傾国老人 第十話(最終話)
じいちゃんは病院を抜け出せるような体調ではなかったので、判決期日は、ぼくひとりで傍聴に訪れた。
「森保由布子を控訴人とする、遺言無効確認等請求事件の判決を言い渡す」
大阪高等裁判所の法廷のいちばん高い所に三人の裁判官が座っており、原告席には柏木弁護士と森保おばさんが座っていた。
「主文」
裁判官の朗々とした声が響く中、地元の記者たちは小ぶりのメモ用紙にペンを走らせている。
「一、原判決を取り消す。二、控訴人と被控訴人伸太郎との間において、亡森保伸和が平成二十一年三月九日にした原判決の自筆証書遺言は無効であることを確認する。三、訴訟費用は第一審、第二審を通じ、全部被控訴人らの負担とする」
判決文を読み終えた裁判官は柔和な笑みを湛え、森保おばさんの方に顔を向けた。判決は言い渡されたが、おばさんはぽかんとした表情を浮かべている。裁判官の言葉の意味を咄嗟に理解できなかったのは傍聴席も同じで、騒めきひとつなく、凪いだ海のように静かだった。
「つまり、逆転勝訴したということです。お分かりですね」
裁判官が補足すると、それまで水を打ったように静かだった法廷が一気にどよめいた。まるでよく出来た映画の如き結末にはいささか白々しいものを感じたが、そんな内心の感傷にはお構いもせず、柏木弁護士は使い走りのぼくに向かって深々と礼をした。
直立不動の姿勢で森保おばさんの背後を守るように立ち、ぼくにはあえて接触しようともせず、労いも励ましもなく、無駄な言葉はひとつとしてなかった。苦虫を噛み潰したような表情は、まったくもって勝訴を祝うべき場面に似つかわしくない。
ああ、この人はすべてを知っているのだな。
そう思うと、やりきれなかった。
裁判席と傍聴席の間には高さ一メートルほどの木製の柵があり、決して越えられない隔たりを感じた。
向こう側とこちら側は、元来交わることのない違う世界だ。
退廷していく裁判官たちの後ろ姿を、長男の伸太郎が被告人席からまるで親の仇かのような形相で睨みつけていたが、それ以上、様子を窺うことは止めた。逆転敗訴した伸太郎は腹の虫がおさまらないのか、突然に奇声を発し罵詈雑言を並べ立てたが、途中から静かになった。顧問弁護士に制止され、渋々退廷していったようだ。
判決が下った以上、今さらなにを言おうと後の祭りだ。
「文句があるなら再訴訟の糸口を探って、また法廷で争え」
じいちゃんなら、きっとそう言うだろう。
傍聴席に陣取っていた地元記者や物見遊山の見物人たちがぞろぞろと法廷を後にしたが、なんとなく帰りそびれた。何をするでもなく、その場に居残っていると、森保おばさんがぼくの存在を認めて、仕切柵まで小走りに近寄ってきた。
「春斗くんっ!」
森保おばさんはぼくの手を包み込むように握ると、ひとしきりの御礼の言葉を口にした。それからわずかな間があった。問うてはならぬことを問いかけてもよいものか、という逡巡がおばさんの脳裏に浮かんだのかもしれない。
「藤岡先生が入院なさったと聞いたのですが」
柏木弁護士から漏れ聞いたのだろう。じいちゃんは不測の事態もあるやもしれぬ、と柏木弁護士には包み隠さずすべてを話したようだが、森保おばさんには不要な心配はかけたくないからなのか、それともただの強がりなのか、ともかく病状を一切告げなかった。
「ただの検査入院なので、すぐに退院できると思います」
じいちゃんの意を汲めば、そう答えるしかあるまい。
それに、これは嘘ではない。検査入院であることも、近々退院できる見通しであることも本当だ。
「じいちゃんに良い土産話ができました」
へらりと笑ってそう言ったが、空疎な会話が何時間もの長さに感じられた。森保おばさんと柏木弁護士に小さく会釈して、そそくさと傍聴席を後にした。
裁判所を出てから、当て所なくぶらぶらと歩いた。
ふと失地回復したばかりの千年堂の姿を見に行こうかと思ったが、途中で止めた。外観がどんなに立派でも、人の営みのないビルなど、ただの箱だ。千年堂が本来継ぐべき人間の手の元に戻り、営業を再開したその日に、ゆっくり訪れればいい。
ただ、じいちゃんは千年堂再興の喜ばしい門出を、自分の目で、直接見ることは叶わないだろう。
じいちゃんの退院予定日とは即ち、魂の抜け殻、人の営みのない、単なる箱になってしまう別離の日を意味するのだから。
後日、千年堂を取り巻く一連の御家騒動に終止符が打たれた、との見出しを目にした。傍聴席では判決を聞いただけだったが、判決理由は以下の通りであった。
元科捜研鑑定士の鑑定書は「類似状態」ないし「類似文字」という印象から、第一遺言書と第二遺言書の筆跡が同一人物のものであると判定しているが、その基準が必ずしも明確ではない。
「固有筆跡」に着目し、その異同を判断しているが、固有筆跡についても真字に似せて記載することも有り得るため、固有筆跡に着目する方法が常に相当な方法であるとは言えない。
筆順の相違は固有筆跡における最たるもので、それが「布」の書き方に表れている。
伸和の日記の「さ」字と、第二遺言書における「さ」字を比較すると、前者は「左」字を草体に崩した筆遣いであり、後者はこれと明らかに異なる字形である。
以上より、「第二遺言書及び本件覚書等が伸和の真筆であると認めるには足りないという他はない」との結論に達したようだ。
一度大阪高裁で判決され、これを不服とした原告の訴えを最高裁が却下したのと同一内容の裁判が全面的にひっくり返った大逆転劇。まさしくコペルニクス的な判決であった、とネットニュースが興奮気味に報じている。どこよりも権威と面目を重んずる裁判所が自らこれを覆したわけで、奇跡と呼ぶ弁護士すらあった。
識者によると「筆跡鑑定に対して類例のない踏み込みと見識が示された歴史的な判決」であったそうだが、奇跡の立役者であるじいちゃんは、これを歴史的勝利とは見なさないだろう。
これまでの判決を最後の最後になって覆した裁判所にも多少なり人間らしい良心の欠片はあったようだが、だからといって一度勝つ前に都合四度も敗れた、という事実は消え失せたりはしない。
奇跡の前になんど現実が立ち塞がったのかは当事者以外見て見ぬふりをするのだろう。判決が覆るまで戦った由布子おばさんが途中で諦めていれば、歴史的な判決が下されることもなく、筆跡鑑定が孕む様々な問題も表沙汰になることはなかった。
そう考えると、判決理由にある「布」の書き方の違い、という項目がいかにも意味深だ。
第一遺言書の「布」の筆順は、「ノ」から始まる正規のもので、第二遺言書は「一」から始まる非正規のものだった。
素人目にはこれだけでも動かしがたい相違があるように思えるが、伸和翁の晩年の日記には、標準筆順のものと、「布」字の第一画と第二画の筆順を逆にする二通りが混在しており、筆順の違いを指摘するだけでは証拠として弱い、とじいちゃんは考えた。
そこで、じいちゃんは駄目押しの如くに新たな分析を加えた。
「ノ」から始まる標準筆順で書く「布」字は、必ず第二画の終筆と第三画の始筆を一筆に続ける草書の書き方であるのに対して、筆順を逆にする場合は第二画を必ず払い切り、第二終筆から必ず離して、第三画を始筆していると結論付けた。
後者は「布」の行書にあたり、中国書法の古典の中にもこの筆順による運筆例がある、との注釈まで付ける執念深さだった。
これに対して第二遺言書に表れた「布」の字は、第二終筆から第三始筆を切らず、一筆書きに運筆されている。伸和翁の固有筆跡である二つの筆順と草書・行書の使い分けのバリエーションの中には認められないものだった。
結果として伸和翁の書く「布」の字と、第二遺言書の「布」字とは筆跡の固有性が相違することが明確になり、第二遺言書は偽筆である、という判決に至ったが、そもそも「布」の字は、由布子おばさんの名前の一部だ。
長男が遺言書を偽造することを見越して、伸和翁が「布」の文字に偽造防止の予防線を張っていたのだとしたら恐るべきことだし、そのトリックを暴いたじいちゃんもじいちゃんである。
書に精通し過ぎた老人二人の合作であり遺作は、世の中に幾つもの疑問を投げかけたけれど、直ちに筆跡鑑定業務を取り巻く属人的な環境が改善されることはないだろう。
筆跡鑑定業界を牛耳る科捜研主体の天下が揺らぐはずはないだろうし、今回の奇跡的な判決が後の世のスタンダードになることもないだろう。それでも、稀代の筆跡鑑定士の仕事ぶりを最後に見れて本当に良かったと思う。
書の世界は、あまりにも奥が深すぎる。
途轍もなく陳腐な感想だが、一連の御家騒動に身を置いて浮かんできたのは、まさしくそんな思いだった。
残念なことに、じいちゃんは傾いた家が新しくなるのを見届けることなく亡くなった。古くなった家が取り壊され、地べたがまっさらになる場面にも立ち会えなかった。
年が明け、春を迎えた頃には頬はげっそりとこけ、色艶の良かった前年とは別人のようにがりがりに痩せ細っていた。
死因は末期の肝臓癌だった。肝臓が沈黙の臓器と呼ばれる所以は、高い自己修復機能が備わっているがゆえに障害があっても症状が出にくい、というメカニズムにあるようだが、そのご多聞に漏れず、肝臓癌が判明した頃には、とうに手遅れであった。
商売敵の科捜研も、居丈高な医者も大嫌いな人である。定期検診をすっぽかしていたと聞いて、不謹慎ながら、じいちゃんらしいな、と思った。
そもそも、どうしてじいちゃんは筆跡鑑定士になったのか、前々から不思議であった。本人も、家族の誰も詳しいことは教えてくれなかったけれど、じいちゃんが棺のなかで眠りについて、ようやく教えてもらえた。
じいちゃんは、もともと象牙の塔の住人であったらしい。ある日、書道教育史を教える同僚に達筆な筆文字で脅迫状が届いた。
「学校を辞めねば殺す」
どうにも、そんなような物騒な文面だったそうな。
脅迫文を書いたのは、前教授が退官し、不在となっていた教授職を狙うライバル的立場であった、じいちゃんの仕業とされた。
じいちゃんは自筆の筆跡と脅迫文の筆跡を逐一比較し、これは私の筆跡ではない、私が書いたものではないと必死の反論を試みたが、大学の理事会はじいちゃんの自己弁護を聞き入れず、面倒事の火種を刈り取るように、あっさり解雇を言い渡した。
あらぬ嫌疑をかけられた挙句、職さえも追われたじいちゃんは、四十歳になったかならぬかの頃、自宅を改装し、筆跡鑑定事務所を開いた。医者や弁護士のような公的資格はなく、名乗れば、その日からでも出来る仕事だったのがせめてもの救いだった。
書に造詣の深いじいちゃんにとって天職にも見える仕事だったが、そこに行きつくまでには相当の紆余曲折があったらしい。
当時から刀の鑑定や切手の鑑定をしている古物商界隈の人間が筆跡鑑定も兼業しているような世界である。江戸時代の目利きの伝統が色濃く残り、勘頼りで論理のないところは、まるっきり名人芸の発想で、鑑定のあり方は今も根本的に変わってはいないそうだ。
鑑定結果次第では、依頼人の人生を丸っきり左右する代物であるのに、鑑定者によって意見がころころ変わるなど愚の骨頂。
経験と勘による名人芸の世界を脱却し、誰が試みても同一の結論に至るという、科学的必然性こそが不可欠の条理である、とじいちゃんは説いた。
しかしながら、この世に全自動筆跡鑑定器のような便利なものは存在せず、また永久に造り得ないものである以上、ある種の名人芸的な鑑定結果にならざるを得ないことも、じいちゃんは重々承知していた。
それら、すべてを承知の上で言ったのだ。
筆跡鑑定は科学であらねばならぬ、と。
じいちゃんは筆跡鑑定の仕事を愛し、同時に心底では憎んでもいたのだろう。依頼人を待つ傾いた事務所は、余計なことはあっさりと口を滑らせるくせに、肝心なことは黙して語らぬ、じいちゃんの心性を明確に代弁していた。
じいちゃんは亡くなる間際に、絞り出すような声で言った。
「遺言書を偽造するような人間にだけはなるな。自己利益のために脅迫文を送るような人間にだけはなるな」
まともに喋れるような状態ではなかったけれど、ぼくの耳には、はっきりとそう聞こえた気がした。いや、それとも、
「遺言書など残していないから偽造しようとしても無駄だぞ。遺産は残された者が好きに分けろ。ただし分けられるものならな」
死の淵でも相変わらずに皮肉めいたことを言ったのかもしれない。
今となってはじいちゃんの真意は推測するばかりしかできないけれど、棺桶の中まで本音を抱えていくというのなら、それを無理にほじくり返そうとする必要などない気もした。
じいちゃんは傾いた家が新しくなるのを見届けることはなかったけれど、真っ二つに仲違いした御家騒動を解決する一助となった。「じいちゃんの鑑定書のおかげで判決は覆ったよ」
耳元で告げると、じいちゃんがうっすらと笑った気がした。
ぼくには、それだけで十分だった。
もちろん欲を言えば、すっかり真新しくなった家をじいちゃんにも見てほしかったけれど、長年酷使されてきた沈黙の臓器に、そこまでの時間は残されていなかったらしい。
傾いた古家があっけなく取り壊されるのを眺めるうち、歴史に裏打ちされた大切な何かが跡形もなく消えていくようで、無性に悲しくなった。
傾いた家がどんなに新しくなっても、その傾きは、じいちゃんの心のなかでは永遠に傾いたままだろう。
新しく生まれ変わった、どこもかしこも真っ直ぐな家を見たら、じいちゃんはなんと言うだろうか。
そんなの、決まっている。
渋い顔をしながら新居を見上げて、きっとこう言うだろう。
もうちょっと傾けろ。