あたし自身の人生と、れんくんとつばさくんの恋つばチャンネルとの190日間のこと。
2020年1月24日。あたしはあるyoutubeチャンネルと出会った。「恋つばチャンネル」BL系を謳ったそのチャンネルは、腐女子であるあたしの興味を誘った。思えばまだ小さい子供の頃からあたしは腐女子だった。最初にハマったBL系のコンテンツは「access」というユニットだった。別にBL系を謳って活動しているアーティストではなかったが、MV(当時はPVと言った)や音楽番組での演奏の際など、その密着っぷりにいつも心ときめかせていた。「access」が解散し(のちに再結成するが今はあまり興味がない)その次にハマったコンテンツは、「幽☆遊☆白書」というマンガとアニメだった。BL系の話ではなく、ただ蔵馬というキャラが好きで、同人誌などを読んでいた。当時はR18の規定が緩く、子供でもR18作品は普通に買えた。アニメイトとかでアンソロジーなんかを買っていたのを覚えている。子供の頃から忙しい子供だった。小学生前半までは学習塾に英語塾、水泳、体操、ピアノを習っていた。小2の時ピアノコンクールの全国大会まで勝ち上がり金賞をもらった。ピアノの練習は毎日4時間くらいした。コンクール前はもっと。他にもコンクールで賞をもらった。後半は主に中学受験に向けて学習塾に通い、週5日(もちろん日曜日は朝から晩まで)日能研という塾に通っていた。ピアノは続けていた。目指している学校があった。偏差値70を超えていたあたしは、中学受験に成功した。(唯一の欠点はケアレスミスで、これさえなければ大丈夫と言われていた。思えばこの頃から注意欠陥障害が顔をのぞかせていたのかもしれない。)水道橋にある御三家と呼ばれる女子校のひとつに合格した。当時からストレス発散はBLだった。男女の恋愛を扱うコンテンツに興味はあまりなかった。ここまでがあたしの小学生時代の話だ。
中学に入り、周りは小学校と違い、自分以上の学力をもった人も沢山いる学校だった。天才型でなく努力型のあたしは大変ではあったがそれなりに楽しく憧れだった中学に通った。そこでまたあるコンテンツにハマる。「PENICILLIN」というヴィジュアル系バンドだ。当時、ボーカルのHAKUEIとベースのGISHOがライブでキスをするというBL系の匂いがするバンドだった。好きになったきっかけは、友人に借りたCDを聴いてハマったが、ヴィジュアル系でとても美しい2人のキスには心ときめかせていた。そのうち2人はライブでキスをするようなことはなくなったが、今でも「PENICILLIN」はライブに通っている。「PENICILLIN」をきっかけに、友人も沢山できた。ハマった頃可愛がってくれた年上のお姉さま方の友人は今は連絡先を知りようもないが(当時はメールなどというものもなく、手紙のやりとりをしていた。)今でも皆年上だが大事な友人は沢山いる。「PENICILLIN」がきっかけで、他の趣味でも意気投合した友人もいる。大事なコンテンツだ。
高校時代に入る。エスカレーター式で受験もなく高校に入学した。「PENICILLIN」にハマった数年後、「Fatima」というヴィジュアル系バンドにハマった。このバンドは全くBL系ではないが、ボーカルのHitomiさん(何度か改名し今現在Hitomiとして活動)が好きだった。「 MALICE MIZER(Gacktさんが在籍していたバンド)」のローディをやっていた人というと馴染みがある人もいるかもしれない。Hitomiさんは当時はライブで裸になったりお尻を見せたりとちょっと気持ち悪い自由奔放な人だった。高校に入ってから、あたしには異変が起こり始めていた。まず、眠れなくなった。勉強があるので、寝るのは夜中の1時過ぎだったが、4時頃まで寝付くことができなくなった。朝は部活(中学の時からチェロを始めて管弦楽部に所属していた。)があるので6時起き。どうしても昼間眠くなる。授業中寝ることも多くなった。体調も悪くなり、学校に行って帰って来るだけで玄関に倒れ込んでしまうようになった。塾も行っていたが、成績はガタ落ちした。東大が遠くなった。そんな折、母ががんで亡くなった。母はあたしの中学進学に合わせてあたしを連れて父と別居して実家に帰ってきていて、祖父母と4人暮らしだった。母には好きな人がいた。お互い不倫だったが付き合っていたんだと思う。その人は、母の無くなる約1年前、精神的に患った息子に殺された。追いかけるように母は逝ってしまった。母が亡くなり、祖父母と3人暮らしになった。もちろん父とは時々会っていたし、あたしがお金に困っていないかいつも心配してくれるような父だった。父のおかげでライブなどに行けていたとも言える。(中高はバイト禁止だった。)その頃あたしには幻覚幻聴などが現れ始めた。最初は通学の電車の中での不安発作だった。とりあえず内科を受診したが、同じ病院の精神神経科を紹介された。あたしにつけられた病名は「統合失調症」だった。薬を処方され、(1日に30錠以上飲んでいるときもあった。)学校も休むよう言われ、高校は3日足りないから寝てていいから3日だけ学校に来て、と言われギリギリ卒業した。大学受験はできなかった。身体と心が言うことを聞かなかった。仕方なかった。
そこからあたしの8年間の無職生活が始まった。生活の面倒は祖父母が見てくれたし、父がお金の心配をしてくれ、ライブなどには普通に行っていた。「PENICILLIN」と「Fatima」に通っていた。地方遠征も良くした。青春18きっぷの旅など慣れたものだった。特に「Fatima」では出待ちやインストアイベントにも通って、Hitomiさんを始めメンバーに顔と名前は覚えてもらった。ただ、同じファンの子にたぬきで叩かれるという事態が発生した。「Fatima」を好きな気持ちが勝らなければ、ライブにも行けなくなったかもしれなかった。ネット上の叩きは本当にひどい。散々叩かれた。だいたいどこら辺が叩いているか見当はついたが見えない敵だった。3ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院した。リストカットをし過ぎて命が危ないので入院した形だ。そこから付き添いライブに連れて行って病院まで帰してくれたのは父だった。3ヶ月の間に友人もできた。今でも交流している。皆病気を治してしまって結婚し子供がいたりする。「Fatima」の後期、Hitomiさんが企画した、ロリータを連れて、増上寺に、大晦日の夜、大門交差点集合で初詣に行くという企画で、一人の同い年の子と出会った。運命の出会いで、その子とは今ではその子の子供たちと遊ぶくらい仲良く、大親友となった。(この間書いた「幸福についての尺度」という恋つばSSの、れんくんの元カノさんの名前をいただいた親友だ。)結婚式も行った。子供たちも9歳と5歳になった。「Fatima」は7年間活動し、解散した。しばらく間が空いたが、「Fatima」のドラムとHitomiさんと4人組のヴィジュアル系バンド「Moran」が結成された。「Moran」も通い倒した。だが、ベースのZillくんが亡くなってしまった。推しに死なれるのは初めてではなかったが、ショックだった。その前にギターが脱退していて、新しいギターの加入が決まっていた最中だった。「Moran」はベースをサポートにおき、3人で活動を再開した。(ちなみにZillくんが亡くなって今年の7月で10年が過ぎだ。)その後、下手ギターとベースが加入して5人バンドになった。Moranは出待ちはできなかったが、HitomiさんとドラムのSoanくんは「Fatima」の頃から覚えてもらっていたし、インストアイベントなどに行っていたあたしは他のメンバーにも覚えてもらった。転機は、身体と心の状態が仕事ができるくらいまでになった。週2から始めて、徐々に増やした。今に至る。今もフルタイム残業社畜はきつく、アルバイト生活だ。「Moran」は2015年9月に解散した。そこからHitomiさんの活動はセッションなどが多くなり、2017年からソロ活動「ウミユリ」として活動、その後ボーカルとピアノのユニット「雨や雨」を結成した。最近のあたしのツイにもちょいちょいでてくるが、どちらにも通っていて、「雨や雨」は昨年は全国ツアーを2周した。飛行機、新幹線、バス、沢山乗った。初めてツアー全通ということをした。本当に心に刺さる歌詞を書く方だ。作曲はほとんどしないが、自分の歌の歌詞はほぼ自分で書いている。詩集も出版したりしている。2020年に入り、あたしは舞台「モマの火星探検記」にドハマりしていた。ユーリ役の生駒里奈が好きで、乃木坂46結成の時から推していて、彼女の舞台には通っている。「モマ」は1月7日~1月20日までサンシャイン劇場で公演していて、7公演東京で通った。東京楽ももちろん観劇した。それが終わって、次の福岡大千穐楽遠征まで心の穴をどう埋めようと思っているとき、youtubeのおすすめに出てきた「恋つばチャンネル」に出会うことになる。1月24日のことだ。1月1日に開設されたチャンネル、BL?片方ノンケなのにBLなの?どゆこと?興味が湧いた。初めて観たのはチャンネル開設の1本目の動画。すぐチャンネル登録した。その後すぐに生放送じゃない方のポッキーゲームの動画も観たようだ。ドハマりした。2人の関係性にすごくひかれた。もちろん久しぶりのBLコンテンツにときめいた。片っ端から動画を観た。実は、「PENINCILLIN」だったり「機動戦士ガンダム00」という作品で、小説を書いてコミケなどにも出たりもしていたのだが、元々のコンテンツはBLではない。好きなカップリング、メンバー、キャラがいた。その同人活動を終えていて、BLというものに飢えていたのもあると思う。Twitterに@-恋つば-をつけるとフォローして貰える?つけるべき?専用垢作る?でも管理できる?結局あたしは普段色々なことに使ってる雑多垢に@-恋つば-をつけることにした。だがなかなかお迎えに来てもらえなかった。雑多垢はダメなのか?と思いつつ、勇気を出して初めてれんくんとつばさくんにDMを送ったのが2月8日のことだ。つばさくんからは4時間後、れんくんからは6時間後くらいに初めてのDMが来た。それでもなかなかフォローしてもらえず、フォローしてとDMを送った。2人からフォローがもらえたのは2月の半ばくらい。それから、返事が来ると、少し間を置いてしつこくない程度にDMを送るようになった。3月から始まったファンクラブにももちろん当日入った。なかなかキャンプファイヤーに嫌われて登録できず、登録できてもSlackの登録のメールが迷惑メールに入っていたり、一苦労だったが、嬉しかった。LGBTに偏見は全くなかったが、知識もあまりなかったあたしは、色々なセクシャリティについて勉強した。そんな中、自分がすっぽりとおさまるセクシャリティを見つけたのだ。「アセクシャル」これだと思った。別に彼氏がいたこともあったし、別に処女でもない。けど、自分から男でも、女でも、人を愛したことがなかった。性的欲求ももちろんわかない。関係は続かない。そんな自分がとても疑問だった。そういうセクシャリティを持った人がいるということに安心感と驚きを持ったことを覚えている。誰よりも先に、まずつばさくんに、次にれんくんにDMでカミングアウトした。家族でも、友人でもなく、2人に。2人とも別に驚きもせず、悩む必要ない、人それぞれだからいいと思う、とあっけからんとしたものだった。人生2度目の成人式の足音が少しずつ聞えてきた2020年3月、あたしは一生をシングルで生きる覚悟をした。(※2021年1月3日追記。今現在、あたしはアセクシャルでなく、一定の性的欲求を持ち合わせるアロマンティックであるという結論に達している。)動画は必ず公開時間に観る。生放送はリアタイする。当たり前になっていた。Slackで深夜に公開される日記だけは朝、あるものと思って少し早く起きて観る。いつの間にれんくん、つばさくん、2人の友情とも愛情ともとれない揺れ動く感情の虜になっていた。セクシャリティはそのうちしれっとTwitterのプロフィールでカミングアウトした。雑多垢故理解がない人もいると覚悟の上だったが、特に何か言われることはなかった。支援物資も送った。ぬいぐるみも送った。コロナでライブも舞台もなくなったあたしに、恋つばは唯一精力的に活動している推しだった。推しにおはようが言える。推しからDMが貰える。推しがツイートにファボをくれる。時にはリプもくれる。名前を言ってコメントを読んで動画にしてくれる。推しがこちらに寄り添ってくれる。そんな世界に生きたことはなかった。ますます好きになった。もちろんガチ恋ではないのだが、尊い推しだった。今思えば箱推しは箱推しでもれんくんに少し寄っていたかもと思う。(これを思ったのはハンドクラップの時れんくんを必死にスクショしている自分に気づいた時。)でもつばさくんも大好きだ。2人にペットにしてよ~とDMを送ったこともあった。いいよぉと返ってきたので、れんくんとつばさくん家の水槽に住むチンアナゴにして欲しいと言ったら笑われた。恋つばで二次創作をしようかということを迷った。好きになると二次創作してしまう。Hitomiさんで二次創作をしたいと思ったことは不思議となかったのだが、「PENICILLIN」や「ガンダム00」で二次創作をしていたことがあったため、抵抗はあまりなかったが、「PENICILLIN」の時感じた三次元での二次創作への擦れる気持ちに足が止まった。恋つばは二次創作を公式が認めている珍しいケースだった。公開方法をどうしよう、R18はTwitterで晒せない。あたしはTwitterでSSを公開しつつ、本と言う形にすることに決めた。本を家に置けない方には、データDLという形でワンクッション置くことにした。本を受け取ってくださる方も思った以上に見つかった。時々本送ってくださいというDMも来るようになった。データのDLも思った以上にして頂いているようで、二次創作はして良かったと思っている。好きの表現が二次創作になりがちなあたしは、相当恋つば沼にドボンしているんだと思う。ポメラというポータブルワープロも買った。二次創作をしている方の作品も楽しみだった。ここで、れんハタチについても触れたい。彼は、ノンケのれんくんがウリ専に行くはずもないことから、つばさくんが好きなキャラクターとして誕生した。動画や生放送にも何度か現れている。あたしは、このつばさくんが寂しい時の浮気相手というハタチの切ない立場がとても好きだった。胸がきゅっとする。ラブジェンガの生放送はもう涙してしまう、何度も観た。もちろんれんくんはれんくんなのだが、時々ハタチどうしてるかなあ・・・等と思ってしまうくらいは重症だ。5月末、「キスの価値はダイヤモンド」と謳って、筋トレ1万回できるまでキスできません!という生放送が12時時間かけて行われた。最初から最後まで観てしまった。これにもれんハタチが登場する。れんくんとつばさくんのキスのために筋トレを頑張るハタチの健気さに涙した。1万回達成したあとのれんくんとつばさくんのキスとがっちり組まれた手は綺麗だった。アホみたいに課金もした。それほど、あたしは恋つばが日常になりつつあった。チョロオタは(後の動画に出てくるものもあり)GUのピカチュウとミュウのポケモンTも、家着も、ユニクロのポケモンTも、つばさくんとれんくんがが来ていたメンズのトップスも、アルファゲルのピンクとブルーも、インフィニティのピアス(あたしはピアス空いてないのでイヤリングにしてもらった)も、大粒ラムネも、かむかむレモンも、さけるチーズも、みたらし団子も、赤坂柿山のおかきも、クロミ様のフレグランスも買った。銀粘土も買って指輪も作った。6月に入り、動画の更新頻度はだいぶゆっくりになった。それでもSlackでは2人に毎日おはようと言い、コンテンツの充実っぷりは凄かった。最初月1000円!高いな!と思ったが、これだけ充実してれば安いものだ。実質無料みたいなもの。月末、またチャレンジ生放送が行われた。ひたすら12時間ハンドクラップを踊り続けるという企画だった。最初から最後まで観てしまった・・・2人の関係性は強固なものに見えた。コスプレしたり、昼寝したり、自由奔放なのに互いのことを思いやる姿に涙した。もちろん、12時間達成し、れんくんとつばさくんはキスをした。この日の生放送の最後に、引っ越すことが発表された。
それから、次の日引っ越しについて色々話す生放送があった。長野に引っ越すと言う。勉強したいことがあると言う。理由がはっきりしなくて、色々荒れたような気もする。東京でできない?疑問を持つ人がいるのも理解できた。あたしは2人のやりたいことができるならそれでいいと思っていた。そもそも、2人のキスにはうっとりしてしまうが(腐女子!)この頃正直BL系だからと言うより、恋つばそのものが好きだった。れんくんとつばさくんが好きだった。だが、6月の最後の日、つばさくんが爆発してしまった。あたしはバンギャだったので、もちろんたぬきの存在は知っていたし(前述のたぬきで叩かれた話参照。)恋つばスレがあるのも知っていた。それでこんなに追い詰められているとは思わなかった。職業のことを叩かれたのも相当きていたのだろう。もちろんたぬき関連に書き込みをしたことは生涯一度もなかったが、知っていて何もしなかったのは同罪かもしれない。7月に長野へ引っ越すことは決まっており、7月6日2人は長野に無事移住していった。7月にSlack内であったのは近況報告くらいだ。でもそれが嬉しかった。7月17日から約10日間何もなかった時は、推しの他界を何度か経験しているあたしには、生きているのか?と言う心配すらした。長野県で男性2人の遺体が発見される夢までみた。僕たちの鐘はいつ鳴るんだろう?正直そう思った。このまま何もなく終わりなのか・・・?と思ったりもした。だがれんくんからコメントがあった時は泣いた。そして7月30日、つばさくんから最後のメッセージがあった。もちろんわかっていたことだが、涙が止まらなかった。だが推しはどこかで幸せに生きていればファンサなのだ。どうか幸せに生きて欲しい。いつかまたどこかで会えることを願わずにはいられない。7月31日、20時になっても、21時になっても、22時になっても、Slackにれんくんのコメントは見られなかった。このまま終わるのか?と思っていたところ、れんくんからコメントが来た。鐘が鳴った!つばさくんとは一旦お別れだが、れんくんは一人でyoutubeを続けると言う。Slackも残すと言う。地獄から天国にかけあがるとはこのことだ。そして恋つばチャンネルは7月31日をもって活動を終えた。あたしと、れんくんとつばさくんの恋つばチャンネルとの190日間が終わった。もちろん動画は今後も観る予定だ。忘れる気はない。この宝物のような190日間のことは生涯忘れないと思う。もし認知症になっても忘れない自信もある。
あたしのこれからは、とりあえずれんくんの活動を追っていくと思う。もともと多分れんくん寄りなのだ。(前述参照。)そしてあたしが作った恋つばの写真などが並べてある遊園地(観覧車もあるよ!)はこのままにしておくつもりだ。Twitterの名前からも、今のところ@-恋つば-を取る気はない。
恋つばと共に過ごした日々は、本当に楽しかった。サラ民の皆さんとの交流も楽しい。もし今後も交流してもいいよ、って方はこのままお付き合いください。最後にれんくん、つばさくん、あたしの190日間は本当にドキドキとエモとエロwで満たされていた。本当にどうもありがとう。2人の未来に幸あれ。
これがざっくりとしたあたしの人生と、あたしの人生を変えた恋つばチャンネルとの190日間の全てだ。
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