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積み荷の分際 第13話
「凛さんが……死んだ」
鴻上が吐き出した言葉が、すんなりと飲み込めなかった。
「いや、悪い。忘れてくれ。会社関係者には伏せていたんだ」
「どのみち聞いてしまいました」
在沢が押し黙っていると、無表情の鴻上が訥々と話しだした。
「どこから話せばいいんだろうな。そうだな、凛が筑波先端科学技術大学を選んだところから話すか」
毬藻好きの凛がどうして筑波先端科学技術大学の門を叩いたのか、付き合いたての鴻上が不思議に思って訊ねると、凛ははにかみながら志望動機を語ったという。
高校生だった凛が「私は藻の研究者になる!」と宣言したところ、親戚一同が寄ってたかってストップをかけた。
「やめとけ、凛。藻じゃ食えねえ」
「藻なんか研究してどうするつもりだ」
「凛、ほらこの大学にしとけ。なんか先端らしいぞ」
筑波先端科学技術大学の入学案内パンフレットを渡された凛は、さして乗り気ではなかったが、親戚一同に薦められたこともあってキャンパス見学に訪れた。
大雑把に「藻類」とひとまとめにされている生物群は「酸素発生型光合成を行う生物から陸上植物(コケ、シダ、裸子、被子植物)を除いたもの」と定義されている。
原核生物のシアノバクテリアと多様な真核藻類が含まれる一方、緑色藻類から進化した陸上植物は除外されている。陸上植物だけを「植物」と呼び、藻類はなぜだか仲間外れにされている。
藻類はとかく除け者にされがちだが、光合成して酸素を放出する藻類のおかげで現在の地球環境ができたのだ、ということを人間たちは忘れている。
藻類は三十億年以上前から地球にいて、人間が生存できるような地球に大改造した功労者だ。藻類が存在していなければ、この世に人類は存在していなかったわけであり、その意味からすれば藻類は人類の起源である。
人類の起源を研究したいと思うことはそんなに変なことなのか、と親族たちに抗弁してみたりもしたが、鼻で笑われただけだった。
凛が大学キャンパスをうろうろしていると、やけに活気のある講義室があった。青い目で、灰色の縮れ毛が印象的な外国人が教壇に立っていた。
流暢な日本語で喋っていたのは、レイ・タウンズ教授だった。
「この大学で藻の研究はできますか」
授業終わりに凛がおそるおそる話しかけてみると、タウンズ教授は気さくに答えてくれた。
「私は人工知能を研究しています。藻類が地球進化と生物進化を牽引したように、人工知能も地球環境と生物の在り方を劇的に変えるでしょう。我々は今、歴史の変革期に立ち会っているのです」
タウンズ教授は茶目っ気たっぷりに付け加えた。
「脳と藻は立ち位置が似ていますね。この世界がどのようにして出来上がったのか、どこに向かおうとしているのか、その極北に在るのですから」
人工知能が時代の最先端であるとすれば、藻類は時代の最末端である。末端から先端へ、その変遷を研究してみるのも意義深いことだと思いますよ、と助言された。
タウンズ教授の御高説に感銘を受けた凛は、勇んで筑波先端科学技術大学に入学した。しかし、周りは科学オタクばかりで、藻について熱く語れる友人に恵まれなかった。藻の良さを熱心に語っても、「君、なんで筑波先端科学技術大学に来たの?」と不思議がられるだけだった。
誰も彼もが藻についてさっぱり理解を示さない親戚と同じような反応を示したので、この大学にはタウンズ教授以外に私の理解者はいないのだ、と半ば諦めた。
人前で藻について話すことを封印する忍耐の日々が続き、ようやくタウンズ教授のゼミに入れたところ、鴻上仁に出会った。まるで毬藻のようにうねる素敵な髪型を見て、一瞬にして心がときめいた。
なんとか毬藻の良さを伝えたくて、頑張って話しかけたけれど、最初のうちはほとんど相手にされなかった。それでもめげずに話しかけ続けるうち、鴻上仁は凛を受け入れてくれた。
凛と鴻上仁は同棲するようになり、筑波山の麓にあるタダ同然のオンボロの蔵を買い取って、建築学専攻の学生たちの協力を得て、理想の別荘を完成させた。大学院への進学が決まっていた凛だが、大学卒業間直になって妊娠が判明した。
凛は悪阻がひどく、なかなか大学院に出席できずにいた。
大学院よりも中央病院に通院する回数が増えた。
「仁君、私ちょっとおかしいかも」
鴻上がそう告げられた時には、凛はお腹の子供を流産していた。
精神的に塞ぎ込むようになった凛は大学院を自主退学し、別荘に引き籠るようになった。心配した鴻上があれこれ励ましたが、虚ろな目をした凛はほとんど無反応だった。
「ごめんね、仁君。ちょっと気分転換にドライブしてくる」
「危ないから、オレが運転するよ」
鴻上が必死に宥めたが、凛は頑として譲らなかった。
「平気、私だって運転ぐらいできるよ。仁君に迷惑ばかりかけたくない」
それが内海凛の最後の言葉だった。
イモータル・テクノロジー社が買収され、ヒイラギ・モータースに転籍していた鴻上は、広報宣伝部や営業部との付き合いもあり、人気車種の『ReMove』を社員割引価格で購入していた。
リーヴに乗った凛は、天然の毬藻が生育する山中湖を目指した。早朝に出発し、日帰りの予定だったはずが、夜更けになっても凛は帰ってこない。
鴻上が電話をかけ、立て続けにメールで連絡をしても応答はない。
別荘で凛の帰りを待つ鴻上は胸騒ぎがした。
結局、凛が鴻上のもとに帰ってくることはなかった。
凛の代わりにやって来たのは、年若い交通事故捜査係だった。
警察の説明によれば、凛は中央自動車道富士吉田線花咲トンネルのS字カーブでハンドルを切り損ない、壁に突っ込んだという。
「車線変更禁止の二車線で、隣車線に割って入ろうとしたようです。慌ててブレーキをかけようとしたが、間違えてアクセルを踏み込んでしまい、カーブを曲がり切れなかったのだろうと見ています」
「ハンドルを切り損なっただけではないんですか」
「そのように報告を受けております。いずれにせよ事故は事故です。多重衝突に発展せず、幸いでした」
真実の追及などはどうでもよく、本件は運転操作ミスによる事故として処理します、とでも言いたげな態度に鴻上は不信感を抱いた。
「ほんとうに事故だったんですか」
「……と、言いますと?」
「EDRを調べれば、アクセルとブレーキを踏み間違えたかどうかはすぐに判明しますよね」
アメリカに留学した鴻上は、EDRのことを知っていた。
事務的だった交通事故捜査係の顔色がわずかに紅潮した。
「仰る通りですが、EDRの解析には時間がかかります。一週間ほどお時間をいただき、また解析結果をご報告に参ります」
そう言い残して、交通事故捜査係はそそくさと立ち去っていった。
内海凛との馴れ初めから別れまでを語り終えた鴻上は、大きく息を吐き出した。
事後報告に訪れた交通事故捜査係によると、凛の一件は「アクセルとブレーキを踏み間違えたことによる事故」と結論付けられた。
ハンドル操作の件については言及がなかった。
事故当時はEDR解析班に所属していなかった鴻上は結論に釈然としないものを感じたが、黙って飲み込むしかなかった。
愛する人の死をきっかけにEDR解析班への異動を申し込むと、何カ月間も待たされた挙句に希望が受理された。
恋人の事故の一件は蒸し返さないこと、との誓約書を書かされた上での異動だった。いずれにせよ真実を知りたかっただけであり、誓約書を書かされた分だけ、疑惑がよけいに深まった。
鴻上が解析班に移り、いちばんに驚いたことは、「EDR解析には十五分もあれば事足りる」ということだった。
いつぞや交通事故捜査係が口にした「EDRの解析には時間がかかります。一週間ほどお時間をいただく」という言葉は単なる無知によるものか、そうでないならば意図的な虚偽だと知った。
「なあ、有意。お前も卒業前に事故って、死にかけたよな。あれはレンタカーだったっけか」
「はい」
「車種は覚えているか?」
「いえ……」
在沢有意は曖昧に首を振った。
「もしかして、ReMoveだったんじゃねえのか」
「分かりません」
内海凛の死亡事故から間もなく、ヒイラギ・モータースは『ReMove』の生産中止を発表した。その後、イモータル・テクノロジー社の開発した自動運転『MeMove』をお披露目する。しかし、テスト走行中に撮影クルーの網野晃を轢き殺してしまった。
人身事故の原因は「自動運転車が突如として暴走し、パニックに陥ったテストドライバーがアクセルとブレーキを踏み間違えたのではないか」と報道された。
「凛が亡くなった時には気がつかなかったけど、今回の自動運転車の件で確信した」
怒りを露わにした鴻上は、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
「事故後の処理の仕方がまったく同じ構図だな」
在沢有意は別荘のゲストルームをあてがわれ、一夜を過ごした。本棚も家具もなく、冬枯れした里山のような物悲しい部屋に布団を敷いて眠りについたが、眠気はあるのにまったく寝付けない。
明かりを落とした暗い部屋の片隅にある窓枠に、瓶詰めにされた毬藻がぽつんと置かれていた。瓶の中の水はわずかに濁っており、ピンポン玉よりも小ぶりな毬藻が二つ、肩を寄せ合い、寒さを凌ぐカップルのようにくっ付いている。
内海凛の痛ましい死を知り、名状しようのない虚脱感に襲われた。なかなか眠りの世界に逃亡することができず、徐々に暗さに目が慣れてしまった。
枕元に置いたLiSAがきょろりと目を動かす。
車中でのコミュニケーションに特化したLiSAは首を回したり、目を動かしたりはできるが、自ら移動はできない。置かれた場所にちんまりと座っているだけだ。
運転中に振動や突然の急ブレーキで転げ落ちたりしないように、ミーヴにはLiSA用の特別席が設けられているが、それ以外の場所に座ると、こてんと倒れそうな赤ちゃんのように不安定だ。
《どうしたの、有意。元気ないわね》
「今夜は眠れそうにないんだ」
《そう、なにか眠れる音楽でもかける?》
言葉遣いを心持ち上品に設定すると、LiSAに声という名の命を吹き込んだ内海凛本人が喋っているように聞こえてきた。
「子守歌を歌ってくれるかな。君の声で」
届くのならば、流産してしまったという君の子に向けて。
隣の部屋で孤独と眠る藻に向けて。
それから、声の主である君自身に向けて。