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積み荷の分際 第1話
あらすじ
――意識はあるかね、ミスター・アリサワ
人工知能研究者の在沢有意は、イモータル・テクノロジー社の開発した自動運転車『MeMove』のテスト走行に臨んだ。次期首相候補と名高い国土交通大臣政務官の柊木尚志を助手席に乗せての試乗の大詰め、ミーヴが突如として暴走。テスト走行路のど真ん中で取材を敢行したテレビクルーの網野晃を轢き殺してしまう。
事故の原因は、在沢が「ブレーキとアクセルを踏み間違えたことによる過失」と報じられ、在沢に全責任が押しつけられる格好で手打ちとなったが……。
第1話
人間は、考える積み荷である。
自動運転車に命を預ける儀式を前にして、自意識はお荷物でしかなかった。出来ることなら、完全なる無になりたかった。
イモータル・テクノロジー社の開発した自動運転車『MeMove』のテスト走行に、国土交通大臣政務官の柊木尚志が視察に訪れた。
四十代半ばの若さでありながら、次期首相候補と目される柊木は、俳優さながらの爽やかな風貌と巧みな弁舌を誇り、混迷を極める政治状況にあって、国民の人気を一身に集める一等星だ。
車の運転を人工知能に委ねる自動運転において、どんなに些細な事故も許されないが、よりによって国民の希望の星を乗せての試験走行をやらされるハメになるとは思いもしなかった。
自動運転システムの根幹をなすHMIの開発メンバーである在沢有意は、表情を強張らせつつ、柊木を車内に案内した。
「本日、試験走行を担当させていただきます在沢有意と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
万が一にも粗相があってはならず、それでいて愛想よく振る舞えだなんて、どだい無理な注文だ。人工知能に「人間」と「物体」を区別させることは教え込めるが、官僚様をおもてなしするのは業務の範囲外である。こういうことは、愛想笑いの得意な広報に任せるべきだろうと思いつつ、人間社会のしがらみを呪った。
「こちらこそよろしくお願いします。自動で車が動くなんて、小説やSF映画のなかでのことだけだと思っていました」
柊木は爽やかな笑みを浮かべ、助手席に乗り込んだ。在沢はどことなく億劫そうに運転席に座り、おもむろにシートベルトを締める。
「在沢さんはお若く見えますが、おいくつでいらっしゃるのですか」
「もうすぐ二十五歳になります」
在沢が歯切れ悪く答えるのもおかまいなしに柊木は喋り続けた。
「ユイというのは女性的な響きの名前ですね」
「ええ、まあ……」
「どういう漢字をお書きになるのですか。唯一の唯ですか」
「いえ。意志が有る、というやつでして」
「へえ、まさしく人工知能の研究をするために生まれてきたような名前ですね」
「さあ、それはどうでしょうか」
さっさとシートベルトを締めていただき、とっとと発進させたいのだが、柊木は喜々として話し続けている。
人工知能の開発者は、そんなにも珍獣のように映るのだろうか。
それとも自動運転車に乗るのがよほど楽しみだったのか。
「あの、そろそろ発進させてもよろしいでしょうか」
在沢が遠慮がちに訊ねると、柊木はようやくシートベルトを締めた。
「ええ、よろしくお願いします」
黒塗りのコンパクトカーであるミーヴは基本は二人乗りであるが、リヤのベンチシートを用いれば最大四人まで乗車可能だ。
運転席と助手席の間に大型のタッチパネルがあり、周囲の情報を表示する。自動走行・手動走行の切り替えもワンタッチで行える。車の操作はタッチパネルのほか、目線操作や音声入力にも対応しており、手を使わずに操作できる仕様となっている。
「ハロー、リサ。調子はどうだい」
前部座席と後部座席の間にはLiSAと名付けたコミュニケーションロボットが備え付けられている。百貨店の受付嬢を思わせる紺色の制服とピンクの格子柄のネッカチーフのおかげで、そこはかとなく女性的な趣きのあるLiSAがきょろきょろと視線を巡らせた。
円らな瞳が、助手席の柊木政務官を視認した。
《あら、良い男。有意から乗り換えちゃおうかしら》
「車に乗っているのはこっちなんだけど」
《ジョークよ、ジョーク》
自力で愛想を振りまくのは無理と判断し、数日前からLiSAに洒落っ気を深層学習させておいたが、どうにも裏目に出たらしい。にこやかな笑みを浮かべていた柊木の血相が変わった。
いかにもロボット然とした人工知能が、とても機械音声とは思えぬ女性的な響きの声を発したものだから、柊木は後部座席に誰か同乗しているのかと振り返った。美人局に引っ掛かった過去でもあるのか、ずいぶんと警戒した様子だった。
「コミュニケーションロボットのリサです。口調はいくつかバージョンがあるのですが、もう少し事務的な口調の方がよいでしょうか」
在沢が恐縮しながら訊ねると、柊木の目に笑みが戻った。
「いえ、このままで結構。突然声がしたので少々驚いただけです」
「はい。では、このままで出発させていただきます」
液晶ディスプレイに試験走行コースの地図が表示された。
《このルートでいいかしら?》
「オーケー、レッツゴー」
音声ガイドに従い、走行速度を確定すると、瞬時に所要時間が算出された。LiSAの黒目がちな瞳がぱちくりと瞬く。
《それでは快適な旅をお楽しみください。ヨーソロー》
在沢有意と柊木尚志を乗せたミーヴは、ゆっくりと走り出した。沿道には無数の報道陣が集まっており、取材許可証を首にぶら下げたカメラマンは遠慮なくカメラのシャッターを切った。
在沢は運転席に座ってはいるものの、ハンドルは握っておらず、膝に手を置いたまま硬直していた。ゼミの発表に挑む直前の緊張感にも似た気分であり、喉がからからに乾いてきた。
政府要人を乗せた試験ということもあり、最高速度は四十キロ、不測の事故が発生した際には緊急ブレーキが作動するよう設定し、念には念を入れたつもりだ。事前準備に漏れはないはずであるが、それでも不安が先に立ち、遠足のバスの中で忘れ物をしていないか気になる園児のような気分に陥った。
手に汗をかくばかりで、気の利いた会話などできようはずもない。心がさざ波だった在沢とは対照的に、ミーヴはベテランのタクシードライバー顔負けの安定したハンドル捌きを披露しており、まったく危うげなく走行した。赤信号を認識するや、ぴたりと静止し、青信号に切り替わるや音もなく出発する。
運転席の在沢はただのお飾りであり、ほとんど無用の長物である。徹夜でプログラムのコードを書いていた方が数段楽しい。どうしてこんな面倒な役回りを押しつけられたのだろうかと思うと、ただでさえ陰鬱な気持ちはいっそう落ち込み、どんよりと心が曇っていく。
フロントガラス越しの空は雲ひとつない晴天であったが、在沢の心象風景は灰色で、タールのような黒い雨が降っている。
《元気ないわね、有意。気分の上がる音楽でもかけとく?》
「ノーサンキュー。それより運転に集中してほしいね」
《はいはい》
「はい、は一回」
《はぁぁーーーーーーーーいぃぃぃ》
反抗期の女子校生でもあるまいに、いったいどこでこんな会話を学習したのだろう。助手席の柊木を盗み見ると、苦笑していた。
茨城県東茨城郡城里町の山間部に位置するテストコースは、全長五キロにも及ぶ山岳路で、七十メートルの高低差と多数のカーブが入り組んだ厳しい走行環境を有している。
メインコース以外にも悪路試験場や走行音試験路面、旋回試験場など、合計八つの試験コースがあり、試乗イベントや取材、撮影等のイベントにも対応している。
LiSAがむっつりと黙りこくり、柊木からの質問もないと、車内ははっきりと静寂に包まれる。まったく間が持たないので、やっぱり音楽でもかけてもらおうかと思ったが、在沢がひそかに聞き入っているアニメソングを爆音で流された日には、末代までの恥だ。
車内での様子や会話は運行管理センターに筒抜けであり、在沢の一挙手一投足は遠隔監視者に逐一チェックされている。車載カメラの映像は報道陣にも提供されるであろうから、余計な会話は厳に慎むべきである。
ガラス張りの監視下で、場違いに陽気な曲など流れようものなら、在沢有意の名は「次期首相候補にアニソンを吹き込んだクズ」として半永久的に記憶されることだろう。
オンラインゲーム仲間であるSiON氏とHaRU氏からは「さすがですな、ARiSAwA氏」という祝電が届くだろうが、会社の上司にはこっぴどく叱られるのがオチだ。
イモータル・テクノロジー社のそもそもの起源は筑波界隈の有志が立ち上げた大学発ベンチャーであり、卒業レポートの代筆を識別するAIプログラムの特許許諾者として産声をあげた。
機械学習とニューラルネットワークを利用し、代筆か否かを即時判定するGhostWriterProgramを開発したところ、国内だけでなく海外でもヒットした。
コンピューターサイエンス専攻の学生たちが集まった飲み会の折、「卒論の代筆業がビジネスになるなら、それをAIで見つけるのだってビジネスになるんじゃね」と内輪で盛り上がり、ほとんど勢いとノリだけでコーディングした。
こっそり卒論の代筆を依頼しようとしていた世の大学生たちから総スカンを食らったのと引き換えに――悪魔に魂を売ったクソ野郎どもとよく揶揄された――見たこともない大金が目の前に積まれた。身の丈に合わない大金を山分けしたクソ野郎どもは御多分に漏れず、身を持ち崩していった。
投資詐欺に引っ掛かって有り金を失うもの、人生初のキャバクラで酔って騒いで散財した挙句、黒服の怖いお兄さんに凄まれるもの、世界放浪の旅に出掛けそのまま消息不明になるもの、ネットゲームに重課金して無課金ユーザを金の力で蹂躙するもの……。
人生は色々であるはずなのに、金の失い方に関してはさほどの多様性もなく、巨大隕石と氷河期に見舞われた古代恐竜さながら、集団はあっけなく全滅した。
泡沫の夢に踊らされ、世間の荒波に揉まれ、ちょっとだけ賢くなったコアメンバーたちは再び集結し、第二創業期を迎えた。「GhostWriterの次はGhostRiderじゃね」と、また学生ノリで誰かが言い出し、いつの間にやら自動運転車の頭脳を作る集団となった。
その後、イモータル・テクノロジー社という名前はそのままに、大手自動車メーカー『ヒイラギ・モータース』に買収された。
巨大恐竜の胃袋に飲み込まれた在沢有意は、概ねは未消化のまま現在に至る。
なぜ柊木尚志のような政界の大物がイモータル・テクノロジー社のような末端の視察に訪れるのかと不思議であったが、何のことはない。
ヒイラギ・モータースの創業者は、柊木尚志の親族であった。
柊木尚志がヒイラギ・モータースの視察に訪れると、特定企業に肩入れしているという風評が立つからなのか、ヒイラギ・モータースの名が前面に押し出されることはない。
ヒイラギ・モータースはあくまでも黒子に徹しており、「自動運転車両を提供しているパートナー」という位置付けだ。
実体はどうであれ、世間的には自動運転車『MeMove』の開発主体はイモータル・テクノロジー社である、と認識されている。
企業体の位置付けとしては辺境の部署であるはずなのに、次世代技術を担う主流として扱われていることに矛盾を感じることはしばしばだ。
プログラマーという人種は、薄暗い教室の片隅でかたかたコードを書いているだけの穴居性の小動物のようなものだから、人前に出ることには慣れていない。いわんや人をもてなすことにも向かない。
人工知能の搭載された移動洞窟のなかで、お互いが無言になると、そのままひたすらに無言状態が続いた。
まるで「先に口を開いた方が死ぬ」という遊戯でもしているかのように息の詰まる緊張が在沢有意の精神を蝕み続けた。
予定では二十分足らずのドライブが永遠のように感じられた。