空に願いを
子供の頃、大好きだった母方のおじいちゃん家に向かう車内から見える夕焼けに、いつかみんな消えていくんだな、と泣いたことを覚えている。
おじいちゃんは戦争で聴力を失い、たまに家に行くと、ふたりでずっと野球中継を見ていた。静かに見守られていた優しい場所は、きっとほとんど戦争だった子供時代、唯一、何も考えずに居られる居場所だった。
今年は、梅雨が本当にしんどかった…。精神的にやっぱり何度か落っこちそうになる。その度に自分を奮い立たせてくれるひと。ありがとう。難聴が久しぶりに来た時にはさすがに参った。
空ばかり見ていた。インスタグラムも空ばかり上げていた。空は飽きない。決してそこに、見ている時に、自分の気持ちを反映させているわけじゃない。僕の見ている空には詩はもしかしたらあるかも知れないけれど、物語の入る余地はない。ただ、眺めているだけで、飽きない。
夏休み①、僕はひとり小さな神社から太陽、朝日を眺めていた。ちょっとした山を登った先にある神社。願い事をする、というより、気持ちを置かせて貰ってきた。置いてきた。
それから富士山の見える、ほとんど誰もいない海で、ずっと歌を歌っていた。小さな声で、出鱈目に。小沢健二の天使たちのシーン。神様を信じる強さを僕に。生きることを諦めてしまわないように。でもやっぱりほとんど出鱈目に、自分で気分を適当に歌う。
だいたいは3個くらい、思うことがあった。ふたつは、いつか実現したら、書こうかな。でもひとつは、やっぱり歌いたいな、ってものだった。それもありふれた、ありったけのラブソングを。
サンプラーはあるので、これから遊びつつ、元々サンプラーに入っている音で、歌というよりはポエトリーリーディングをしよう、と。
最近ずっとターニングポイントばかり、感じる。
へこたれることもあれば、ぐずりたくなる瞬間もある。でも、晴れた日、歩いて行こうと、また戻る。
落ちたり、また戻ったりを繰り返すあなたの足跡が、誰かの希望になればいいね!と友達の奥さんに言われた。
ある占いの本に、いままで欲しがってはいけないと思っていたものをいまなら手に入れるだけの力がある、と書かれていた。それは必ず近いうちに手に入る、と。
本当に欲しいものが何かはいまは書かない。
ただ、ずっと誰とどこにいても、いつかこれは終わるんだな、と思っていた。寂しかった。たぶん、ずっとそれを孤独と呼ぶなら、それは初めから僕のなかにいた。孤独ではなく、諦めと書いても、それは気付けば僕のなかにいた。
だけど、これは終わらないんだな、と思う感情が芽生える自分にびっくりする。
それを歌いたいなぁ、と思う。
変わりゆく自分のなかで、変わりゆく日々のなかで、ようやく変わらない感情。変わらない愛。
それを書きたいなぁ、と思う。
不安定さや幼さは変わらないけれど、そう僕は弱く揺れるけれど、愛だけは手放さずにいるんだな、と思う。決めた、とかでもない。そこは相変わらず頑固で一途な水瓶座だな…。そしてそれは、僕の中では終わらない感情なんだな、とふと気付く。
たくさんのお別れをしてきた。たくさんのさよならを。伸びてきた手を払い除けることだってたくさんあった。さよならしたこと、終わったことばかりnoteにも書き連ねてきた。
ただ、あの日、静かな海を眺めながら、湧きあがってくる感情。たぶんそれは初めて、終わらないと思った感情で、ちょっとだけ泣いた。
僕はそれを愛と呼ぶ。この先、未来、何が起こって、どう変わっていったとして、ずっと変わらない感情。それは終わらないんだろう。
あいしてる。
美しい世界のなかで。
歩いていこう。
歌を歌おう。
ありがとう。
あいしてる。
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