少年コピーキャット 第十二話(最終話)
エアコンが生温い空気を吐き出す中、学習机の上に教科書を開いているフリをした。
中学最後の夏は、偽装引きこもり。
高校最後の夏は、偽装受験生として過ごした。
嘘ばっかりの人生だ。
しかしながら、夏休み中はそれこそ執筆に没頭した。
……などということは一切ない。縦書きのワードファイルを開いても、真っ白のページに書くべき内容が何も思いつかなかった。
一文字たりとも書き出せなかった。
どうしようもないので、朝から自室にこもって篠原さんからのメールを改めて読み返してみることにした。家族からすれば、さぞや熱心に受験勉強に励んでいるものと思われているかもしれないが、もはや受験などはとうにどうでもよくなっていた。
受験勉強の息抜きに創作活動をするというならまだしも、受験そのものをほっぽり出して小説なんぞを書こうと血迷い、挙句一行たりとも書けやしないなんて、我ながら非生産の極みだと思う。両親が聞いたら泣くだろうか。
泣くよりは、お前はどうしてそんなに堪え性がないんだ、と失望されるのがオチだろう。
ごめんなさい。それは生まれつきなので、もうどうにもならないので諦めてください。ぼくも半分は諦めてますから。お父さんもお母さんも諦めてくれると嬉しいです。
しかしながら、老舗出版社として名高い文藝心中社のやり手編集者と密に連絡を取り合っているぼく、という構図は、どことなくプチ小説家気分で、ちょっとだけワクワクした。
「篠原、ぶっ殺す! って言いたくなるぐらい追い込みますよ。たとえ高校生でもね」
などというサディスティックな予告をしておきながら、メールの返信はまったくもって穏健だった。過激派らしき尻尾は、まだぜんぜん見えてくる気配はなかった。
目上の、それも会社勤めの人にどんな文面のメールを送っていいのか、そんなことは学校では一切習わないので、グーグル先生に教えを請いつつ適当な文章をこしらえた。
返事は、その日のうちに返って来た。
余計な言葉がまるでない、なんとも端正な文章だった。
高校生相手に「さま」なんて付けるんだ。へー。
そんなどうでもいいところにまず関心する。
その他に書いた原稿もあるんだけど、とチラつかせてみたけれど、こちらは見事なスルーだった。
まあ、日常業務で忙しいだろうしね。無理にでも読めなんて、そんなことは申しません。ものになるかどうかも分からない、ゴミみたいな原稿はこれ以上読みたくはないよね。
それにしても、世に出て然るべき才能とは……。
平然とそんな褒め言葉をもらうと、ふだん褒められ慣れていないので妙にドキドキする。女の子が白々しい愛の言葉に舞い上がってしまう気分が、ちょっとだけ分かる気がした。
けど、本当に言いたいことは「○○みたいな作品なら自分にでも書ける」というモチベーションではなく、という一行だろう。
沙梨先生のコピーじゃ駄目よ。オリジナルを書きなよ。じゃないと認めないよ。
やんわりと、そんな宣言をしているのだ。
行間は空白であるはずなのに、きっぱりとそう言われた気がした。
なんと教育効果抜群の文面であろうか。
プロの編集者は、スゲーな、ヤベーな、コワいな、などと思わず荻原倫也チックな感想が漏れてしまうぐらいには動揺した。
小説を書き始めたきっかけはあえてぼかして書いた。そんなことはいちいち明言することではないから。ああ、そういえば。篠原さんに送信したメールを読み返しながら、ふと思い出した。
高槻作品に対する選評に、たしかこんな感じの選評があった。
「最近の若い作家が描く小説世界には学校と自宅とコンビニしか出てこないのであろうか。家でやることといえば、パスタを茹でることぐらい。半径五百メートル小説とでも言うべき、こじんまりとした世界観ではなく、もっと大きな世界を描いて欲しいと思う」
端的に言って、大きなお世話であると思う。
学校と自宅とコンビニしか出てこなくたって、読んで面白ければ、それはそれで作品として成立しているはずだ。むしろ学校と自宅とコンビニしか出てこないのに、日常から解き放ってくれるような読後感を与えてくれる物語が描けるとしたら、それこそ稀有な能力であるだろう。
美人の銀行員が顧客の金を横領して年下の青年に貢ぐ、なんて、そんな壮大な話は書けるとも思えないけれど、学校と自宅とコンビニしか出てこない話でもよければ、ぼくにも書けそうな気がした。
実際、書いてみたらけっこう書けた。
ぼくは沙梨先生よりも面白い小説を書いている。それは多分に勘違いであったのかもしれないけれど、勘違いだって一種の才能だ。
初めて書いた作品はたしかに沙梨先生の劣化コピーみたいなものだったけれど、二作目、三作目と書き進むうちに、心の中で自信は確信に変わった。
異才発掘プロジェクトなる怪しげな社会実験に裏口入学したぼくは、文藝功労賞を受賞する直前に沙梨先生に出会った。世の中が高槻フィーバーに踊る少し前の頃だ。
沙梨先生はその頃、十九歳になったばかりで、早稲田大学に通っていた。
「大学って楽しいですか」
聞きたいことがあまり浮かんでこなかったので、そんな他愛もない質問をした。
「楽しくは……ないかな」
予想に反して、歯切れの悪い答えが返ってきた。
とにかく次のお話が書けないの。書いても書いても全部ダメなの。
沙梨先生は、初対面のぼくにそんな弱さを吐露した。
当時、中学三年生だったお子様にそんな弱音を吐いたってどうしようもないはずなのに、それすらもまともに判断できないほどに追い詰められていたのかもしれない。
大学の授業で小説のことも勉強したし、次は色々考えさせるものを書きたい、みたいな気負いもあったそうだし、異才発掘プロジェクトの見学に来たのも次回作の取材の一環であったらしい。いくつも違うお話を考えて、書いている途中に自分でも訳がわからなくなって、途中で筆が止まり、また別のを書いて、毎日がその繰り返しだったという。
書いては没。また書いても没。
没、没、没、没……。
世の中は文藝功労賞受賞で大騒ぎだったのに、沙梨先生はスランプの真っただ中だった。
迷走した時期と大学生活がぴたりと重なっていたので、だいぶ苦労したの、と沙梨先生は笑って話してくれた。
曲がりなりにも、そのときの気分は理解できた。
一言でいえば、それは悪夢だ。
書きたくても書けないのに、書き続けることを求められること。
たいして上手でもないのに、バスケ部の主将に任じられること。
スケールはまるで違うけれど、境遇は同じだ。
奇しくも、三作目のタイトルが『夢から醒めて』である。
なんとも意味深だが、それは文藝功労賞受賞という名の非現実的な狂想曲の夢から醒めたのではなく、書きたくても書けない、という悪夢の日々からの解放を願っての題名だったのかもしれない。
弱々しく笑う沙梨先生の姿が、バスケ部を辞めたい、と倫也に告げた日の自分と重なった。
ああ、この人は小説家でいることが幸せではないんだ。
ぼくの目には、そう映った。
荻原倫也が、山口先生が、そして小峰先生がぼくに新しい道を示してくれたように。甚だ身分違いで、なんの手助けもできやしないけれど、ぼくだって何かの役に立ちたかった。
十九歳から数えて四年間、一向に新刊は出なかったけれど、その間も沙梨先生は毎日欠かさず小説を書いてはいた。けれど、方々の出版社から「これはちょっと……」と全部ボツを出されて、結局作品が世に出ることはなかった。
全然本が書けなくて、せめて気分転換にと百貨店で服を売ったり、ホテルで給仕係をやったり、セレクトショップで働いたりもしたそうだ。けれど、だんだん働くほうが楽しくなってしまって、余計に書くことが億劫になってしまったという。
悪循環だが、気持ちは分かる。
納得がいくものが書けない分、せめて本ぐらいは読もうと読書量は増えた。でも世界文学などを読むと、テーマも奥深くて世界観も広くて、自分もこういうものが書きたいなと思うけど、実際に自分が書けるものとはあまりに違って、結局なんの参考にもならなかった。
そんな苦労話を間近で聞き、そしてまた書けるようになるまでの姿を見た。ぶんぶん唸るような才能が地に堕ちて、再び輝くまでの道程を特等席で観察した。
ぼくが今まですらすらと書けたように思えたのは、誰にも原稿を見せなかったからだ。編集者という名の門番の検閲をクリアしなければ、書き出すことすらもままならない立場とは違う。
空白の原稿用紙を前に、呻吟し、懊悩し、煩悶し、焦慮する。
そうしてやっと、書くべき一文が生まれる。
傍から見ると華々しいだけの職に思えるが、内情は想像以上に苛烈だった。
ぼくはこれから、その苦しみを味わうことになるのだろう。将来、小説家になろうがなるまいが、沙梨先生と過ごした日々は、これ以上ない学習機会だった。
スランプに陥っていた沙梨先生は、書きかけの原稿をいつもぼくに見せてくれた。それをずっと読んでいると、次はこうなるだろうなと、だんだんわかってくる。
それで、自分で続きを書いてしまう。そして自分で書いたものと、沙梨先生が続きとして書いてきたものとを比べる。
そんなことをこっそりと、中学三年の終わりから月に一度、都合三年ぐらい続けた。
最初の頃はやっぱりすごいな、と落胆したけれど、そのうち、どう考えてもぼくの文章の方がいいな、と思うようになった。その辺から、自分の文章に自信が持てるようになってきた気がする。
おおよそ四年もの長きに渡ったスランプに脱却の兆しが見え、新刊用の書下ろし原稿に一区切りつくと、沙梨先生のもとに定期的に訪れる理由が消滅した。
だから高校三年の夏休みを前に、こう言ったのだ。
「ぼくも沙梨先生と同じ大学に行きたいので、執筆のお邪魔でなければ、ぼくに現代文や小論文を教えてくれませんか」と。
小説家といえば、なぜだか早稲田大学出身が多いような気がする。
沙梨先生も御多聞に漏れず、早稲田出身者だ。
高校在学中に新人賞を受賞して、AO入試という名の一芸で大学に入ったから、受験国語なんか教えられないけど、それでも良ければと、家庭教師を引き受けてくれた。
受験勉強のため、などというのは、先生に会うための口実に過ぎない。
月に一度、沙梨先生の原稿を読んでいたのが、現代国語の課題文を読むのに変わっただけだ。師匠と弟子の関係は、本質的には変わっていなかったと思う。
「早稲田に行ったからって小説を書けるようになるわけじゃないけれど、文学部には創作意欲の高い人がいっぱい集まっているから、そういう環境から刺激を受けるのも悪くはないと思うよ」
沙梨先生は、ぼくにそんなアドバイスをしてくれた。
でも正直に言えば、大学なんてどこでもよかった。
図書館と本屋さえあれば、ほとんどのことは独学できると思っているから。
ただ、ぼくは沙梨先生の側にいたかっただけだ。
いみじくも倫也は「オレは春斗の保護者だから」と言ったが、それを言うならば、ぼくだって「師匠がダークサイドに堕ちないための監視役」だった。
事実はどうであれ、胸の内でそう思っているのは自由だ。
雌伏の時を経て、沙梨先生は自力で立ち直った。
ダークサイドには堕ちなかった。
どんなに書けなくても、書くことを諦めはしなかった。
その代わり、ぼくをぶった切った。再び書けるようになったら、もう用済みよ、とばかりに斬って捨てた。
師匠は変心してしまわれたのだ。弟子など最初からいなかったかのような扱いには、寂しさとも怒りともつかぬ、筆舌に尽くしがたい感情が湧いた。
名状しがたい感情を持て余しながら、ぼくは篠原さんのメールを読んだ。
柔らかい語調ながら、厳しくもあった。お前になど、打ち合わせに割く時間が勿体ない。そんなものはメールで十分。そう言っているようにしか聞こえなかった。
小説は誰かを救うものであって欲しい。ちょっとメルヘン入ってる気がするけど、至言だ。卑小ながら、ぼくだってそう思う。
でも小説を書くような人間は、小説を読むだけじゃ救われないからこそ書くんだ。書いているうちに、余計に救われなくなっても、それでも書くんだ。
ねえ、篠原さん。あなたは沙梨先生の担当だった編集者でしょう。だったら、ぼくの気持ちだって少しは分かってくれるはずだ。
そう思ったら、返す刀で斬りつけていた。
今、冷静になって読み返すと、何を書いてしまったのだろうかと恥ずかしくなった。でも、余計なことまで書いちゃうんだ。きっとそれが小説家って人種なんだ。どうしようもないね、ほんと。そう意味じゃ、ぼくも小説家の端くれかもしれないな。
いつもは一日以内に返ってくる篠原さんの返事は、数日間途絶えた。ああ、やっぱり。調子に乗って余計なことまで書いてしまったから返事はないだろうな。
そう思っていたら、三日後に返事はあった。
まさしく神のような回答だった。
玄先生が、秘蔵っ子である沙梨先生を篠原さんに預けた理由が知れた気がした。
「読者がどう受け取るかが全て。一度見限られた作家は二度と手に取ってもらえない」
まだ世に出てすらいない自分には、あまりに重い言葉であった。
実際、その通りであると思う。
でもね、篠原さん。反論したい部分がひとつだけあるんだ。
書き手の意図を汲み取れる読者に向けて書くのではなく、読者に意図が伝わるように書く。まだぜんぜん未熟だけれど、ぼくだって、一応そういうつもりで書いてはいるよ。
でも、作者に「書く力」があるように、読者にも「読む力」があると思うんだ。
批判されるのは書き手の宿命だし、読者には好き嫌いがあって、技術的な拙さがあればそれを指摘されるのも当然のことだろう。
ただ、「読む」能力に欠ける読者が、自分基準で「わからない」ってだけで、作品に罵詈雑言を並び立てて貶す風潮に憤りを感じる。
作品は世に出た瞬間に、著者や編集者の思いは意味を持たなくなる。
その通りだと思う。市場の声がすべてだ。その作品が「面白いか」「つまらないか」という点に関する評価において、集合的な知性は判断を誤たない、と思っている。
けど、個別の声は別だ。誤読の上に、明らかに正当性を欠く意見にまでは、いかな作者とて、さすがに責任は持てない。読後のレビューに綴られる怨嗟の声は、作者への嫉妬の裏返しであるのかもしれない、と思う時がある。
なんでこんなくだらない文章で、お前は物書きとして認められているんだ。こんな駄文を片手間でひょいひょい書くだけで莫大な印税を貰っているのか。ふざけるな、この本に費やした時間と金を返せ。
そう言いたくもなるような作品がないわけじゃないし、そういう稚拙な作品ばかりを粗製乱造していれば、いずれ文芸は地に堕ちる。
それもまた意見の一つだ。意見の一つだとは思うけれど、それを言ったところで何の意味もない。意見的な価値からすれば、無価値。それどころか有害だとすら思う。意見者の溜飲を下げ、出版社の拝金を責め、編集者の無能を叱責し、作者の心を抉るだけだから。
しかしながら小説の読み方なんてものには正解がないし、それを前提とすれば誤読なるものは存在しない、ということにもなるのだろうか。つまりは、すべての意見を甘受せよ。
結論的にはやっぱり、読者がどう受け取るかが全て、ってことになるわけだけど。だとしたら、学校の国語の授業で「作者の気持ちを述べよ」とか「作者の考えを述べよ」みたいな設問があるけど、あれってものすごくナンセンスだよね。
だって、答えはすべて「読者次第」なんだから。
そもそも作者だってなんでこんな文章を書いたのかわからない時だってあるはずだから、事後的に書かれたものを読む立場の読者がそれをすべて理解できるなんてことは原理的に有り得ないと思うんだよね。
ぐちゃぐちゃとそんな風なことを考えたけれど、メールには書かないことにする。
さっさとプロットを送って来いよ。そんな空気をひしひしと感じるので、さっぱり考えがまとまらないけれど、ひとまず書いて送ることにした。
ロックバンドの演奏風景だとか、レコード会社との契約の打ち切りの場面だとか、メンバー同士の会話だとか。実際書くとなると畑違いすぎて、最後まで書ける気はしなかった。
学校と自宅とコンビニの話からあまりに離れすぎていて、今のぼくには処理しきれないだろうことは書き出す前から明白だった。書く前から分かる。あ、これ途中で破綻するわって。
でも、プロットを送って来いって言われたから、なにかしらの案を捻り出さなきゃ、ぶっ殺されるかもしれないし。だから文末に、むにゃむにゃと逃げ口上を付していたら、篠原さんの返信は案の定それを見透かしたようなものだった。
プロットは面白い。けど、小説向きじゃない。
意味するところは、「これじゃダメ。書き直して」であろう。
仰る通り、声を失ったボーカルがホワイトボードを首からぶら下げて、バンドメンバーと筆談している場面は、映像で見せれば一発で伝わるけれど、文章で書くとなると、面白味は一気に薄れる。小説は、心の声、いわゆる心情を描写するには向くが、物理的に声が出ない、という辛さを描くには、どうしたって映像に劣ってしまう。
そういう観点からすれば、提出したプロットはまさしく映像作品向きで、小説には不向きというのも頷ける気がした。書くべき題材がどの媒体での表現に向いているかも意識しなさいよ。きっと、そんなアドバイスも含意されていると思う。
それにしても、表面上はきちんと褒めながら、その実、駄目出しになっているという二重構造は、どんだけ高等テクなのだろうか。言葉の裏を読まない倫也なら、「おお、めっちゃ褒められた」って舞い上がるところだろうな。
「藤岡さんは情緒のある会話が書けるので」
……どこが? である。
学校では無愛想の無口キャラで通っているんですけど。
「オーソドックスな恋愛や青春物に挑戦されても良いかもしれません」
これは篠原流の当てつけか、嫌味なのだろうか。中学では逃げるようにして部活を辞めたし、恋愛なんてものには一生縁がないであろう灰色の人生を送っているんですけど。
「青春や恋愛に特化した小説を書かれたほうが、著者の魅力が出てくるに思わされました」
それこそ、学校と自宅とコンビニの往復の話になりますけど。
でもそれで良いっていうなら、書くべきは一つだ。
現状において「書きたい」と思えるものは、これしかなかった。舞台は学校と自宅とコンビニだけで事足りる。取材も一切要らない。ジャンルは恋愛でも青春でもないと思うけれど、今までに見聞きしてきたものを脳内で再構成すれば、きっと書ける。いや、書かなくてはならない。世界観が小粒なまま、ほとんど膨らまずに終わる気しかしないが、それがぼくの今生きる世界だ。これを書かずして、いったい何を書けばいいというのだろうか。
篠原さんの意見に真っ向から背きたい、と思ったのは初めてだ。
完全に意見の不一致だね、篠原さん。
もとより自分に「この作品でなくてはならない、という強いモチベーション」なんてどこにもない。惰性で学校に通い、嫌気の差した部活を途中で投げ出して、挙句大学受験すらも完遂することなく終えるだろう。
ぼくは生きること、すべてにおいて強いモチベーションなんて抱いたことがない。ただ、死なずに生きているだけだ。息を吸って、吐いているだけだ。
そんなぼくに、沸き起こるマグマのような創作意欲なんて高尚なものが眠っているはずもない。枯れた井戸をどれだけ掘ったって、これっぽっちも水は出ないのと同じだ。
書きたい。書きたい。書きたい。書かなければ死んでしまう。
そんな切迫した気分に陥ったことなど一度もないけれど。
それでも、ぼくは書くよ。
たとえ、篠原さんが止めてもね。
空白のワードファイルに、一文字目をタイプした。
冒頭の書き出しの言葉は、ずばり「愛」だ。
どこかで目にした始まりだ。
書き始めれば、なんのことはない。
書きたいことは、頭の中に次々と浮かんだ。
高槻沙梨の模造品では世に出れないということだったので、いろんな作家の文体を適当比率で混合してみることにした。
ベースは沙梨先生、スパイスに玄一朗翁の毒をたっぷり。隠し味にハルキを少々。とりあえず一人称で「僕」と書いておけば、なんとなくハルキ風になるだろう。
各々の文体は模倣であるかもしれない。思索は借り物かもしれない。真の意味において、独創性なんてものはどこにも存在しないのかもしれない。
でも、どの言葉を抽出し、どんな順番で並べるか。言葉はすべて借り物であったとしても、その二つさえ異なれば、そこには何がしかの独自性は宿ると思う。少なくとも、ぼくはそう思っている。
書かれたものを読めば、それは何よりも雄弁に書き手の頭の中を物語っている。人を感動させる悪文もあれば、何ら心に響かない白々しい美文もある。性格の悪さが透けて見える狡猾な文章もあれば、お人好しぶりが滲み出る温和な文章もある。
隠そうとしたって、文には人格が宿るのだ。
人品骨柄、そのすべてが宿るのだ。
絞り出した言葉に虚飾はない。吐き出した言葉は、たとえ借り物や、誰かの模倣であったとしても、それでもぼくの一部だ。一旦、ぼくというフィルターを通過した言葉の群れは、仮に一言一句誰かと同じ言葉であったとしても、それでもぼくの破片だ。
そこにオリジナリティが無いというなら、いったい何をオリジナリティというのか。ぼくはまだ、世に出る準備の最中だ。しがない模倣者だ。沸き起こるマグマのような創作意欲なんて、この先きっとどこを探したって見つからないと思うし、ぼくの筆などは切れ味が鈍すぎて、まだ凶器とも呼べやしない代物だけれど。
それでも、ぼくにだってわずかばかりの狂気は眠っているはずだ。だから、いつの日かあなたに届けようと思う。この名もなき狂気を。
ひとまずは門番たる鬼を余裕でぶっ殺せるぐらいの切れ味まで得物を研いでから、私淑する師を貫きにいこうと思う。
今はまだちっぽけな狂気でしかないけれど、凶器はある。言葉という凶器がね。偽物だって研鑽を積めば、いつか本物を凌駕する日が来るかもしれない。
四年足らずの月日の間に育んだ憧憬は、容赦なく一刀両断された。あの日の意味をいつだって考えていたけれど、きっとあれは、「早く私と同じ世界においで。君はもう人真似なんかせず、自分の物語を書きなさい」という激励だったのだろう。
作者の気持ちなんて、本人に聞いてみなければ分からないけれど。きっとそういうことだ。そういうことにしよう。解釈は自由だ。
もしも、あそこでなんとかなっていたら。何らかの果実が手に入っていたら。ぼくは書くべき動機を失っていたかもしれない。それこそ永久に。沙梨先生はぼくにこう言いたかったのだ。
そんなところで満足しちゃだめだよ、と。
遅れてこの世界にやって来た君に、遠慮なんか要らない。正しく暴走しなさい。暗い欲望を燃やすには、充足よりも渇望が必要だ。それが書くためのエンジンだ。尽きることなき動力源だ。
ぼくを認めろ。
書くべき理由があるとすれば、それだけだ。それこそが書くべき主題だ。だから、小説の冒頭にはあなたの痕跡を残すことにする。
誰もが分かる形として。
愛とは、社会的に容認された狂気だ。狂気そのものだ。
愛するものを得ること。愛するものを失うこと。そのどちらも、狂気に直結する。内に秘めし狂気は、いずれ凶器を手に握らせるに至る。ゆえに愛とは凶器である。愛なる狂気に貫かれ、死に至るか。誰にも愛されず、生き延びるか。生くるべきか、死ぬべきか。それが問題だ。
愛とはすなわち凶器であるが、愛なき男にも等しく凶器は備わっている。言葉に託せし剥き身の狂気は数多のか弱き女性のみならず、言葉を用いる本人にとってすら凶器そのものと化す。愛なき凶器に貫かれ、文字通りの死を疑似体験したすべての人間に同情を禁じ得ない。この世から、いっそ愛なるものが跡形もなく滅びてしまえば、世界はいくらかでも平和を取り戻すであろう。
凶器まみれのこの汚れた世界など、消し飛んでしまえばいい。滅びてしまえばいい。
そうは思いつつも、鋭く磨かれた凶器には、抗いがたき魅力があるのもまた事実である。
本気でそう思った、十八歳の夏だった。
閉じた扉があれば、開くまで叩き続けるだけだ。
ぶっ壊してでも開ける。
門番をぶっ殺してでも、こじ開ける。
だって、ぼくこそは魔弾の射手なのだから。