僕は本を読まない [2]
本を読むようになった。
その際、自分の中で1個ルールを決めた。
本に使うお金はケチらないということ。
その結果、現在、僕の部屋には200冊を超える本がある。多分160冊くらいは小説。大学1年の冬までは本が1冊もなかったので、約4年で200冊。1週間に1冊というところだろうか。
読む、買う、読む、買うのサイクルを繰り返して、僕は毎日文庫本を持ち歩く人間になっている。
……
僕は自分の意見の圧倒的なショボさに危機感を覚え、本を読むようになった。自分の好きなものを見て、自分の好きな人とだけ仲良くして、そうして生きていても今までの自分に執着するだけだと思った。成長を感じられなくなった。成長を感じられないことが怖くなった。今までは野球に向かっていれば、多くの苦労や苦難はあれど進むべき方向を見失うことがなかった。
2浪を決めた時も、出口の見えない日々は地獄のように辛かったが、それでも自分の目指している方向が間違っていると思うことはなかった。目指す先にはいつも幼い頃に決めた灯台に続く道標が必ず見えていた。
大学2年の時、煌煌と明かりの灯るその灯台を目指すことをやめた。そこに辿り着くための手段も方法も僕の手元にはもうなかった。その灯台に向かうことを諦めた。
その時からだった、何かに駆られながら貪るように本を読み続けた。自分以外の物語を沢山追体験した。文字に書かれた言葉の意味を理解し、その奥にある心情に辿り着くことが好きになった。1冊読んでも、10冊読んでも、僕の人生を大きく変えることなんてないのは知っている。
でも、いつだっただろうか。寒さと暖かさの混ざり合う春に咲き、鮮やかに散っていく桜が綺麗に映るようになった。過去の人が何を考え、どう行動したか、その原動力は何だったのか、知りたくなった。好きな人の好きなものを理解したくなった。
少しだけ見える景色が変わった。
自分以外の物語を知れば、自分以外の価値観が無数に存在することを実感できる。
一つ一つの言葉に大きな意味なんてないと思う。何かの経験や考えと結びついて長い時間をかけて、その人にとって個人的に大きな意味を持つ言葉に育っていく、育てていくものだと思う。
1浪時代、代々木ゼミナールの授業の最後に2人の講師が残した言葉がある。
「生きていることに意味なんてない。でもあなたは一生あなたの中から出ていくことはできないから、あなたがあなたの一番の味方じゃなきゃいけない。」
「君たちは20歳からまた新たなスタート地点に立つ。これからの人生に大事なのは通知表の右側の能力だ。君の未来を変えられるのはいつだって今の君だけである。」
当時だって、響くものがあった。でも今、当時とは別の響き方をする。それはとても健全で、自分が変わっていったことを示しているのだと思う。
今、何となくわかることがある。どこまでいっても悩みは尽きない。自分が好きだと思える仕事ができたとしても、どんなに好きな人と結婚できたとしても、きっとどこかで障害がある。多分その障害を作っているのは自分自身で、乗り越えていくのも自分自身でしかない。誰かが代わりに闘ってくれることなどない。
そういうものだからこそ、自分自身の中にしかない乏しい力と知識と価値観で行動することは同じ結果を生み続けるのだと思う。
文章に、言葉に、文字に、そうした形にしてまで誰かがどうしても残したかったものの集大成でもある本が僕には必要だと思っている。
そもそも文章を書かなくたって生きていける。そんな世界で、どうしても書きたいものがあるってすごいことじゃない?
誰かが文字に起こしたその想いは、きっと僕の世界を広げてくれると信じている。
だから僕は今日も本を読む。
・・・・・・・・・
最後にオススメのものをつらつらと。
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