小さな声を拾う
ここのところまた調子が良くない。
ひとりなのに、ひとりになりたいと思う。
誰といても、気付いたらずっと聞き役で、
今日も誰とも話してないな、と思う日が増えると尚更。
大きな声が鳴り響く時、そっと僕は音楽に逃げ込む。
大きな声が掻き消していく、小さな、まだ言語化されていない感情が更に乱れて、それはもっと静かに、あるいは消えていく。
死にたいと思ったことはない。消えたい、たまに思う。
声が好きだ、といわれる。
自分ではどんな声を発しているかさえ、例えば自分のDJがフロアでどんな風に響いているかを知らないように、知らない。
消えたくなるような帰り道、満月に近い月を眺め、
目の前を歩く恋人たちを目の隅にして、
ある友達だったひとを思い出した。
何度か一緒にコーヒー屋さんに行った。お酒を呑んだことはない。
「Gくんさ、大学の新入生オリエンテーションで、話したこと、
いまでも覚えてるし、感動したよ?」
彼女がいった。彼女だけじゃなくて、何人かの同級生に、あの時の言葉を覚えている、といわれる。
正確に何を話したかは僕は覚えていない。
好きな映画評論家は?という問いに(僕は映画評論のゼミにいた)、
あるマイナーな評論家の名前を出した。
誰も知らなかった。ひとりの教授だけが彼の名前に反応した。
「どうして彼を好きなの?」と訊ねられた。
なんて応えたかは覚えていない。
「彼は多くの評論家…だけじゃなく、多くのひとたちが見落とすような、誰も見向きもしないような、そういう小さな声、すぐに搔き消されてしまうような声を拾うじゃないですか。それは作品然りで。僕もそういう風に、小さな声を拾いたいんです」といった旨のことを応えたと思う。
念頭には、きっとその2年前に僕の身に降りかかった、カルト宗教への勧誘があり、そこで僕はひとが生きること、自明とされている根拠、それは例えば小学生からずっと不登校だった僕にとっては、もうずっと考え続けていたこと、そこからずっと(ずっとが多い!)患っている病もあった。
同時にいまなら、声すら出せないひともいると付け足すだろう。
ふと、青いワンピースを着て、喫茶店で微笑むその友達を思い出した昨夜の帰り道。
変わっちゃいないな、と思う。
小さな声を拾いたい、声を発せないひとの気持ちを拾いたい、例えばそんなお話が描けたなら。
ひとり、月に立って、そう思う。
だからってわけじゃないけれど、
もう最近はずっとR.E.M.ばかり、聴いていたりもする。
R.E.M.のディスコグラフィーについてのすべてを聴いているわけではない。
ベスト盤、Automatic For The People、Out Of Time、Reveal、Around the Sun、Upあたりかな。だからベスト盤といっても、IN TIMEになるんだけれど。
YouTubeで、ひたすら長尺のライブ映像を垂れ流している。
マイケル・スタイプが曲の説明をしながら、歌に入るような。
英語が得意でない僕だけれど、彼の言葉は優しく入ってくる(半分は聴き取りミスもあるだろうけれど)。
実際にはR.E.M.がどういうバンドかってのすら、知らない。
論評できるような知識はない。
ただ歌詞の和訳をずっとしようとは思っていて、取り掛かるタイミングがまだやってこない。
いまではザ・スミスより、この数年はいちばん聴いているし、見ている。
和訳にしたって、ほかにちょっとしてみようと思っているのは、ブライト・アイズくらいだ。
優しくて、孤独なひとなんだと、本当に手前勝手に、マイケル・スタイプを見ると思う(彼にしたらいい迷惑だ)。
それから私的プレイリストも作りたいな、と今思う。
I’ve found a way to make you
Ⅰ've found a way
A way to make you smile
At my most beautiful
R.E.M.「At my most beautiful」
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