蛍の光りと煙草の火はどちらが明るいのかねぇ?

夕暮れ時、彼女のお姉さんが不意に呟く。
例えば三人と一匹で歩く道すがら。彼女は笑い出す。
彼女たちの飼っている犬のペコちゃんが、僕たちを振り返っては、
また歩き出す。
「お姉ちゃんとGちゃんはあたしの趣味なんだなって、思ったよ」
その晩、僕の小さな部屋で、お布団に寝っ転がって、彼女は呟く。

ふたりで選んだ映画を観ている。彼女はお布団から画面を見上げている。
その彼女の美しい背中を、僕はソファーから眺めている。
それから、この部屋に流れ込んでくる、10分に1度の電車の行き交う光が、真っ暗にした画面の向こう、白い壁に流れては消えていく様を見ては、
綺麗だな、と思う。

初めて、銀座のホテルに連れていかれる。
そこから眺める東京の空、地上から少しだけ浮いているふたり。
背中の開いた黒いドレスで、ホテルのオーセンティックなバーでウィスキーのロックを呑む彼女の横顔を見ている。

付き合いたての頃、彼女が個展を開く。
ずっとふたりはそこで在廊しながら、小さなスピーカーの流す、
池田亮司やエレン・アリエン、アパラット、それに高木正勝のいわゆるエレクトロニカにあわせて、お客さんのいない間はずっと踊っている。
時折、踊りが盆踊りみたいになって、ふたりは笑いながらハグをする。

そうそう、「現代美術なんてコンセプトありきって感じがして、好きじゃない」と初めて会った時、そんな風にちょっと生意気にいう僕を、彼女はいくつかの美術館に連れていく。エスニック料理なんてのも、アジアのいくつかのビールなんてのも、僕には初めてだった。彼女は物静かに僕を見ては、少しだけ笑う。

小さな、そのスピーカーで、僕は彼女だけに向けて、音をセレクトしていく。彼女が教えてくれたたくさんのヒップホップやエレクトロニカ、それに10代の頃に親友とふたり、車の中で聴いていたっていう、DJプレミアのプロデュースしたいくつかのアルバム、ジェルー・ザ・ダマジャだとか、「もう本当に行き場がなかったんだよね」なんて呟く彼女に、「いつかでっかいパーティーでDJをするようなことがあったら、絶対にかけようって思ってたんだよね」なんていいながら、THA BLUE HERBのコンピレーションに入っている「ANNUI DUB(THANK YOU VERY MUCH MY FRIENDS)」をかける。「もうこれで封印するね。だって、もうきみさえいればいいから」なんて、ちょっとやっぱり気取って、僕はそれをかける。「この時間がいつまでも続けば良いのにな」それはまるで祈りのようで、叶わないことがわかった上での約束のようで。泣いている彼女の目を見つめる。「今日からはふたりぼっち」彼女がいつも歌うから覚えたfishmans。

僕は彼女が僕の服を、それから集めていた帽子をどんどんごみ袋に入れていくのを見ている。まるでゼルダ・フィッツジェラルドみたいだな、と昔読んだスコット・フィッツジェラルドについての本を思い出しながら見ている。静けさと嵐と炎と。出会った瞬間から付き合い、別れるまでが、一瞬の火花のようで、お酒と音楽とそれからいくつかの抗鬱剤や睡眠剤によって、いまでは空中にその時の想いと共に浮遊して、たまに僕のもとに遊びに来てくれるだけになった。ぽつりぽつと降る雨が、彼女の語る言葉のリズムのように、コンクリートを少しだけ濡らしていく。それは刹那と呼ばれるもの。瞬間と名付けられるもの。季節はとうに過ぎて、いまはまたひとり、部屋の壁を照らす電車の灯りを眺めてる。

「もう連絡してこないでください」ってメールを境に彼女とは別れた。最後の数か月は、別れてからの何年かはずっとどうしようもなくなっていた。けれど、「もう連絡してこないでください」って言葉だけは守った。いま考えたら、それは拒絶なんだろうけれど、同時に僕にとっては彼女のくれた最後の優しさだったんだと思う。だって、もし「Gちゃんに救われたな」と僕を見向きもしないで、彼女が呟いたままだったなら、きっと僕はそこからどこにも行けなくなっていた。

風の噂で彼女が結婚して、子供もできたと聞いて、それから、久しぶりに彼女のおかあさんに会った時。僕の口をついて出たのは、ずっと言おうと思っていた「ごめんなさい」ではなかった。「ありがとうございました」と「おめでとうございます」だった。いまの仕事に就いた話をしたら、「Gちゃんは優しいから、無理はしないでね。抱え込み過ぎないでね」とおかあさんに言われたあと、ひとり、少しだけ泣いた。

美しいひとだった。優しいひとだった。救われたのは、僕の方だよ、といまもずっと思っている。あの頃のことだけはきっと小説にすらできないだろうから、ただ、こんな風に記す。そんな気分なのは、きっと地上から数センチだけ浮いていたあの頃からの記憶のラブレターが届いたからなんだろう。
例えば、「風と友達になるには時間がかかるんだ」って言う僕に、「風とは友達になれた?」と聞いてくれるような。そんな仲間にいま囲まれているからなんだろう。

蛍はまだ今年は見つけられないから、煙草の火をまた眺めてる。



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