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子どものころ、猫に馬鹿にされていた私

祖父母の家の猫に完全に馬鹿にされていた。

ドンちゃんという雌猫だった。キジトラの美しい猫だった。
私はペットを飼うことを親に禁止されていたため、
動物への愛が処理しきれないほど溢れているくせに、動物と接した経験がなく遊ぶのが下手だった。

当時のホームビデオに、こんな映像がある。
ドンちゃんを探して庭をうろうろしている私。
カメラはトラクターの裏に隠れているドンちゃんを捉えている。
まったく気づいていない私。
トラクターのそばを通りかかった私に、ドンちゃんが飛び掛かる!
驚いた私が尻餅をつく。
ギャン泣きした私の横を、悠々と尻尾を上げて、歩いていく勝利のドンちゃん。

こんな感じで完全に彼女は私をおちょくっていた。

私は彼女の一挙一動に泣いたり喜んだりした。
私の中で彼女は輝かしい主役だった。

ドンちゃんのエサは生のカワハギだった。
漁港に近い田舎町だったからだと思う。
生魚を骨ごとがりがりと音を鳴らしながら食べる彼女は、妖怪みたいでちょっと怖かった。
私は今でもカワハギが食べられない。
スーパーで見かけても、人間が食べる魚だと脳が認識しないのだ。
猫のエサじゃん、と思って私は通り過ぎる。

彼女はネズミも捕って食べていた。
食べているのを見たことはないが、死骸が放置されていることはなかったので、おそらく食べていたのだと思う。
ある日、私たち人間は夢中で会話していた。
その時の主役はドンちゃんではなかった。
誇り高い彼女は、きっとそのことを面白く思わなかったのだと思う。
その場の中心に、彼女は何かを投げ入れた。
大きく弧を描いて、ぽとりと落ちたそれを、一瞬会話を止めて全員で見た。
ネズミの死骸だった。
悲鳴と共に全員が逃げ出したのを、満足げにドンちゃんは見ていた。

ドンちゃんは、自由だった。
何にも制約されず、自由に歩き回っていたが、祖父が「田んぼ行くぞ~」と
声をかけると、軽トラに飛び乗り、祖父と一緒に仕事に出かけていた。

基本的に私はドンちゃんに馬鹿にされ、避けられていたが、
一つだけ私がドンちゃんを呼べる方法があった。
彼女の大好物、カニカマの包装紙をカシャカシャッと鳴らすことである。
ほぼ百発百中で彼女を呼び出すことができた。
私の手のひらに乗せたカニカマを彼女が食べる。
食べたらすぐいなくなる。
それでも私は満足だった。

晩年、ものがあまり食べられなくなってからも、カニカマは食べてくれた。
いつものように、手のひらに乗せて、カニカマを差し出すと、
少し匂いを嗅いで、出した彼女の歯が、私の親指の付け根を思いっきり噛んだ。
痛ったーーー!!と思ったが、私は微動だにしなかった。
一瞬、彼女が傷ついた眼をしたからだ。
一度も間違えて人間の手を噛んだことがなかった、彼女のプライドを傷つけたくなかった。
私は平気な顔をした。
ドンちゃんは私の顔色をうかがいながら、ゆっくりとカニカマを食べた。
あの瞬間、初めて私たちは対等に心を通じ合わせたと思う。

亡くなった瞬間にも、立ち会えた。
みんなが集まるお盆に、彼女は逝った。
大勢に囲まれながら、ドンちゃん!ドンちゃん!と声を掛けられながら、大きく息を吐いて、そして動かなくなった。
最後まで彼女は主役だった。

美しかった彼女の写真が一枚も手元にないことに、この文章を書き始めてから気づいた。

大人になってからも猫を飼ったことはいまだになく、
私の中で今でもドンちゃんは孤高の存在である。

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