卒業のお祝い、中村一義の新しい歌
たまたまYouTubeをいつものバーで、いつものように手繰っていると、
中村一義さんの新曲、「春になれば」のPVが公開されていた。
曲も凄く好きだし、絵が変わっていく美しいPVも凄く好きで、最近ではずっとこの曲を聴いていたり、見ていたりする。
友達が中村一義さんの近況をいろいろと検索して、教えてくれる。
病気だった事やアウト・デラックスに出ていた事。
普段、仕事の事以外で検索しない僕は、まったく知らない情報ばかりだった。
中村一義と言えば、最初に好きになった日本のミュージシャンのひとり。「金字塔」と「太陽」のあいだだった気がする。よく指摘されているだろう日本語の使い方、歌い方、声それ自体に強く惹かれていたし、それはいまも変わらない。
彼が育ってきた環境や「状況が裂いた部屋」については少ししか知らない。
ただ、19歳だった僕が初めて通っていた精神病院に続く、駅から割と遠く歩く道、部屋から出て電車を乗り継いで、その病院に着くまでの時間、「金字塔」をポータブルのプレイヤーで聴いている事が多かった。
例えば、「永遠なるもの」の、不安定な「あなた」、泣けないし笑えないあなたを、好きだったひとに重ねてみたりもした。
アルバム「ERA」は当時は濃いなぁと思いながら聴いていた…ちょうどレディオヘッドの「KID A」やサニーデイ・サービスの「LOVE ALBUM」と並べて、例えばアンダーワールドのDVD「everything,everything」などを見て、落ちたり上がったりしながら。
確かに僕も「100s」いやその前に出たシングル「キャノンボール」にずいぶんとほっとしたし、少しだけ何かしらから解放された気もした。
以後は武道館にライブには行ったものの、中村一義並びに100sの熱心なリスナーではなくなっていたかもしれない。
例えば「OZ」までなら、何度も何度も聴き込んでいた時期に比べたら。
自分がやるDJで目一杯だった。
いつか中村一義のライブでDJをする、って夢は(割と当時の好きだったミュージシャンには会っている)まだ叶っていない。
「対音楽」と言う2012年かな?中村一義名義で出たアルバムは久しぶりにはまった。
それでも19歳の頃よりは、彼の歌を聴く時間は減っていた…とは思う。そう思いながら、アップルミュージックでマイベスト中村一義を作ったりしてる(数年前に)。
そのマイベスト中村一義に、「春になれば」は加わるような、思い入れのある曲になりそう。
それから、この10日は仕事でバタバタして、
久しぶりに昨日、友達と呑む。
彼が指定してきた呑み屋さんに行く。
彼の息子が、いきなりスーツで入ってくる。
今日が卒業式だった、と言う。
おめでとう!と乾杯して、たくさん話す。
天ぷらやお刺身をたくさん食べ、日本酒を少しだけ呑む。お祝いの席に呼んでくれるのが嬉しい。
彼は彼がまだ10歳にもなるかならないかの時に公園で何度かキャッチボールをした。手首のスナップの効かせ方も教えたし、ブカブカの帽子にグローブで、公園の林の中に逸れた球を追いかけていた光景を、その友達がベンチでウォッカやワインをボトルで呑みながら見ているのも含めて、よく覚えてる。
友達の子供と遊ぶのが、僕には初めてだったからなおさら。
それからは友達が奥さんと離婚して、数年は会っていない。ただ、その時に彼の息子の話を聞いて、心配したりしていた(勝手に)。
彼が大学に入った時にお祝いでご飯を食べた時、久しぶりに会う彼はキャッチボールの事など、覚えてはいなかったし、凄くシャイな青年だった。
ところが昨日は友達に似てか、整った美しい顔立ちで、割と(こちらが尋ねると)喋るようになっていた。
時間の経過を感じる。
それでもまたお祝いができて、嬉しく思う。
少しだけ二次会と言って、カラオケスナックに行く。友達は酔いどれて、がなっている。その前に嬉しくてか、こみあげるものがあってか、泣いてるのが嘘のようだった笑。
彼も少しだけ歌い、お店から出る。また来月辺り!と、見送る。友達が外で彼と話してる。それからお店に戻ってきて、「キャノンボール」を歌う。調子っぱずれのがなり声で。
けど、そこには愛が待っていた。
とても美しく響く夜だった!。
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