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ウォーターフォール 第12話
第12話 狩人
石丸は一人きりになったエレベーターのなかで、事件を時系列に振り返った。
小会議室でマーダー・ゲームが行われ、いちばん最初に部屋を出て行ったのが黒葛原。
その次に部屋を出たのが河下文水、その後を尾行したのが宇佐麗奈。
それから阿川彩夢が部屋を出て行き、石丸と添島天の二人が最後まで会議室に居残った。
宇佐麗奈の証言が真実だとすると、田辺殺しの一件に関して河下文水はシロとなる。それを見ていた麗奈も当然ながらシロ。部屋を出ていった順番からして阿川もシロ。石丸と添島は互いが互いにアリバイを証明できる時点でシロ。
五人の中には田辺を死に追いやった狩人はいない、というのが暫定の結論となる。
田辺が自死であったか否かは判断がつかないが、これらすべてが黒葛原の計画によるものだとすれば、ホテル内部に敵はいないというのに、互いに互いを狩人だと誤認して疑心暗鬼に陥っている時点で黒葛原の術中に嵌まっていることになる。
ホテルの外に狡猾な狩人が潜んでいて、それと知らずに死の円環が幕開けしかねない構図だが、もし次に狙われる格好の獲物がいるとすれば、田辺の死の瞬間を目撃してしまった公算の高い河下文水であるだろう。
ついさっき今日はひとりで眠ったほうがいい、とすげなく突き放してしまったばかりだが、状況が変わった。備品置き場からなにか武器になりそうなものを見繕い、ひとまず明日の朝まで二〇一号室の前で歩哨に立とう。
マスターキーを借りるべく添島天を探した。さすがにもういないだろうと思いつつ、食事室に足を踏み入れると、阿川と添島が缶ビールを呷りながら互いに大声で罵りあっていた。
薄黄色と泡にまみれた床には空き缶が散乱し、素面ではやってられないとばかりに女たちの顔は真っ赤で、目を血走らせながら髪を引っ張りあっている。
「あんたが運転手を殺したんでしょう。自殺に見せかけて不倫の清算をしたんでしょう」
「不倫なんてそんなコスパの悪いこと、するわけないっすよ」
修羅のごとき形相の阿川彩夢は、髪を振り乱しながら大声で騒いでいる。昼下がりに見せていた冷静な仮面はどこへ行ってしまったのだろう、と不思議に思えるぐらいの取り乱し方だった。
間に割って入り喧嘩の仲裁をするのも馬鹿らしかったが、こんなにもくだらない言いがかりが凄惨な殺し合いにまで発展するかもしれないと思うと、おちおち傍観してもいられなかった。何もかもが黒葛原の思う壺だ。
「いい加減にしてください。いい大人がみっともないですよ」
「うるさい! ぶっ殺すわよ!」
怒り狂った阿川を羽交い絞めにすると、しばらく幼稚な舌戦が続き、ようやく休戦と相成った。ぜえぜえと大きく肩を怒らせた阿川は、添島と石丸を親の仇かのように睨みつけた。
阿川は床から空き缶を拾い上げると、石丸に向かって思い切り投げつけた。乾いた音を立てて壁に当たった缶が床に転がり、食事室は強盗に荒らされたかのような悲惨な有様だった。
皆、それぞれに冷静さを欠いており、およそ正気を保っている人間は見当たらない。
阿川彩夢は大きく舌打ちをすると、荒れ果てた食事室から引き上げていった。髪はぐしゃぐしゃに乱れ、パンツスーツがしわくちゃになった添島天は、火の消えたロウソクのようにへなへなと床に崩れ落ちた。ごしごしと拭った目元には大粒の涙を溜めていた。
「ナベさんは自殺ですよ。運行日誌にこっそり遺書を書いてましたもん」
添島天がぽつりと聞き捨てならないことを呟いた。
「……自殺?」
石丸のオウム返しに、添島は力なくうなずいた。