あの頃、未来は悲しかった。
写真は久しぶりに会った友達と行った喫茶店で食べたパフェ!。
ふと思い出した。
幼い頃、夕暮れを見ていると、涙が出てきて止まらなかった。
おかあさんが僕の目から流れる涙を指で拭いながら、なんでそんなに悲しいの?とよく言っていた。
特に大好きな母方の実家に行くと、守られている感じ、気を抜ける唯一の場所で、だけど、ふとした瞬間に、いつかみんないなくなるんだな、見ている景色もなくなっていくんだな、と思うと、泣いていた。
夕暮れって美しいけれど、
空が血を流す
とも思っていた。
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学生時代、今考えると友情ごっこをしていたなあ、と思う事がある。
友達が体調を崩して、手術ってなった時に、
不安がる彼女のそばにずっといた。
入院前、練馬に呼び出されては、終電に飛び乗った。
朝までただ一緒にいた。
その時はその時で必死になっていた。
試されるように、決まって終電に間に合うかの時間にかかってくる電話。
期待に応えようとしてしまう僕。
友達が二人を見て、言った。
きっと彼女が30を過ぎたら、
いまどれだけお前がそばにいてありがたい事か、わかるよ。
真意は知らない。
それが事実になったのか、彼女がいま僕を覚えているかも知らない。
彼女が語る僕たち何人かの友達の、未来。
それを聞きながら、僕は僕で、
書き殴ったノートをいまも覚えている。
「僕はきっと彼女の語るその未来にはいない。
それが悲しい」
未来は悲しい予感しかなかった。
あの頃は。
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自分の人生を始めなきゃな、って思った。
何が自分ので、どんな人生かはわからなかった。
ただ、その最初の一歩を踏み出す為に、
あの頃の友達から離れた。
希望なんて見えていなかった。
そして、確かにようやく希望を見出したのは、
30になる頃だった。
もう夕暮れを悲しいとも、未来に悲しい予感もしなくなって、ただ日々変わりゆき、同じ形をしていない空を美しいとだけ思うようになった。
すべてはいなくなり、消えていく。
僕もやがてはいなくなる。
だけど、いまこの瞬間に感じた気持ちだけは、
この胸の中にある気持ちだけは、
消えない。消せない。
それが永遠ではなく、刹那でも。
ただ、久しぶりに会った友達が、笑っている姿を見て、
まだある未来は美しいな、と思える。
いまは未来は美しい、そう信じられる。
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