店は客を選んで良いと思う
私は自他共に認める大食らいだが、
自分の中で喫茶店は「非日常を享受する場所」としての意味が強いのであんまり沢山は注文しない。
エレファントカシマシの宮本浩次さんが、
いつかの喫茶店ロケで「そこの珈琲や食べ物も良いが、喫茶店という空間に癒される」とおっしゃっていて、
ほんとにそうだと1人で30回はうなづいた。
こだわり抜かれた空間は、もちろん見た目にも美しい。
だからこそ昨今、「見た目の美しさ」を重視する文化が喫茶店にも波及してきた。
以前も書いた、「映えの文化」である。
店のレトロな佇まい、クリームソーダやプリンといったSNS映えするメニューが賞賛され、
それを目当てにたくさんの人が押し寄せる神保町「さぼうる」、上野「王城」のような店もある。
先日、大好きだったとあるお店が閉店した。
そこのメニューはどれも美味しかった。
加えて店の内装、食器、盛り付け、ラテアート、美しかった。
就活や仕事の合間なんかに一息つける立地で、何度元気を取り戻すためにお世話になったかわからない。
閉店した理由は「行列店になり、街の人に迷惑をかけてしまったこと」だった。
そういった店では、ふとした瞬間にシャッター音がどこからともなく聞こえてくる。
ほっと一息ついたとき行列が目に入れば、自然と「あ、早めに出た方がいいかな」とか考えてしまう。
現実から逃避するために来店している身としては、要所要所で現実に引き戻されるとちょっと悲しくなる。
店主がそういう様子を見て心を痛めるのもよくわかる。
そうなってくると、ルールがある店に行きたくなる。
今よく行く店には以下のルールがある。
・入店2名まで
・電子機器から強い光、音を出すのは禁止
・会話は小さな声で
これだと話すのが目的で会っている友人、恋人同士の利用はほぼ不可。自然と客層が限られてくる。
店が客を選んでいるのだ。
おかげで、2名利用でも大声で話す人や写真を撮り続ける人はいない。
静かにジャズのベース音が鳴る中で、大体の人は読書をしている。
古民家風の店内のガラス窓には蔦が這っていて、その隙間から真っ白な光の筋がいくつも伸びる。グラスに当たった光は屈折して、古い机を鮮明に照らす。
コーヒーカップをソーサーに置く音、床の軋むが時たま響き、ゆっくりゆっくり時間が過ぎていく。
そんな静かな時間がたまらなく好きだ。
逆に静かでなかったら、こんなに濃い時間は享受できない。
この店は、店主によって徹底的にブランディングされている。店を守るために客を選ぶことによって、私たち客の時間もまた守られている。
もちろん私は友人とカフェに行くのも大好きだ。
そういうときは、なるべく若い客が多そうなところを選ぶ。
どのテーブルも活気に満ちていて、人との時間を楽しんでいる。デザートメニューは美しく、また可愛らしく、写真に収めておきたくなる。
そうして撮った写真を後からスクロールして眺める時、「あの時、あんな話をしたっけ」と懐かしく思うのも良い。
おそらく「映えるメニュー」は、楽しかった記憶を呼び起こす鍵としての役割を果たしているのだと思う。
人は、無意識にその鍵を求めて、美しい店に行き美しい料理を食べたくなって行列を作るのかもしれない。
どの店にも特有の景色があり、どの客にもその店に来る目的がある。本来どちらも自由で良いのだが、店が提供してくれる空間への敬意を、私は忘れたくない。
これからどんどん店による客の選定、客による喫茶店の使い分けなされていくのか、
それとも店側が時代の変化として受け入れていくのか。
どちらにせよ得るものもあり失われるものもある。
ただ、どうか店を持つ人にとって、「これがいいんだ」と思える店の在り方を追求してほしい。
ポリシーのある店は美しいと思うから。
そうすると自然と、その美しさに共感し、その空間に溶け込む人々がきっと集まると思う。