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音楽を本格的に出来る日が、再び来た奇跡

 おはようございます! 無雲です!
 今朝はオーディオストックのコンペに出す作品の作業が終わりましたので、こうしてnoteに出没しています。そして、頭を切り替えるためにボーっとしていて思ったことを、アウトプットします。

 私は、かつて廃人でした。

 廃人だった頃の事と、そこからの復活を遂げた軌跡については、カクヨムに掲載中の『【改稿版】帰ってきた! 無雲の生態~お久しぶりです、生きてます~』をお読みください!

 廃人だった理由を簡潔的に書くと、その理由は統合失調症で多剤大量処方されている状態であったからです。

 今、私は廃人状態から回復し、まだ完全とは言えないけど病気も寛解に近付いている。そして、愛する人と結婚し家庭を持ち、一通り社会人として活動もし、今はフリーランスのクリエイターとして音楽制作や動画制作に没頭出来ている。

 今の「音楽制作を本格的に出来ている毎日」というのは、私にとっては奇跡の状態です。

 多剤大量処方の状態で頭が働かなくて、ただ呼吸をして生きているだけだった日々、病に倒れて音楽活動を休止せざるを得なくなり、夢絶たれた若き頃。

 私はずっと、辛い時代もずっと、音楽がまた出来る日が来るのを切に夢見ていました。幼少期から音楽が大好きで、飽きっぽい性格だけど音楽だけは続いていて、音楽系専門学校にも行かせてもらえて、仲間も出来た。仲間が音楽業界で羽ばたいていく姿を見て、どれだけ羨ましかった事か。ニコニコ動画で一時代を築き上げたくらいのヒットを飛ばした仲間の姿を見て、羨望と嫉妬の眼差しを送った事もあります。

 私も音楽がしたい。音楽を作りたい。

 そんな私を、母はいつもこう励ましてくれていました。

「医療は進歩してるから、無雲の病気もきっといつか治るよ。そして働くことも、音楽を作る事も出来るようになるよ」

 そうして、14年という廃人時代を送った私は、ひょんなきっかけから回復への道を手に入れ、そしてパートに出るチャンスを得たり、正社員になる機会を得たり、さらなるスキルアップをするための転機を得たりしました。

 廃人状態から回復して、音楽が本格的に出来るようになるまで5年間かかりました。回復初期、私はすぐにPCを新調し、DAWソフトや音源を揃えました。

 しかし、すぐには思うように作曲は出来ませんでした。感覚が鈍り切っていたのです。

 それでも、友人の小説にテーマソングやイメージソングを作らせてもらったりして、リハビリをしました。

 ブラック企業に所属していた時代だけは、PCを立ち上げる事すら出来ませんでしたが、退職後からホワイト企業でのバイト時代は音楽制作にも意欲的に取り組むことが出来ました。

 そうして回復のきっかけから7年が経った今、こうして私は本格的に音楽制作に取り組み、オーディオストックで作品を販売するチャンスを貰い、少しずつながら作品から収益を生み出す事も出来ています。

 私は、この流れにとても奇跡を感じるのです。

 私は、あのまま廃人状態だったら今頃生きていなかったと思う。

 生きて40代を迎えられただけで、奇跡だと思う。

 それにプラスアルファして、また夢を追うチャンスを得ている。

 こんなに幸せな事あっていいのだろうか。本当に、全ての事に「ありがとう」と言いたいです。

 フリーランスとしての私の収入はまだまだ微々たるものです。でも、今までの苦難の道を考えれば、フリーランスとし必要な努力はむしろ幸福な試練です。

 音楽が出来る毎日に感謝を。
 全てを支えてくれる家族に感謝を。
 ここまで回復させてくれたM医師に感謝を。

 感謝の心を忘れずに、これからも真摯に音楽制作に向き合えたらと思います。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました!


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