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積み荷の分際 第2話
ミーヴは曲がりくねった林道を快調に走っていく。
陽光が杉木立に遮られ、ふいに車内が暗くなった。
何も手を触れていないのにハンドルが左右に傾くのを見守っているだけの看守役を任じられた在沢は、気がついたら目を瞑っていた。大学の講義中にうとうとしていたら、知らぬ間に意識が飛んでいたことが何度もあるが、そのたびにレイ・タウンズ教授にお叱りの言葉を頂戴した。
《意識はあるかね、ミスター・アリサワ》
ほんとうにタウンズ教授の声が聞こえた気がして、在沢はびくっ、と肩を震わせた。一瞬にして眠気は吹っ飛んだ。
科学の二大ミステリーは「地球外の宇宙」と「頭の中の宇宙」であると考えたタウンズ教授は、キャリア初期は宇宙物理学を研究し、現在は頭の中の謎を解き明かすべく、脳の解析に挑んでいる。
人工知能研究者に転身した教授のもっぱらの関心は「意識」の問題だ。ほとんどの研究者がAIを実用的にすることばかりに血眼になるなか、理解可能で信頼できる明瞭な知性を持つAIこそが必要だと説いている。
教授の頭の中には別の宇宙があるのか、言葉こそシンプルだが、講義を聞いていても在沢には何がなんだかさっぱり理解できた気がしなかった。
タウンズ教授はイモータル・テクノロジー社の特別顧問であり、ゼミでもさんざんお世話になった恩師であるから、たとえ幻聴であろうと、その声を聞くだけでもビビってしまう。
あらゆる点で人間を凌駕する「超知能」である汎用人工知能――AGI(Artificial General Intelligence)が誕生したとして、機械のほうが人間よりも何でも上手にこなせるのなら、人間であることの意味とは何なのだろう。私たちは何のために生きるのだ。
タウンズ教授の問いかけは深淵過ぎて、在沢のちっぽけな宇宙ではとても回答できる種類の謎ではなかった。
在沢の首筋に冷汗がたらりと流れた。両手はじっとりと汗ばんでおり、常に真剣に考えることを求められたゼミの一幕がありありと目に浮かんだ。
《意識はあるかね、と聞いている。返事をしたまえ、リサ》
今度こそ、はっきりとタウンズ教授の声が聞こえた。先の声は、幻聴などではなかった。コミュニケーションロボットのLiSA の口を通じて、タウンズ教授が喋っている。
「は、はい。ばっちり聞こえております、教授」
《結構だ、ミスター・アリサワ。では、ひとつ質問をしよう》
運行管理センターに遠隔監視者が控えているのは知っていたが、そこにタウンズ教授がいるなどとはこれっぽっちも聞いていない。日頃は紳士的な言動で、滅多に激することのないタウンズ教授だが、苛立っているときは「名字を省略して呼称する」という癖がある。
ミスター・アリサワと呼びかけられているときはまだ平和だが、リサと呼ばれたときには気を抜いていたことを猛省せねばならない。
《今、運転をしているMeMoveには意識があるかね》
助手席に座る柊木政務官のことなどそっちのけで、マンツーマンの講義が始まってしまった。
「それは、その……」
《どうした、君の考えを述べたまえ》
人工知能は意識を持つことはない、というのが定説であるが、何を持って「意識」とするかによる。
「意識の定義によるかと思います」
《では、意識とは?》
「意識とは、たんに主観的体験であると定義します。人間が車を運転した場合、前方の景色や周りの音、車の振動、そのときに生じた感情など、様々な体験をします。自動運転車両を司る人工知能が運転の最中になにかしら主観的に感じられるものがあるならば、それは意識を持っているということになるでしょう」
在沢の回答を吟味するような間があった。
《よろしい。後ほど、報告書を提出したまえ》
タウンズ教授がやけにあっさり話を切り上げた。在沢がふと周囲を見渡すと、沿道にずらりと詰めかけた報道陣の姿があった。試験走行を間もなく終えようとするミーヴの姿をより間近に捉えようと、テレビ局の撮影クルーたちが押し合いへし合いをしている。
次期首相候補と目される柊木政務官の晴れ姿を映像に収めることを厳命されているのか、報道カメラを携えた撮影クルーとリポーターがあろうことか、車道のど真ん中に位置取りした。
ミーヴは車線上に「人間」を感知すれば直ちにブレーキをかける設定となっている。それは報道陣にも事前に伝達済みだ。テレビカメラの前で計ったようにぴたりと停止する自動運転車という分かりやすい絵面を求めてのことだったのかもしれない。危険なことは何もないだろう、と思ってのことだったのかもしれない。
しかし、ミーヴは減速するどころか、一気に加速した。
ブレーキをかけるような気配はなく、慌てた在沢が手動運転に切り替えようとしたが、間一髪で間に合わなかった。
暴走したミーヴは、獲物の喉元に食いかからんばかりの勢いで、邪魔者を撥ね飛ばした。
テレビカメラは粉々に砕け散った。ぐしゃり、という音がしたと同時に、ボンネットの上で人間が毬のように弾んだ。目の前の光景が色を失くし、スローモーションのように映っていた。
唐突に映像が途絶え、耳にはタウンズ教授の声ばかりが反響する。
《意識はあるかね、ミスター・アリサワ》