたが、その昔は火星は禍々しい凶星とされていました。
たしかに、この高温続きや、大雨災害などは、昔なら日照りに干ばつ、大洪水としてもっと多大な被害が出ていたと思います。農作物への影響も心配です。
こういう人の力では立ち行かない事に対して、昔は「禍々しい凶星が赤く光っているから」という言い方をして、納得してきた部分は大きかったのでしょう。
同時に、気象学を発達させ、天文学や、そのほかたくさんの科学技術によってそれらを解明して、対策していく力を得ていったのも、人間の力でした。
知るという事は、非常に勇気の必要な事なのです。
ただ「凶星があるからみんな死ぬんだ!」といっている方が、ずっと楽です。原因を探したり対策を練ったりするのは、難しいのです。
恐ろしい事に対して、踏み込んで調べるのは、それだけで周りにまで祟りがあるからやめろと言われるかもしれません。
そこを踏み込んでいくのは、勇気に他ならないのです。
天災に対する事ほど大きくなくても、もっと小さい自分の生活においても、そういう勇気が必要な事がたくさんあります。
知らない映画を見に行く事だって、勇気です。みんなが絶賛しているから観に行く勇気を得る人もいれば、絶賛されているから勇気が出せなくなる人もいます。
たった800円の化粧水なのに、試してみたいけど買うのを戸惑ってしまう事もあります。
どれもこれも、小さなことですが、勇気が試されるものです。
勇気には、合理性が欠けています。
ちょっとムリそうなことから、どう考えても厳しい事まで、勇気が必要な状況というのはとにかく負ける可能性がはっきりと見えているという事だからです。
でももしかしたら、いけるかもしれない。
もしかしたら、すごくいい結果になるかもしれない。
そういう希望が、同時に存在しています。
同時に存在する希望を支えているのは、やはりその人の知性です。
勇気を持つことは、合理性がないなかでも希望を見つけ出す知性によって支えられています。
もうひとつ、何かを強く愛している事も勇気を支えます。
人への愛(恋人や家族や子供など)に限らず、好きなものがあるという事は人を強くします。(そのせいで変な暴走もたまにはおきますが)
自分が好きなものは、なんであれ、自信を持って愛してほしいです。
それが、巡り巡って人類を救うかもしれないのです。
そこに「誰かに理解されないといけないのでは?」という遠慮は無用です。
家族や友達に理解されなくてもいいのです。
(だから、家族や友達が自分が理解できない何かをすごく愛していたとしても、否定するのはちょっとやめて、どうしたらいいのかを考えてみるのも大事です)
合理的に生きようとするほど、勇気とは遠く離れた生き方になります。
それはそれで、とても安定した生き方かもしれません。
平和で、何ら矛盾のないあり方です。
でも、人生には必ず波風が立つときがあります。
その時に強く生きていくには、いつも無風の無菌室のような合理的に管理された場所と同じことはできないのです。
人間は怠惰なので、なにかと無菌室のような生き方を望んでしまうものですが、そこにはあまり自由がありません。
合理的だから、得られる結果はどれも同じ出なくてはならないので、そこに自由や変化はむしろあってはいけないのです。
でも、多くの人は自由を求めます。
それが、生命力というものなのだと思います。
今の社会では、生命力を無理に押さえつけようとする仕組みのほうが多い気がしています。そういう生き方に嫌気がさしている人も多いです。
同時に、合理性ばかりを重んじて、勇気をどんどん失っている人も増え、従って希望も見つける力が落ちていきます。
失った勇気を取り戻すには、800円の化粧水を試しに買ってみるという事かもしれません。話題の映画を観に行くことかもしれません。
好きな人に、声をかけることかもしれません。
いった事のないお店で買い物をすることかもしれません。
旅行に行くことかもしれません。
些細な事であっても、勇気が必要だと思う事を「そんなつまらない事で悩むなんてあほらしい」と無視するのではなく、その不安を大切にして、ちょっとだけ勇気を出してみる事。
小さな勇気をいつも忘れなければ、どんな時も希望を見つける力が途絶える事はないのだと思います。
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