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衝動。

高梨道生さんの「If I Could Go Back」が届いた日。たまたまごはんを食べにお店に久しぶりのお店に入ったら、モアリズムの「&ブルース」が流れはじめた。ごはんを頼むのも忘れて、聴き入る。帰宅して気付けば、今日着ていたTシャツもモアリズムの、少し破れて、色も褪せたmonoTシャツだった。
高梨さんのこの作品、本当にかっこよく、美しい。
最近はずっとR.E.Mやパール・ジャム、それにエモみたいな激しい音楽か、アンビエント、エレクトロニカみたいな静かな電子音ばかり聴いていて、とんとジャズはご無沙汰だったのだけれど。本当に素晴らしいアルバムだ。

高梨さんとの出会いもまた、ナカムラさんを通じてだった。久しくナカムラさんとも会っていない。また渋谷ブラック団も見たいな。

昨日書き上げた「真昼の子どもたち」はさらに4,000字ほど書き足す。それでようやく3作目の小説を書いたのだと思う。
昨日から今日にかけて、8,000字ほどの、4作目の第一章を書いた。流石に疲れた笑。パフェが食べたい。

「真昼の子どもたち」は最初に読ませたいひとがいる。いまは疎遠になった。そのひとが読んでGOサインをくれれば、ほかのひとにも読んで貰うし、
ダメだと言われたら没にするつもりだ。

説明しておくと、去年書いた「DJ」はほぼフィクションだけれど、「子供たちの眠る場所」は半分フィクションで半分私小説、「真昼」はほぼ私小説。
新しいものも、これからどうなるかは分からないけれど、私小説。

何を以って、フィクションで、何を以って私小説かはいまは問わない。
これが「物語」になっているか、「小説」になっているか、「作品」になっているかもいまは問わない。

いまは睡眠時間と魂を削って、書きたい、というより、書いてしまう。うちから、出てきてしまう。

それを読んで面白いかどうかは知らない。誰かに読んで欲しいとは思うけれど、誰かのために書いてるわけじゃない。とにかく溢れてしまう。だが、それは初期衝動などでもない。なぜなら、ずっと書いていたから。そしてようやくいま書けた。いま書ける。「真昼」はようやく、いま書いているものもようやく。

やはりうまく説明できないけれど、
詩は物語ではなく、物語は詩ではないことがようやくわかった。そこを、或いは誤字脱字どころか、主体が、一人称と三人称でいきなり(意図的ではなく)間違ってたりする。でもいまは推敲する時間が惜しい。

4作目、目標は400字詰で300枚。それを8月末には書きたい。
時間を何とかやりくりして。

しかし、高梨道生さんのこの作品、素晴らしいよ!。またジャズも聴こう!。

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