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赤レンガ倉庫で働きたかった夢が叶った③
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たかがビール、されどビール
昔から麒麟党であった我が実家
キリンラガービールしかのまない父のために、近所の酒屋さんへおつかいに行くのが小さい時の日課でした(今じゃ考えられない)
麒麟ビールっていうけど、全然可愛いキリンじゃないし!と小さい時はよく思っていたり笑
そんな家庭に生まれ育ったものだから、ビールといったら麒麟!という方程式が遺伝子レベルで刷り込まれていました。
でもわたし、当時はビールなんて苦くて飲めたもんじゃないと思っていました。
今じゃ「ビールに始まり、ビールで終わる」もっぱらビール党のくせに。
甘くてほろ苦くて、すっきり爽やかに消える苦味
お酒を注ぐことに携わるようになったのに、当時ビールが苦手だった私。
技術は教えてもらっても、自分の注ぐビールを飲んだことがなかったです。
そして、カウンター長が言いました。
「俺の注いだビールを一度飲んでみろ、ビールが好きになるから」と。
実際ビールの味なんてよくわかっていない私が、はじめてカウンター長の注ぐビールを飲んで衝撃を受けたのです。
「…美味しい」
この言葉以外なにも言えなかった。
本当に美味しかった。今でも覚えています。
麒麟のスプリングバレーは、当時はうちのレストランと横浜のキリン工場でしか飲めなかった希少なビール。
この一杯のために、温度管理、ガス管理、カランの洗浄や手入れ、注ぎの技術、この全てがこの一杯に込められていて…一口でビールの魅力に落ちたのです。
そこからとうもの、ビールをくる日も来る日も注いで技術を上げ、管理を任されるまでになれたとある日に、カウンター長の移動が決まります。
基盤のないところへ連れていくことはできない
もちろんカウンター長へついていく気満々だった私。
でも、言われるのです。
「軌道に乗るかわからない場所へ連れていくことはできない」と。
わんわん泣いて、でもまたそれをバネに考えが切り替わるのです。
自分の力を試したい
だいぶ端折ってしまいましたが、私の恩師は移動してしまいました。
もっともっと教えてほしかった。
苦しいことが8割だったけど、この恩師のおかげで私はこの仕事がより一層好きになり、社会人としてのマナーも学びました。
本当にこのかたのおかげです。
今は定年で現場を引退し、自宅を改装してビアバーを運営しているのだとか。行きたい…会いたいです。
話は戻りますが、、、
残された私は、ビールの奥深さに魅了され、もっともっとお酒の世界にハマります。
数年働いた後、その店を卒業。
さまざまなバーで自分の技術を高める修行に出ました。声がかかればどこにでもビール注ぎにいき、たくさんのひとに支えられ、毎日自分の好きなことを楽しんでいました。
そして私は鬱になる
人生を区切るとしたら、人生の第一章はここまで。
第二章は人生のどん底期です。
今でもこの時期のことを思い出すのは辛い。
でもこの時期があったらから、私は今ここにいれるのだと思います。
つらつらと、自分の記憶を整理しながら書いていこうと思います。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃれば…本当にありがとう。