8/28、宵の近況
8月上旬、僕はある流行病に罹り、
自粛生活をしていました。
仕事をしていたある日の15時くらいに、
背中に痛みやコリを感じて、
「疲れたなあ」と呟く。
それを聞いていた先輩スタッフから、
「前回、(疲れで)ダウンした時と同じ事を言ってるよ。心配だよ」と言われる。
16時過ぎ、業務が大体は終わった時点で、
早上がりをさせて貰う。
帰宅後、発熱はないものの、
寒くてたまらない。
熱を計るけれど、36℃台。
真夏にエアコンも切っているのに。
だけれど風邪の悪寒とも違う。
そのまま上司と連絡を取り合い、
翌日を休みにして貰う。
翌日、発熱。
仕事柄、体温計は持っているので、
前日に買っておいた風邪薬の作用で3時間ほど、寝ては起きたら、検温。
朝7時に37.3℃。
10時に36.9℃と下がるも、
12時30分には37.8℃。
この間に、発熱外来を予約する。
確か水曜日で、予約受入れは最短で土曜日とのこと。
14時30分に、38.0℃。
成人になってから、実は最大の発熱。
一度、17時と19時には37℃台に下がるも、
22時には38.4℃。
インフルエンザに罹ったこともない僕には、
これが成人してからは最大の発熱となる。
またびろうな話しだけれど、
排尿がほとんどない。
ポカリスエット、アクエリアスを大量に
飲んでいるにも関わらず。
翌日には、朝から昼にかけて、37℃、
そこから、12時には36℃台となり、
15時には排尿がようやくくる。
症状は喉に痛み、乾き、咳。
その15時に35.8℃。
これは僕の平熱。
以後、発熱はおさまる。
また風邪ならなくなる食欲はずっとあるし、
煙草も欲する。
そこが違っている。
土曜日、午前に予約した病院に行く。
病院ではテントが立てられ、大きな扇風機が回り、氷や冷えたタオルが配られている。
そこで目にした光景には、言葉を失う。
幼な子がずっとおかあさんに抱っこされ、
ぐったりしている。
髪を撫でられながら、しんどそうに、
おかあさんにしがみつく赤ん坊。
立てなくなっている成人女性。
必死の形相で、患者さんの名前を呼ぶ病院関係者。
病院には4時間はいた。
抗原検査とPCP検査の両方で、
陽性となる。
かつ、咳があるため、レントゲンなど肺の検査。
診察の後、会計と薬を貰う。
医療従事者には本当に頭が下がる。
そのまま帰宅。
保健所からは連絡は少なく、
市からパルオキシメーターが届く。
ネットで、体温とパルオキシメーターの数値を打ち込むことになる。
会社には、ずっと連絡を取り合い、
濃厚接触にあたるひとはいない、
と確認する。
(そのタイミングでは2日前に接触したひとが、濃厚接触者となる、と医師に説明されていた)
そのまま、ずっと自宅で静養。
土日をはさんでいるため、
11日間かな?。
食べ物などは、友人が家の前に置いてくれる。
自粛生活を終えるまで、体調は安定していた。
本当に、医療従事者には頭が下がる。
ー
ひとつだけ良かった判断として、
体調を崩した日の2日前に、
友人一家と遊ぶ約束を、
鼻水や疲れを理由にキャンセルした事。
小さな子供にうつす可能性を回避できた。
ー
実は仕事復帰から、その週末、
普段なら連休の日の日曜日に、
研修が入っていて、
週6日、勤務になっていて、
復帰後、それが体力的にはしんどかった。
研修は無事終わり、現職場で、
仕事の幅が増えたものの。
少し、不眠が出て、
カウンセリングに行き、
睡眠剤を処方して貰う。
とは言え、長年、一時期、睡眠剤を使わなければ寝れず、その影響を考えて、
まだ飲んではいない。
ー
昨日、ようやく、前述した遊ぶ約束をしていた友人一家と遊ぶ。
音楽などの話をしながら、
長女の夏休みの宿題を手伝う。
子供の扱いがうまいね、と言われる。
家庭によるんだろうけれど(それから、
僕はパートナーもいないし、
家庭環境は複雑だったけれど)、
残り夏休みが5日で終わるのに、
何にも手をつけていない長女。
じゃあってんで、スケジュールを
話し合いながら、紙に書いていく。
まずプリント。
夏休みのスケジュール、思い出の絵日記等。
それから、自由研究。
彼女がやりたいことに出して貰い、
選択肢をいくつかこちらで決めて、選んで貰う。
途中、集中力が切れて遊び始める。
そうしたら、例えば30分だけ遊んで、再開しましょう、と約束をする。
自由研究は卵焼きを、料理をした事のない彼女が、希望し、さらにお父ちゃんの卵焼きも教えて欲しいとの由。
そこからはずっと写真を撮っていた。
ファイルには200から300は、
初めて料理をする彼女の写真が残っている。
友人にも200枚はデータで送る。
初めての卵焼きは本当に美味しかった。
友人が言う。
忍耐力、あるよな、と。
それは仕事で培ったかな。
と言うか、スケジュールを一緒に立て、選択肢を提案し、集中力が切れたら約束だけはして、ちょっとだけ遊ぶ、などは仕事から学んだこと。
あとは、とにかく褒める。
ちょっとした事でも、出来た事、出来そうな事はめちゃくちゃ褒める。
決して、けなさない事。
ー
小さな頃、僕は複雑な家庭だったので、
ずっと大人の喧嘩や、大人に罵倒されるのが当たり前だった。
絵は好きだけれど、描かなくなったのは、
僕が描いた絵が地方のコンクールに入選したものの、小3かな?当時の担任が、
クラス会で、どう見てもこの絵の良さが分からないと言い、クラスに爆笑が起こって、
僕は絵を描かなくなったし、
学校にも行かなくなった。
大人が子供の可能性を潰す事については、
仕事柄もあり、やはりたまに考える。
いまでは懐かしいけどね。
ー
秋は別れの季節だった。
初めての友達を亡くしたのも、
我が家の家族が亡くなるのも、
秋だった。
けれど、その夏休みの宿題を手伝った彼女が生まれた秋の日。
彼女が秋を別れから出会いの季節に変えてくれた。
生まれたよ、と連絡を受けた日、
彼女にとってはおばあちゃんと、
僕はふたり、友人の実家の周りに育った木を切っていた。
夕陽を見ながら、
いつかその友人がこの木から夕陽を見ていたんだな、
いまは僕が見て、
いつか彼女がこの木から、夕陽を見るんだな、と思うと、胸が熱くなった。
すくすくと成長してきた彼女を見て微笑ましくなる。
どうやら、夏休みの宿題は終わらなそうだ、とさっき友人がラインしてきたけれどw!。
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