諦めたくなかった
たまたまふと、橋口亮輔監督の2001年の映画、「hush!」を観る。公開当時から劇場でも何回か、VHSを買って家でも何回も観ている。
久しく観ていなかったけれど、この135分かな?すべてが自分の中に入っているし、大切にある。それは会話だけではなく、シーンもだし、この45歳になってはじめて響く事もあった。
橋口亮輔監督は「二十歳の微熱」「渚のシンドバッド」が衛星放送で流れていて、録画して観て以来、ある時期までずっと特別だった。
大学時代、卒論に選ぶのを迷ったのが橋口亮輔監督研究かジム・ジャームッシュ監督研究だった。
それは10代から20代にかけて、自分のセクシャリティーにずっと悩んでいたのも絡んでいるし、かつ、「hush!」は家族の事にもフォーカスされている。
雑に物語の始まりを書けば、二人の男性が出会い、一緒に暮らし始めたところに、一人の女性がたまたま現れ(自然に)、二人のうち一人の男性との子供が欲しい(それは恋愛ではない)と言い出す。そこからじゃあ、家族ってなんだろうね?、という問いが、ジェンダーや封建的な環境などを織り交ぜて、かと言ってシリアスに寄るものでもなく、とても丁寧に、時にはくすりと笑える描写を伴って、ここでは描かれていく。
片岡礼子さん演じる藤倉朝子が、修羅場を前に「諦めたくなかった」と言う場面で、僕はやはり泣いてしまう。
家族ってなんだろうね?という問いかけに、血の繋がりがあげられるとすれば、選べないものだとすれば、じゃあ反対側に、家族を選ぶ、家族になる、という答えがある事を当時の僕はここで知った。そしてその先に、子供を作る、という選択肢は、いまは僕が少し悩むのは、例えば大好きなロックバンドが、僕たちには未来の子供たちの為に責任があるんだ、と歌う時にも同じように悩んでいる。責任もしかり、無邪気に子供が自分たちの希望の象徴として描かれるのも。託す…というところは、いま自分が留保して考えているところ。
それでもいまでもこの映画は色褪せない(僕には)。たくさんの思いがつまっている。
矛盾した事を書くけれど、ふと好きなひとに、結婚したり、子供を欲しかったりするけれど、45歳にもなると、さすがにね…と笑うと、いや、あなたはこれからでしょ?とかつて言われた。そしてそれを少しだけ信じている。そしてやはり感情は揺れる。
それでもひとを好きになる事、未来を信じてみる事、ひとと関わる事を諦めたくはないよな。何度も諦めかけて、それでもね。そんな矛盾、引き裂かれながら僕は生きてる。たくさんの事を諦めて、それでも諦めれない事。それは自分だって家族を欲しがってもいいんじゃないか、って事や、夢を見てもいいんじゃないか、って事。
いま様々な感情がやはり入り乱れながら、ただ、思う。それはかつて、橋口亮輔監督のエッセイに書かれていた、自分が生きることはそれだけで美しく、そしてその自分が生きている世界もまた美しいのだと信じる勇気(ただここは橋本治さんのエッセイとフレーズが混じっていて、正確ではないと思うけれど)。その勇気をたずさえて、また夢を見る為に目を閉じよう。目覚めたら、世界はまだ美しくあるように、そう信じて。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?