不登校だった頃といま
社会の中で、マジョリティの側ではない場合には、自分が何をどう感じているかを、いや自分自身ですら言葉にする事がまだ出来ていない感情や行動に対して、説明しなければならない場合が、多々ある。もちろんマジョリティとは何か?と一旦、留保しながら。自分の繊細さを、苦手だったり、出来ない事を、自分の混乱を、更にそれを言葉で(発語がある場合)説明しなければならないって、更にしんどくなるだろうな、と思う。
不登校児を見ていて、僕が親ならどうするだろうか、考えてみる。
学校なんて、行かなくていいよ、とは言うだろうな、とは思う。勉強に関してなら、必要なタイミングが来れば、いくらでも勉強できるしな、と(僕はいまはそう言う言い方はしないだろうけれど大検で大学に入った)。友達に関しては、僕はずっといなかったから実際にはわからない。
子供の頃、僕はずっと学校に行けなかったし、行かなかった。母親の本棚には不登校や登校拒否の本が増えていく。児童相談所に連れて行かれたり、カウンセリングを受けたりもした。いまよりは不登校がもっと、親子だけの問題にされていた時代だった気がする。母親には本より僕を見てよ、とは思っていたけれど、いま僕は同じように本ばかり読んでいる。
例えばこの本をふと手にしてみる。
まだ読みはじめたばかりだけれど、引用させて貰うと、
これだけで、いまも触覚過敏が僕にあるのがわかる。同じ本に睡眠時間の乱れ、昼夜逆転についても書かれていたり、自分の振り返りをしてみたりもする。
簡単に結論などの出る話ではないし、僕が小さな頃には、母親が読む本には再び学校に行けるようになると言う単一の成功例が溢れていて、更に気が滅入っていたからなおさら。
ひとにとって、当たり前、自明とされている常識や普通ってなんだろう?家族が寝静まった後、起き出して、ひとりずっと考えていた。それはまだ10歳になるかならないかだった。それが出来ない自分は…そこには自責もあれば、周りの人が言う未来への不安もあった。それでもどうしても学校には行かないと決めていた。
あれから35年が経ち、たまたま身近に不登校児がいる。気持ちはわからない。ただかわいいし、面白い(たまに会うから、その子が僕に懐いてるから、ってのも大きいとは思う)。親ではないから無責任にいられるし(そのずるさは自覚あるし)。
ただたまに会うおじさんとして、少しだけ、その子の事を考えたりして、不登校の本を読むようになってきた。当然、僕の仕事の先に、いつか放課後等デイサービスを開設したい、ってのもあるんだけれど。
ただぼんやり読書しながら、ふと、ずっと学校に行かなかった時代、夜中に母親が僕を車に乗せて、少年野球をやっていたグラウンドに連れて行かれて、二人でジュースを飲みながら、ただぼんやり夜中のグラウンドを眺めたり、学校を休む連絡をして、母親が仕事に向かう前に煙草を吸った後、布団で寝ている僕の頭を撫でてから家から出ていく匂いや様を思い出した。
不思議だけど、いま、彼女の歳になって、同じように介護(老人と障害と言う違いはあれど)の仕事をしている事、彼女が深夜までずっとケアマネージャーや介護福祉士の勉強を(不登校から変わって)している姿を思い出す。僕はまだ経験年数は増えど、介護福祉士の勉強がはかどってはいないけれど。
いまはもう彼女が僕に(不登校当初の混乱期で)ひどい事をたくさん言ったり、手が出てきたのも、思い出さなくなった。
ただふと、彼女が、あんたを育てるのは面白かった…いままでの自分の価値観とは全く違う事ばかりするから、どんどん自分の価値観が変わったんだ、と呟いたのを思い出した。
きみはマザコンだよね、と何人かの同級生に当時、言われた。それは揶揄や嫌味だった。ただ、いまはそれとは違った意味で、まだマザコンだよな、と思う。少しだけ母親を思って、笑いながら涙が出てきた。