小説を書いた。

前作、最初の小説から、しばらく間が空いたけれど(1年と2ヶ月かな?)、それから前作が28,563文字で、今回はもっと短く12,159文字。
タイトルは「子供たちの眠る場所」。
朝9時から19時まで、2時間ほど休憩しつつ、一気に書き上げた。
そのため、荒削りで、推敲が必要だと思う場所がたくさんある。
それでも面白い経験だった。
良かったのは、ひとつのフレーズやセンテンスを書けば、それに導かれるように、ふんわりといくつかの、これを書こうという思いつきが浮かび、書くうちにどんどん自分では考えていない方向へと話が向かっていくんだってことを知る。
反省としては、一回の休憩後、半分くらい辺りから、推敲がたくさん必要になるくらいに、隙ができてしまったこと。
体力のいる仕事だと、改めて思う。
推敲前、荒削りな最初の、音楽でいわばデモの原稿は、数人にしか読ませないつもりだ。
それから、つまり推敲してからは、どうしようかな?と、いまは考えられないけれど、投げ銭にでもして売ろうかと思う。
前作は無料で配ったのだけれど、賛否は、それは相手、読み手に委ねるけれど、せめて印刷代くらいは…と。
ゆっくり考える。

実は体調が優れない。ずっとうまく寝れてない。
月曜日にはちょっとカウンセリングを受ける。
決して悪いといえるほどではないけれど、早めに手を打たないと、また落ちてしまう、また動けなくなるとも思う。

とはいえ、この僅か1週間で、いろいろとあるから生きることは面白い。
疎遠になっていた友達とのやり取り。
特に大学時代、女の子たち以外では、ほとんど唯一、ずっと気にしていた男の子とずいぶんと久しぶりのやり取りをして、来月にはふたりでお茶でもすることになる。楽しみだ。
それから今作を書く背中を押したのは、やっぱり少し久しぶりのアニメーターの友達とのやり取りだった。ありがとう。

「子供たちの眠る場所」ってタイトルだけは、18歳の時には既にあって、当時は短い脚本として実は書き上げて、当時の友人に数人配っているはず。いまはもうその脚本も友人も見当たらない。

あと、書いている間はまったく無音で書いているけれど、書く前にはホドロフスキーの「エンドレス・ポエトリー」を垂れ流して、ちょっとずつメモしたり、準備に入っていった。それは最初の小説と変わらない…最近の小説に入っていくためにはほかにタルコフスキーやアンゲロプロスを流していたんだっけ?。それにALEX HENRY FOSTERの DVDにもかなり刺激を受けた。

疎遠になっていた大学時代の友達が「書き切ることが大事なんだよ」とメッセージをくれた。本当にそう思う。

ずっと目と頭痛との戦いでもあった。自律神経はやはりものすごく調子が悪いみたいだ。

推敲はするけれど、デモ版を一度読み返すと、
これは自分のなかの痛みを引っ掻きまわした、と思う。それがもし、いつかどこかの誰かの手元に届くなら、これほど嬉しく思うことはない。

ありがとうございます。

まだ寝れなさそうだ。
でも携帯は切ります。

これは、ミュージシャンでいえばセカンドシングル。
まだはじまったばかり。

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