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夜間非行 第2話
昼食休憩の時間になっても、ズーイは冷蔵庫横の止まり木に片足立ちしたまま、彫像のようにぴたりと静止していた。一見すると、なんとも疲れそうな姿勢であるが、比較的警戒心の薄い状態である。警戒モードになると、慌てて二本足になる。足が疲れると、適当に軸足を踏み変えたりもする。
冷蔵庫をわずかでも開けると「餌の時間だ!」と言いたげな顔をして肩に飛び乗ってくるのが恒例であるが、うたた寝中のズーイは「ぷしゅんっ」と小さなくしゃみをしただけで、目は瞑ったままだった。
忍ができる料理といえばパスタを茹でることだけだが、どうにも食欲が湧かない。冷蔵庫からヨーグルトを取り出し、プラスチックスプーンですくって食べた。賞味期限は大丈夫なはずだが、やけに酸っぱかった。
フクロウという鳥はとにかく繊細で、ストレスに極めて弱い。群れを作らず、単独生活を好む一匹狼であり、社会性とはおよそ無縁の孤高の存在だ。群れ社会では成員は仲間の振る舞いを見ながら互いの行動を修正しあうが、そもそもフクロウにはそのような習慣がない。そのため相手が少しでも攻撃的な態度に出ると、「殺される」としか解釈できない。
世界に味方はなく、あくまでも自分と自分を害する敵しかいないのであれば、異常なぐらい警戒心が強くなるのも無理からぬだろう。犬猫のように人間には懐かず、「慣れる」という言葉が正しい。
相手が飼い主であれ誰であれ、たとえ一度でもカッとなってわめいたり、威圧でもしようものなら、それを生涯忘れずにいる。そして二度と慣れることはない。
彼らの野生はセカンド・チャンスを認めない。それがフクロウの流儀であるが、ひとたび番えば伴侶には徹底的に尽くし抜き、生涯連れ添う。伴侶が死んでも新たな相手を見つけにいくとは限らない。塞ぎ込み、生きることに背を向ける。枝に止まって木の幹を凝視し、そのまま逝ってしまう場合さえある。連れ添う相手にとことん尽くし抜く、それもまた彼らの流儀である。
生後四日目から忍に育てられたズーイは刷り込みも手伝ってか、自分をフクロウではなく、人間であると思っているような素振りを見せる。だが縄張り意識は強烈で、同じ空間に存在してもいい相手と、近寄られるのすら嫌な相手は瞬間的に振り分ける。
忍に似た空気を醸し出している人間と、忍に友好的な人間は平気であるが、それ以外の相手は徹底的に拒んだ。
その意味で、ズーイはリトマス試験紙だ。今はスリープモードなので、置物よろしくただ存在するだけだが、ひとたび覚醒すれば、黒曜石のような瞳がたちどころにすべてを見通す。
忍が食べ終えたヨーグルトの容器を水洗いしていると、スマートフォンが鳴動した。鷹桐動物病院の院長代理である藪内カヲルからの電話だった。
「しーちゃん、今話しても大丈夫?」
緊張感を孕んだ囁くような声だった。三十日に税務調査がある、とカヲルには正直に伝えていたから、心配したのかもしれない。
「今、昼休み中だから普通に話して平気だよ」
カヲルは大学入学までに一浪しているので、ひとつ年上だ。それもあってか、白衣の似合わぬ童顔のくせに妙にお姉さんぽい喋り方をする。人前で「しーちゃん」などと呼ばれると恥ずかしいからやめてくれ、と言っても聞きやしない。
生粋のお節介体質であり、目下国家試験三連敗中の不出来な「弟」を鳥類進化研究所に誘った張本人であり、メンフクロウの雛を研究所員から譲り受け、半ば強引に忍に育てさせた。
カヲルはモリフクロウのモリーを飼っているが、ズーイの様子を見に、ちょくちょく鷹桐家を訪れる。
「病院の前でカラスが死んでたの」
いやに深刻めいた口調だった。狡猾なカラスだって、車に轢かれることもあれば、電線に乗っかっていた際に別の金物に触れたり、他の電線に触れて感電死することもある。博愛主義も結構だが、運の悪いカラスにまで同情するのはさすがにどうかと思う。
「どんな風に死んでいたの」
「うん、それがね」
カヲルはどうにも歯切れ悪く、カラスがどんな風に死んでいたのか語ろうとしない。普段であればもっとはきはき喋るし、勿体ぶるようなこともない。
「病院の前の木の枝にカラスの頭部が突き刺さっていたの。あと、郵便受けにハトの羽毛と切り取られた嘴が投げ込まれていた」
カヲルがすすり泣くような声で言った。時刻はそろそろ午後一時になろうとしていた。先程の徴税ロボットが偽物でないなら、新顔が現れ、税務調査が再開される。
「税務調査が終わったらすぐ行く。気分が悪かったら午後は休診にしなよ」
「うん、ありがとう。でも平気。しーちゃんの声を聞いたらなんか安心した」
ぐずついた鼻声はどうにも頼りない。こんな時こそ父が近くにいればいいのだが、あいにくの留守だ。行き先さえ定かではない。
「しーちゃんの方は大丈夫? 税務調査ってなにをするのか知らないけど、あんまり挑発したりしたら駄目だよ」
カヲルが心配そうな声で言ったが、忍は笑い飛ばした。
「挑発なんかしないさ。そんなに好戦的じゃない」
「しーちゃんって普段は大人しいけど、生き方がフクロウっぽいからちょっと心配」
聞き捨てならないひと言に、忍は思わず反論した。
「フクロウっぽい? 首は二百七十度も回らないし、首をぐるぐる回す誇示行動もしない。主食はネズミじゃないし、糞だって撒き散らさない。ズーイと違っていたって普通ですが」
カヲルが呆れたように言った。
「もしかして郵便受けと木の枝にいたずらをしたの、しーちゃんの仕業?」
そんなわけないだろう、と答える前に電話が切れた。