フィンランドデザインの質の高さは「工業」と「アート」の往復運動から生まれる 〜アアルトとカイフランクのデザインアプローチ〜
みなさんこんにちは!
暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか?
今回の北欧デザインコラムでは、フィンランドデザインのクオリティの源泉を、アルヴァ・アアルトとカイ・フランクの二人の名デザイナーの事例を引きながら「工業」と「アート」という二つの視点から紐解いてみたいと思います。
1.アアルトのデザインにおける「遊び」の役割
先日、世田谷美術館で開催されていたアルヴァ・アアルト展に行ったときのこと。最後のブースにアアルトが描いた「絵画」が展示されていました。アアルトと言えばパイミオのサナトリウムやマイレア邸といった建築物、またアルテックのチェアやイッタラのベースのデザインが有名ですが、彼が「絵を描く」というのは一体どういうことなのでしょうか?
リサーチしてみると、そこにはアアルトの独特なデザインアプローチが潜んでいることが分かりました。
「アアルトは非常に感情の豊かな人間であったー」
こう言ったのはアアルトと同じくフィンランドの建築家であるユハニ・パラスマーですが、彼はアアルトの「自己中心的」な性格をこのように振り返ります。
つまり、アアルトの「自己中心主義」が、実はアアルトの創造性の根っこの部分にあるのではないかというわけですね。
1948年に書かれた論文の中で、アアルトは自身の創造のプロセスにおいて、「潜在意識」が果たす役割をこのように述べています。
たとえば、アアルトが<ヴィープリの図書館>を設計した際、彼は構想段階で長い時間を一つの山の景観をジーっと眺めながら気ままにスケッチを行うことに費やしました。その結果として、図書館の基本的なアイデアを着想したと回想しています。
すなわち、アアルトはデザインのプロセスにおいて、「スケッチ」=「遊びに夢中になる」という手段を用いて「意識的に潜在意識に潜り込む」ことで、創造のインスピレーションを得ていたというわけなんですよね。これはアアルト独自のデザインアプローチと言えるでしょう。
アアルトは自身のこうした独特な手法を、「Trout and Mountain Stream(鮭と山の小川)」という一見奇妙なタイトルの論文でこのように解説しています。
「ちょうど鮭がその大洋の居住環境から遠く離れた小川で生まれるように、一つの創造行為もわれわれの通常の意識活動から遠く隔たったところで生まれる」。
さらに、アアルトは「絵画」についてこんな発言も残しています。
ここからも、アアルトが「絵」や「彫刻」といった表現を重要視していることが分かります。つまり、アアルトのイマジネーションは、意識のおくに隠れている自身の感受性を、「遊び」を通して<引き出す>ことで生まれているというわけなんですね。
この視点で冒頭で触れたアアルト展の構成を振り返ってみると、彼の「完成物」をこれでもかと見せた最後に、あらゆるインスピレーションの源である絵画を展示するワケですから、なんだかすごく粋な演出だったんだなぁ、なんてことを思うわけです。
2.カイ・フランクと近松門左衛門の芸術論
続いて注目したいのが、「フィンランドデザインの良心」と呼ばれるカイ・フランクです。彼がデザインしたティーマやカルティオのシリーズは、今なおイッタラの人気商品として君臨しつづけています。
フランクはそうした「大衆のためのデザイン」がよく知られる一方で、その生涯でたくさんのアートピースも手掛けてきました。
彼は1954年にはじめて日本を訪れた際の講演会で「デザインと教育」をテーマに据え、「人はなんでも既成概念の枠にはめたがる」という問題意識から出発して、「いかに既成概念を打ち破るか」という話をしています。
そしてフランクはこう結論づけるのです。
フランクは、アート作品は実験的な要素が多分にあり、それがデザインの仕事にも良い影響を与えていたと振り返っています。つまり、テーブルウェアやベースのようないわゆる「インダストリアル・デザイン」と、アラビアやヌータヤルヴィで手掛けた「アート作品」の往復運動こそがフランクのデザインのクオリティを形作っていたということなんですよね。
そんなカイ・フランクですが、どうやら江戸時代に活躍した文楽の近松門左衛門に大きな影響を受けていたようです。彼は近松の「虚実皮膜」という有名な思想をこんな言葉で表現しています。
まさにこの「現実と非現実の融合」こそをフランクはデザインの中で追求してきたのかもしれません。それに、この姿勢は先に見たアアルトのアプローチにも共通するものですよね。
ここまで見てきたように、フィンランドを代表する名デザイナーたちは、自分自身の内側にある「感性」を出発点にして、独自性のある質の高いデザインを生み出してきたということが言えるワケなのです。
3.アラビアデパートメントとフィンランドの独立
こうしたフィンランドにおける「アート性」を語る上で無視できないのが、アラビアのアートデパートメントの存在です。
1932年、フィンランドの名窯「アラビア」の製陶所内に「美術部門(アートデパートメント)」が設立されました。ここで雇われていたアーティストたちは、大量生産品の製造に関与することなく、スタジオや窯の使用を含め、完全に自由な立場が与えられていました。こうした「ユートピア」は、産業史的にも非常に珍しいユニークな取り組みであったそうです。
1945年、アラビアのアートディレクターであったクルト・エクホルムに招聘されたカイ・フランクは、当時の様子を「アラビアデパートメントに招聘されたはじめの5年間はとにかく五里霧中だった」と振り返っています。戦後の貧しい時代を迎えると、アートデパートメントは市民からの批判にさらされますが、カイ・フランクの成功によってこうした批判は自然消滅していきました。(「ディナーセットを打ち壊せ!」というスローガンのもと発表された「キルタ」シリーズは、その後のフィンランドの食卓の風景を一変させました。)
当時アートデパートメントで活躍していたのは、陶芸界のプリンスと呼ばれたビルゲル・カイピアイネンやルート・ブリュックでしたが、カイピアイネンが「大量生産の工業品」としてデザインしたパラティッシやスンヌンタイのシリーズが現在でもアラビアの一番人気のアイテムであるというのは、まさにアートと工業の往復運動の由縁であるかもしれませんね。
さて、ここまで見てきたアアルトしかり、アラビアのアートデパートメントしかり、当時のフィンランドで「アートの重要性」が共有されていた背景には、ウィリアム・モリスの「アーツ・アンド・クラフツ運動」の他にも、フィンランドの「独立」が関係しているように思います。
フィンランドは歴史的にロシアとスウェーデンという大国の間で揺れ動いてきた国であり、1917年に念願の独立を果たします。しかしエクホルムが「スウェーデンのデザインとのクオリティの差に衝撃を受けた」と回想しているように、「何をもってフィンランドという国を発展させてゆくか」という「ナショナルアイデンティティ」が喫緊の課題でした。
そんな状況において、スウェーデンやデンマークの真似をしない工業のアプローチを模索する中で、その可能性を「自分たちの感性」にこそ見出したんですね。("オリジナリティ"を外側ではなく内側に求めるという視点はめちゃくちゃ重要だと思います)
カイ・フランクも指摘しているように、ヨーロッパの教育ではアジアやアメリカに比べて個人の「美的要素」に重きが置かれている。とくにフィンランドはそうした抽象的な部分に力を入れすぎるあまり、実社会にすぐになじめないというきらいがあったようです。「なぜフィンランドが個人の感性を国を挙げて重要視するに至ったのか」という点にはさらなる調査が必要ですが、こうしたバックグラウンドを考えると、アラビアがデザイナーやアーティストに自由を与え、自らの感性を表現させる部門をつくったことは自然な流れだったのかもしれません。彼らはそうした取り組みが最終的に自分たちの「アイデンティティ」につながると信じていたのでしょう。
こうした事例からも分かるように、「工業」と「アート」の往復運動こそが、フィンランドの唯一無二のデザインアプローチであり、同時にフィンランドデザインの質の高さにつながっているというわけなのです。
4.アイデアが生まれる場所
さて、ここまで一緒に見てきたフィンランドデザインの特徴は、現代社会を生きる私たちにも重要な示唆を与えてくれるように思います。
一つは、「分野を横断する」ということ。社会人になると、得てして自分の仕事の領域にしか視野がいかなくなるものです。しかし、狭い領域であれこれ考えてみても、なかなか新しいアイデアが生まれずに悶々としてしまいますよね。そこで、まったく異なる分野に目を向けてみる。すると思いがけないヒントが隠れているかもしれない。それが手掛かりとなって新しいアイデアが生まれますし、そこにこそ独自性が宿るように思えるのです。まさにカイ・フランクが言うところの「別の世界に目を開くことによる互換作用によって既成概念を打破する」ということですよね。
そしてもう一つは、「感性を表現する手段をもつ」ということ。私たちは、小さい頃は夢中で絵をかいたり粘土をこねたりして遊んでいましたが、大人になるにつれてものごとをインプットする割合が増えていき、反比例的に自分の感性を自由に表現する機会が少なくなっていくものです。しかし、良いアイデアや良い仕事、つまりあらゆるクリエイティビティの源には「感性」が潜んでいると思うのです。ですから、アアルト同様、自分の感性を表現する手段を持つということが重要なのではないでしょうか。
みなさんも今後アルテックのチェアやイッタラのアイテムを目にする機会があったら、ぜひ本稿のことを思い出しながら触れてみてくださいね!
では、そんなところで。
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