あなたは僕を少年にもどす

大学に入学した僕は、ガイダンス合宿って授業が始まる前に新入生だけで行く千葉のホテルで、たまたま同部屋だった男の子たち4人と、新歓ガイダンスってのに行った。大きな講堂の片隅で、僕らはいろんなサークルの出し物を見た。音楽系のサークルがライブを始めた。ネルシャツにジーンズのラフな格好をした女の子が、ラモーンズの電撃バップを歌い出したとき、横にいたYが身を乗り出したのを覚えてる。赤いワンピースに丸いサングラスの女の人たちが、ザ・フーのマイ・ジェネレーションの演奏を始めた瞬間、ずっと音楽を好きでいた僕ははじめて、そうか、バンドをやるって考え方もあるのか、と、あの破壊的なソロまで完コピしているベーシストを見ながら思い、その後ろで、ちょっとだけ顎を上げながら、眼をつむり、ドラムを叩いてる小さな女の子に恋をした。家にはチューニングすら出来ないまま放置されたアコギがあり、その小さな女の子を見て、東京にはこんなに可愛い女の子がいるんだ、と思った。新歓ガイダンスがすべて終わった後の、各サークルの机が並んだ校舎で、Yと僕は鋲だらけの革ジャンにADDICTSと書いてある、スパイキーヘアの女の子にそのサークルへ勧誘された。Yは僕にいった。俺が入るからって理由だけで、このサークルに入るのはなしだからな。でも僕は僕で、バンドをやってみたい、ここならそれが出来るのか、まるで夢のようだな、と思った。バンドをやるってこと自体、友達がいない僕には、夢のようだった。その可能性が目の前にある。だから、そのサークルの、見学会とやらに一人で行ってみた。はじめて見る機材、アンプに繋げたギターから出るノイズ混じりの音や、生音で聴く太いベース、大きな音に怖気付いた。優しそうな女の子の先輩がドラムセットの周りにたくさんいる、それだけの理由で、ドラムを叩かせてもらった。全く理解出来なかった。右手、左手、右足を別々に動かすこと。全く叩けない僕に三人の女の子が、それぞれ右手、左手、右足を手で支えて、ドラムを叩く補助をしてくれた。特にバスドラを踏むタイミングを教えてくれるために、身体をバスドラの方へ潜り込ませて、僕の右足を押してくれた先輩や、スティックでハイハットとシンバルの刻み方を教えてくれた先輩や、手を叩いて、スネアを叩くタイミングを教えてくれた先輩の姿をいまでも覚えてる。僕は必死に叩こうとした。全く、叩けないままに。僕の横で、自分のスティックでハイハットやシンバルを叩いて教えてくれている女の子が、ラモーンズとザ・フーを大講堂で叩いていたあの女の子だと気づきもせず。そして僕はその女の子に恋をした。肩まで伸びる長髪だった僕は、最初、メタルなんかの激しいドラム経験者に見えたらしく、ドラムを叩き出したあと、ちょっと笑ったと、のちに同級生が振り返る。僕は僕で、しばらく練習して、ハイハットとスネアだけは4ビートの遅いリズムの組み合わせをマスターした。すでに恋に落ちていた女の子が、ちょっとだけマスターした僕に向けて、目を細めて、にかぁーっと、にかぁーっととしか書けない可愛い顔で笑うものだから、僕はこのサークルに入ることを決めた。Rさん、後で僕は彼女の名前を知ることになる。同い年の先輩だった。

新入生でも、直ぐにバンドを組まされる。新入生だけの一ヶ月先の発表会。未経験者はだいたい、余る。とりわけ内向的な僕は最後まで、バンドを組めずにいた。余った初心者のベースの女の子と、やっぱり内向的な、それでもギターを弾ける男の子の三人で、ようやくコピーバンドを組んだ。誰から話すでもなく、仕方なしに。各バンドを先輩たちが練習から面倒を見るシステムで、僕たちについた先輩がラモーンズの電撃バップをやっていた女の子たちだった。もちろん、Rさんもいた。僕たちは、セックス・ピストルズのアナーキーインザUKを課題曲に、はじめてスタジオを借り、そこに週一で集まり、一ヶ月間、みっちり、練習した。Rさんが喫煙者だと知ったのも、まだ灰皿のあるスタジオだった。彼女は僕のドラムを見ながら、それなりにうまく叩けると、拍手を満面のにかーって笑みでしてくれた。そして、僕と同じ煙草を吸っていて、ちょっとだけヤンキー風に、煙草を持つ手を右側に開く。いつもは作り笑いもしない、真剣な表情をしているひとだと知り、赤いワンピースはライブ用の衣装で、普段はだいたいは黄色や深緑のパーカーとジーンズを着ていることを知った。
新入生だけのライブのとき、いま考えても酷いライブで、だけどドラムを叩いてる最中に彼女が、ライブをやるいつもの教室のいちばん後ろで、ずっと拍手してくれていたのを覚えてる。ライブが終わって、はけた僕に、かっこよかったよ、にかぁーって笑いながら、彼女が真っ先にいいに来てくれた。

そして、6月から12月までの間に組むバンド。僕はそのまま、最初に余っていた三人でバンドを続けることになる。彼女はそのまま赤いワンピースのモッズバンドを。最初にそのサークルに入ったYは、ベースが買われて、先輩とパンクバンドを組む。
そのサークルでは夏と冬に比較的大きなライブハウスで、秋にはその教室でPAや照明なども手作りの学祭ライブを三日間やる。夏と冬には合宿もある。
気付いたら、サークルで仲間ができていた。
YとTちゃんてギターの男の子と。それから僕のバンドのギターボーカルの男の子と一緒にいる時間が増えていく。たまに、Jってメガネのドラムの女の子と、電話で話すようにもなる。他愛のないはなし。気付いたら、朝まではなすことが増えていった。

一、二年と三、四年の校舎が違う僕らの学校に、大好きなRさんが落とした英語の補習を受けるために来る金曜日、僕はずっと部室にいるようになる。幸運にも誰も来なければ、彼女と、黙ってそこで二人でいる。はなすこともなく。そうすると、彼女のバンドのギタリストの姉さんが入ってきて、静かにアコギを弾きはじめる。三人の穏やかな空間。
たまにサークルで会議がある。机をコの字型に並べて、学年ごとに座ると、彼女と向き合う位置に座る。僕は彼女を見てしまう。当然、視線に気付いた彼女と目が合う。目を反らせない二人はまるで、メンチの切り合いのようになりながら、ずっと視線をそらさない。

学祭マジックというものがある。学祭に向けて、サークルが一丸となって、盛り上がっていく。練習はもちろん、しなければならないことが増えていく。僕とYは照明係をしていた。
ある晩、ある先輩の家で、鍋をつつきながら、何人かで、お酒を呑んだ。彼女には、さらに二年先輩の彼がいることは知っていた。
はじめて、僕は誰かに、彼女が好きだということをもらした。すると、その家の先輩がいきなり、彼女に電話をかけて、彼女が出ると、携帯を僕に渡した。はじめて受話器越しに聞く彼女の声にテンパった僕は、大好きです!大ファンです!と叫ぶように伝えた。彼女はにかぁーって笑うのが見えるように、ありがとう!はじめて誰かにそんな風にいわれて、そんな風にいわれて、本当に嬉しいよ、といってくれた。

学祭二日目、僕たちのバンドの前が、彼女たちのモッズバンドだった。シャラララリーではじまるライブ。僕たちは控え室がわりの暗幕の隙間から、彼女たちの音にあわせて、ずっと踊った。ボーカルの女の子が、次に出てくるバンドはバンドをはじめたばかりの一年生だけど、本当にかっこいいから、見てってね!とMCでいった。気合いの入り過ぎた僕は、相変わらず酷い演奏で、だけど、やっぱり演奏後に真っ先に感想をいいに来てくれる彼女の目をずっと見ていた。嘘のつけない真剣な目。
僕は一年でずっと4ビートしか叩けなかった。でも彼女の叩き方をずっと真似して、顎をあげ、目をつむり、それにオフマイクでもメロディーを口ずさんだ。

冬の彼女たちの学年が引退するライブ。彼女たちはいつものように、モッドバンドとして、クールに演奏して、去っていった。
彼女たちのバンドのボーカルの女の子と、一回だけ、その時期に学校のベンチで呑んだ。ごーちゃん、そのボーカリストは僕をそう呼んでいた。強くなって欲しいから、ごうすけ。強輔さん。その女の子は街の酒屋さんでビールを買い、街の焼き鳥屋さんで焼き鳥をテイクアウトし、奢ってくれた。いま考えてもお洒落な飲み方だと思う。みんなが噂していた、その女の子と仲良しの男のひととの関係を聞いた。彼女は、そんなことを直接聞くのはごーちゃんだけだよー、といいながら笑って、だから特別に教えてあげるね、と内緒のはなしをした。
いつも部室でギターを弾いていた姉さんとはたまに呑むなかになっていた。きっかけはプリティ・シングスのCDの貸し借りだった。
大好きなR先輩とはほとんど喋れなかった。女の子とはなすことも苦手で、初恋だった。目で追うのが精一杯だった。たまにメンチの切り合いになる、あれ。

二年生になり、だんだんと仲良くなっていたYとTは新しいバンドを組むようになり、二人で一緒にいる時間が増えていく。高校時代がない僕は僕で、はじめての後輩とみんなでワイワイ遊ぶのに忙しくなる。そしてやっぱりJとの電話は長くなっていく。JはYを好きだった。僕もYを好きだった。だから、三人でいるより、YとTが二人でいることが増えるのに、ちょっと嫉妬しながら。それでもJとはなしたことを覚えてる。Yがさ、二年生が仕切る学祭の忙しさで潰れないか、それだけが心配だよ。Yは学祭で照明の手伝いと、企画責任者になっていた。

その年、僕は新しく出来た後輩とつまらないポップバンドを組み、一学年上で、一つ年下の、ブランキージェットシティとサイコビリーが好きな女の子につきっきりで、ドラムと照明を教えてもらっていた。僕は学祭で照明を作ることになっていた。理科や科学など、電気のことなどまったく分からないのに。サイコビリー姉さんと、それから五年くらい先輩の、照明のシステムを作ったひとのノートを熟読して、ゼミ以上に勉強していた。
Yが企画責任者としてやるからには、なるべくフォローしたいな、と思っていた。照明、手伝ってもらってるしな。それにY、たぶん今年でサークルをやめるんだろうな、そんな気がしていた。

夏の合宿では、YとTの仲は最悪になっていた。気付けば、すれ違っていた。僕はそれを傍目から見ていた。だいいち、彼らが組んでいたバンドも仲違いし、毎回のライブ自体酷いものだった。ずっとJとの電話は続いていた。
学祭の準備期間を経て、いざ学祭の仕込みの日。内装がまったく仕上がっていないことをみんなが知った。そのために、ほかの仕込み時間が削られていく。けれど、照明は余裕だった。僕はそのときにはそれなりの知識と計算ができるようになっていた。中途半端な内装はライブ本番当日朝になってもまだ完成しないまま。10時、ライブは始まった。PAはハウリングのノイズがずっと起きていた。ライブが終わる17時まで。内装の白い布が、どんどん剥がれていく。最悪な雰囲気のままで1日目最後のライブが終わる。アンコールのリクエストもないまま、あらかじめ用意していたアンコールの曲をやるトリのバンド。
そのバンドのライブ中に、サイコビリー姉さんが友達とはなしていた顔つき。僕は勘付いた。
滑っていくアンコールが終わったあと、部長が切れて、はなしはじめた。二年生スタッフがアルコールを売ることを考えて持ち込んだビール。それで、次の日からライブができなくなるかもしれない。その後続く重い沈黙を破ったのは、みなが動けずにいたあの空気を破ったのは、僕とYの、照明チェックしようか?だった。ライブができなくなるか、まだ正式に決まったわけじゃないから、できることはしておこう。二人と、二人につく後輩三人で、ステージの照明チェックをはじめる。
手作りの照明。上手、寒色ください。少しの間、響く孤独。それで、PAのスタッフが動き出した。それから、誰もが動き出した。その後しばらくして、ライブが、反省文と注意文込みで出来ることになる。

二日目になってもPAのハウリングはやまなかったし、内装は酷いものだったし、僕のバンドもつまらないライブをした。だけれど、YとTのバンドがその日のトリを飾るライブをはじめた瞬間。僕は、隣で照明の卓を弄ろうとした後輩に告げた。ごめん、一人でやらせて。暗闇のなか、フィードバックギターの音。赤く点滅する光。音楽が立ち上がる瞬間に目の前ではじめて立ち会えた。そんな気がした。仲違いし、ボロボロだった彼らが、一気にめちゃくちゃかっこよいオルタナロックバンドになった。カメラを構えていたJが、僕がオペレーションしていた照明を見たあと、僕を振り返って、かっこいい、そう呟いた。
30分、アンコール込み。最高のライブだった。あっという間だった。

学祭が終わり、たくさんのことばが交わされた。たくさんの罵り合いがあった。ただ、僕に届いたのは、かつて照明のシステムを作った伝説の先輩に、人づてに、今年の照明はやばいね!嫉妬しちゃうくらい、かっこいいと伝えといて、と聞いたこと。僕がJとはなした、Y、大丈夫だったね、潰れなかったね。企画として理解していたひとがあまりいなかったのは不幸だったね、という会話。それから、打ち上げで、隅っこで呑んでいたR先輩に寄っていって、先輩!いつか呑んでください!に対する、やっぱりにかぁーってした笑顔だった。

早いクリスマスパーティーがサークル全員であった、12月初め。Yはそのときいちばん仲良しだった後輩の男の子とふたり、やたらとはしゃいでいて、僕はそれを眺めながら、遂に来たな、と思った。パーティーが終わり、僕らの学年が集まり、彼がはなしがあるといったとき。やっぱりな、と思った。彼は、サークルを次のイベントで辞めることにした、といった。集まりが終わり、一瞬だけ二人ではなした。目が赤くなっていく彼のはなしを聞きながら、ちょっとまずいな、と思った。彼といちばん仲良しだった後輩が来て、Jや二人の同級生の女の子がありがたいタイミングではなす二人のところにきた。僕は夜の静かな校舎に向かって、歩き出した。彼の前では泣けなかった、我慢していた涙があふれだす。すると、こっちに向かって走ってくる足音がした。いきなり、ガンとだきしめらた。Jだった。Jに抱きしめられながら、僕は声や鼻水をたくさん出して、泣いた。
暗くなっていく、僕の学生生活の始まりだった。彼のサークルでの最後のライブは覚えていない。会話をしたのかさえ覚えていない。僕は飲み会で、引退するサイコビリー姉さんに、あんたは年上だけど後輩で、かわいいよ。うちは一人っ子やけど、もしうちに弟がいたら、あんたみたいなんだったら嬉しいな。そんな風に、抱きしめ続けられながら、いわれた。

三年になり、R先輩もYもサイコビリー姉さんもモッズバンドもいないさみしいサークル生活で、僕はモッズバンドを組み、歌い始めた。たまにライブを見にくるR先輩とも挨拶程度になって、目を合わせなくなった。僕はさみしくて、どんどん暗くなっていく。バンドがどれだけ評価されていようと、ファンがつこうと。Jとの電話もめっきり減った。彼女は彼女で新しい恋をしていた。
僕らが引退するライブに、それでもR先輩が来た。飲み会の帰り際、一瞬だけはなす。Gくん、変わったね。あのにかぁーはもうなかった。

それから3年もしただろうか?僕はプリティ・シングス姉さんと二人でバンドを組んだ。それも結果的にうまくはいかず、呑み会だけになった。そんなとき、たまたまR先輩を呼ぶことになる。男ふたり、女ふたり、個室で呑んでいるところに遅れて入ってきたR先輩の姿を覚えてる。にかぁーって笑う姿を久しぶりに見た。同棲していた彼と別れた、といっていた。G、Rのことしか本当に見てないよ、Rのはなししか聞いてないよ、誰かが突っ込んだ。二時間だけの幸せな再開。

それでも、電話番号を交換した僕は、彼女と何回か野球を見に行った。千葉から西武ドームに彼女は通っていた。佐藤友亮が好きで、潮崎の引退試合で泣く彼女の横にいた。豊田投手が好き過ぎて、ピッチング練習を間近で見る彼女のうしろ姿を見ていた。Gくんという呼び名は、きみ、に変わった。
ある日には、帰り道、いつもと同じ、カブレラ地蔵で手を合わせて拝んだあとで、彼女は、今日は、帰るね、といった。
それでも彼女とはまたしばらく会わなくなった。

不意に思い立ち、しばらくして、彼女に連絡してみた。電話をかけた下北沢で、新宿で呑む約束をした。
冬の新宿で、カウンターの魚専門のお店で呑んだ。彼氏がいることを聞いた。僕は僕で、最近まで童貞だったことを告白した。それからいずれ作家になりたいこと。彼女は仕事が終わると、家族が寝静まったキッチンでお酒を呑みながら、読書している、といい、たまたま持っていた文庫本をふたつ、くれた。きみは、私のしゅおっとになりなさい、と命令口調でいった。私が生活の面倒を見るから、きみは書きなさいと。はなしの流れから、なつかしいはなしもいまのはなしもした。彼女からこぼれたことばに、らしくないですね、といったら、少しだけ彼女は泣いた。だから、髪を撫でた。少しだけ、恐々と。あの頃は触るなんて想像もつかなかった。彼女がトイレに立ち、僕がお会計をしようとすると、店員さんが、すでにいただいております、といった。2人で歩く新宿の繁華街。僕は、どうしたら良いか分からないまま見送り、そのまま家にも帰らず、チェーンの居酒屋さんでひとり呑んで朝を迎えた。

次の日、彼氏に悪いからもう会えません、はじめて敬語でメールがきた。
しばらくまた時間が経って、ようやく電話をかけてみた。一年が過ぎただろうか。
Kさんですか?苗字を丁寧に尋ねた。
いまは結婚してSです。彼女はいった。
それがいまのところ最後の会話だ。

僕はいつでも彼女の前では、少年になってしまう。僕はいつでも彼女の前では、少年に戻る。何もできないままの、何もいえないままの。それが僕の初恋。初恋は僕を少年にもどす。

しばらくして、もう当時の友達とは連絡さえ途絶えた。たくさんの日々をそれぞれに過ごして、いまは語られることもない。

それを、青春と呼ぶのなら。
それを、初恋と呼ぶのなら。
それは確かにあるとき、目の前にあった。
それが僕のはなし。
次はきみのはなしを聞かせてね。
いつか。いつかまた。

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