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揺れる感情の日々

やっぱり夏はだいたい毎年、調子を崩す。
今年もまた、少しの間、布団に潜って夜をやり過ごす。まるで、ジョン・レノンの「真夜中を突っ走れ」だ。

ふと友達が言う。「未来が明るいなんて信じられないですよ」分かる気もする。けれど、「未来がいまより良くなっている」と、「思考をポジティブな方向に変えてみる」、「言葉を使う際には決してネガティブな言葉を使わない」、
いま僕はそれを試している。

だからと言って、決してそれがずっと上手くいっている訳ではない。やはり感情は揺れる。ちょっとした事で足が止まってしまう。上がっては落ちて、落ちては上がっての繰り返しだ。

ふと思う。以前、生活保護の事を書いてみたりしたけれど、僕はたまたま生活保護から抜け、収入も人並みにはなってきているとはいえ、それを成功例として語りたくないし、つまり「生存者バイアス」(使い方があっているかは分からない)になりやしないか、やはり考えてしまう。

例えば孫引きだけれど、尹雄大さんの「聞くこと、話すこと」と言う本に、あるエピソードが紹介されている。それは上間陽子さんについて書かれている章で、暴力を受けた過去を持つ方が、ようやく芽生えた望みが、上間さんの著作を読んで、「文句」を言いに行く、そしてそれをその方に関わるケアのスタッフが、ようやく「願い」が出てきたと喜んでいる、そんな僅か数行に僕は(そもそもこんな風に乱暴に引用するのが許されるなら)泣いてしまう。理由は分からない。
現実はそれぞれにあり、それも幾重にも複雑にこんがらがっている。

やっぱりYouTubeで見た、awichとKEIJUの「remenber」でも泣いてしまう。理由はやはり分からない。

もうずっと見ているのだけれど、最初から泣いてしまう。

楽しむことへのギルト
ずっと抱えながら生きるの?

ただ、立ち止まり、考える。立ち止まり、考えること、それ自体がとても大切に思う。

そして何人かが亡くなった秋がまた来る。

必ず聴くようにしている亡くなった友人のCD。

こんがらがりながら、それでも秋を別れから出会いに変えてくれた友人の娘の誕生日プレゼントを買う喜びは、毎年、何にだって変え難い。
様々な感情が自分の中で上がっては消え、また浮かんでくるから、やっぱり夏から秋は苦手なのかも知れない。それでもまだ会える喜びを、伝えなきゃね。

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