花見で子供たちと遊び、音楽の記憶と遊ぶ。
先週の土曜日、曇りから太陽が差し込み、またすぐに肌寒くなる中、この街の大きな公園でお花見をする。
「ボクのお友達、ごみくんと遊ぶ!」と言っていたらしい少年は挨拶すると、直ぐにその場にいた少しだけ年下の女の子にくっついて回る。
生まれたばかりの赤ん坊にずっと声をかけて、飽きない。けれど、その子のママに久しぶりに手相を見て貰う(僕が占いにハマるきっかけ)。
「仕事運、良いね。恋愛は相変わらず一つ、30代に出会ったひとと運命が繋がってるよ。それを逃すと、晩婚だな」ただ相手は見れないらしく、誰だろう?とまた思う。
久しぶりに会う何人かの友人と乾杯し、始まったばかりの野球の話をする。僕もようやく今年初めてゆっくりフルでオリックスの試合が見られた。
気付けば、友達の少年とボールを蹴ってサッカーをしている。僕はアルコールを割と(飲まないつもりだったのに!)飲んで、それでも必死になってふたりでボールを追っかける。
思えば、10年前にもここにいて、友達の子供とキャッチボールをしていた。その子はもう社会人だ。子供相手にむきになってサッカーをやる自分を笑う。
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ゆっくり音楽を聴く時間ができた。精神的にも余裕がある時期ではあるようで、リバティーンズの新譜を聴く。2000年代に入ってデビューしたバンドのうち、いまも聴いていて、ライブがあるなら見たい、数少ないバンドのうちの一つ。
ふと吉祥寺の小さなライブバーでDJをした時の事を思い出していた。そこには機材がなく、PAの方の横で、一枚一枚、CDをコンポに入れて、再生していく。BAD ATTACKといういまも大好きなバンドの野村が、「自分では買わないけど、誰かが持っていたら、借りたくなるようなバンド」と僕が持っていたCDの中からリバティーンズを出して、僕も「持ってけば」と言う。すると側から、「今日、CD配るってよ」と誰かが言って、何人かがCDを物色してるから笑う。
シャムロックの「モッドアーオールライト」をかけると踊り出すモッズバンドのボーカリスト。クラッシュが影響を受けた曲のコンピレーション・アルバム(ポール・シムノン監修だったかな?)をまだ10代の女の子に渡す。後日、「よく分からなかった」と笑われる。
ほっこりする夜だった事はよく覚えてる。
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職場でたまたまフリー・ジャズの話をした。
20代前半の時に、友人の家で、週に一度は集まって、朝まで彼やもう一人の友人のセレクトした音楽を聴きながら、音楽や映画の話をコーヒーと煙草だけでしていた。寒い季節だった(20代前半通じて…)けれど、いまではあの時間も振り返ると貴重な時間だったと思う。
いまでは連絡は途絶えたままだけれど。
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それでジャズを聴くと、今度はジャンゴ・ラインハルトからマヌーシュ・スウィングやブラジルのショーロって音楽を聴き始める。
それがいつだったか忘れたけれど、友達に、
マヌーシュのコンピを作って欲しいと言われて、作ったりした。彼女もいまではお母さんになり、しばらく会ってない。当時は割とそんな風に、様々なコンピを作って、個人的にあげていた。
よく晴れた日、同じ公園でその子とふたり、
少しだけ飲んだ景色を覚えてる。
例えば、六本木のライブハウスで、自分の企画を2回だけした時、配ったミックスCD…そこでキャッツアンドフィドルの「I miss you so」をリクエストされたこと。
音楽がかかっていると、記憶がいくらでも蘇る。美しい光景として。
例えば、最近の友達がYouTubeをたぐる僕を見て、「音楽との向き合い方が真剣だよね」と呟いたこと。
レコードを処分しようか、とずっと考えていたのだけれど、どうやら出来そうにない。
レコードでしか聴けない音楽がまだたくさんある。
それで、ついつい、いまのコンポに繋げられるレコードプレイヤーを探してしまう。
あまつさえ、最近はクラシックも聴いているからなおさら。
美しい光景、美しい旋律、かわいらしい笑顔…生きるに足るのはそれだけで充分だと思う。
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