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県立高校野球部の日常(1)〜ルールと挨拶〜

公立高校の先生の任期を詳しく知りませんが、恐らく10年だったと記憶しています。僕が高校に入学した時からおよそ10年間の歳月がたちました。今となっては我が母校となった、とある県立高校。僕たちの代が入学、そして硬式野球部に入部したのと同時に僕たちの顧問も赴任してきました。

3月で丸10年、その顧問も我が母校から離れることとなるでしょう。
一つの歴史が終わります。そんな大層な歴史ではないですが。高校名を書いてもさして問題はない気がしますが、一応とある県立高校とだけ。一卒業生として、礎となった最初の3年間について書きたくなったので書いてみます。
僕の高校野球ではなくて、我が高校野球部の日常についてです。記憶違いも多々あると思います。
視点はあくまで僕と僕の代のどちらか。間違いや不快になる点ありましたら、先に謝っておきます。

どうぞ、よろしく。

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2011年4月入学式。僕は門をくぐった。正門ではなくて、裏門。うちの高校は少し特殊で、正門を使う機会はほぼない。大抵の生徒は裏門を使う。正門は3年間で10回通れば多い方だ。

一月前の大震災でディズニーランドに行けなかった。大きな被災もなく、幸せな立場からそんな小さなことを悔やんで臨んだ入学式で、でもそんなことを超えるくらい希望に満ち溢れてもいた。県内でも指折りの進学校。厳しい倍率の高校入試を乗り越えてきた連中が周りにいる。

野球部に入ることを決めていた。頭を坊主にして、ソワソワしながら同い年の初めて会う連中を眺めていた。同じ中学校から入学した可愛い女の子と同じクラスになった。話したことはほとんどなかったけど、知っている子が同じクラスに一人いるだけで大分緊張がほぐれてきた。

クラスのことは置いておこう。

硬式野球部のグラウンドは多くの生徒が通る裏門の目の前にあった。学校より5mくらい標高が低い場所にあり、下グラウンド、通称下グラと呼ばれている。一本細い道路を挟むだけなのに、上にある校舎とは違う世界に感じる場所だった。僕たちの2年と数ヶ月の全てはその場所に詰まっている。

僕は小学校4年生の時から千葉県の高校野球オタクだった。各高校の部員数が載ったページを印刷して、どの学校にどのくらいの人数がいるのか、どのくらいの強さなのかを毎年のようにチェックしていた。

僕が進学した時点でこの高校は3学年合わせて40−50人くらいで推移し、よくてベスト32に進むくらいの、強くも弱くもないがまあまあ真面目にやっている県立高校だった。偏差値が70を超えることを除けば、僕がこの高校を選んだ理由は、「自分が投げられそうな場所だから」だった。

入部した時、僕を含め13人の同級生が横に並んでいた(マネージャー除く)。

もう一人、威圧感のえげつない人間が目の前に立っていた。今年赴任してきた顧問だった。背はあまり大きくないが、胸板が厚くて、髪が短い、そして何より目つきがやばい。

「これ、人を殺したことある目だわ」と思ったのと同時に、
それなりに練習して、それなりに勉強する文武両道型の高校生活は送れないことを悟っていた。おそらく隣に並ぶ12人の同級生も同じ気持ちだったと確信している。
運の悪いことに、というか今年赴任してきたから確率は高いに決まっているのだけれど、顧問は僕たち1年のD組の担任になった。D組は学年の教室配置のおよそ真ん中に位置している。顧問が左右に睨みを効かせるので、僕たちは学校生活の自由さえ奪われた。
ちなみにそれが3年間続く。10年間で12個の代と関わってきた顧問だが、一番長い時間を過ごし、フランス革命前の第三身分くらい自由を制限されていた代は文句なしで僕たちだったはずだ。


入部したての頃。1年生には2年生数名が教育係として付く。
異常に不機嫌な態度と高圧的な口調で野球部のルールを教わる。
今思えば1年に舐められないようにする伝統なんだけど、当時はめちゃくちゃ怖かった。ちびりそうだった。

①グラウンド内は全力疾走。なおグラウンドにある階段の使用は禁止。1年生はグラウンドに降りる際、土手をダッシュしなければならない。
②挨拶は大声で全力でする。お辞儀の角度は90°。

大きなものでこの2つ。1年生のランニングシューズは白ベースで派手な色の使用は禁止。など細かいものも多々あったが、とにかく②がキツかった。

入部したての頃、1年生は基本別メニューだ。だから先輩の顔を覚えられない。それでも先輩には手当たり次第大声で90°のお辞儀とともに挨拶をしなければいけない。

手がかりは一つだ。

それは、


坊主。

髪型が坊主ならば、大声で挨拶。パブロフの犬のように条件反射で挨拶をする。それしか僕らに残された道はなかった。

坊主で柔道部の先輩がいたりする。13人全員が各々間違って挨拶をしたことがあるはずだ。それでも野球部の先輩に気づかず挨拶をしなかったとなれば、後々めちゃくちゃ詰められるので坊主にはとにかくひたすら挨拶をした。

それでも

「3年が言ってたんだけどさ、今日挨拶しなかったやつがいるよな?」

と1年全員が教育係に詰められる。おかしい。僕たちは挨拶をしている。確実に。
偏差値70の高校に入って、1回目の模試で全国偏差値50を取るくらい挨拶のことしか考えていなかった。先輩の気配に気づかないはずがない。移動教室中も挨拶しかしていないから、好きな女の子どころか、まともに友達も作れない環境なんだぞ。

僕たちは先輩の顔を知らない。何か引っかかる。僕たちは野球部の先輩かどうかを髪型で判断していた。僕たちが先輩を髪型で判断しているように、先輩もまた髪型で野球部の1年かどうかを判断していることに気がついた。


「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ」とはよく言ったものである。

僕らは解答に至った。

1年のサッカー部に坊主が2人いた。

お前らだ。お前らが挨拶をしないから俺らは毎日怒られるんだ。

解答に至ったところで、先輩に「こいつらサッカー部なんで挨拶しなくても気にしないでください」とは言えない。先輩たちが僕らの顔を覚えてくれて、サッカー部の坊主を“野球部ではない坊主”と認識してくれる日まで僕らはただ挨拶をし続けるしかなかった。

15歳。ニキビもほとんどなく、みずみずしい肌と若々しい肉体の日々。


僕は世の中の理不尽を知った。


<続く>


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