耳の聞こえない女の子が「だいじょうぶ」とわたしに言った
私が通っていた小学校の近くには、ろう学校があり、児童が交流する文化があった。
小学校の本棚には、耳の聞こえない人を主人公にした漫画や小説があふれ、道徳の時間にもハンディキャップを持った人々に手を貸しましょうという趣旨の授業が行われていたように覚えている。
基本的には、子供たちは同じ学年同士でペアになっていた。
私とペアになったのは、小柄で分厚い眼鏡をかけた、二つ結びの女の子だった。かえでちゃんという。
かえでちゃんは静かな子だった。
先天的な影響で耳が全く聞こえない子で、彼女は無音の世界に住んでいた。口数も少なく、何を主張することもなかった。
私は、彼女に優しくしなければならないと思っていた。
遠足の時には手をつなぎ、目の前で大きく口を開けてはっきりと話した。
私は手話が全く使えなかったため、あまり話したがらないかえでちゃんは私に何かを伝えることはなく、ただひたすらに私の話を聞いていただけだったと思う。
それでも、優しくしなければならないという、私の目的は達成されていた。
あるとき、学校で肝試しが行われた。
小学校でする肝試しだから、ただ部屋を暗くして、段ボールで障害物を作り、歩くだけというような、他愛もないものだったように思う。
それでも、怖い話が大好きな癖に怖がりの私は、震えあがった。
ただ暗いというだけで怖く、心細かった。
先に進めなくなった私のそばに、かえでちゃんがいた。
私の肩を彼女がゆっくりと二度叩いた。
私はそれで、かえでちゃんが一緒にいたことを思い出したくらい、主張しない彼女の存在は私の中で抜け落ちていた。
かえでちゃんは瓶底メガネの奥から私をじっと見ていた。
そして一言こう言った。
「だいじょうぶ」
落ち着いた口調だった。
私はこの時初めて気づいたのだ。
彼女は私と同じ年の、女の子なのだと。ただ耳が聞こえないだけで、私と同じように考えたり、感じたりする、一人の人間なのだと。
私は彼女と手を繋いで、お化け屋敷を抜けた。
なんだか世界が違って見えた。
無意識のうちに思い込んでいた自分の至らなさが、そしてそれに気づきもせず、疑いもしなかったことが、心底恥ずかしかった。
明るい教室に戻ってきたかえでちゃんは、いつも通りクールだった。
その横顔を、かっこいいなと私は思った。
学校を卒業して以来、かえでちゃんとは会っていない。
彼女のやさしさに触れたことは、子供だった私の価値観を覆すショックを与えたが、間違いなく彼女はそのことを覚えていないだろう。
でもそれでいいと私は思っている。