あなたは今もひとりで戦っていますか?
ある日、差出人の書かれていない手紙が届く。
「あなたとはいつでも歩いていた気がします」で始まる、少しだけお伽話めいたことばが綴られた水色の象のスタンプが押された、かわいらしい便箋と均等に並べられた美しい文字。
「あなたは今もひとりで戦っていますか?」、そんな問い掛けが印象に残る、あの冬の寒空のした、目の前の信号がすべて青で、街灯はオレンジ、それから廃墟のような街に、ひとっこひとりいない夜の道なみを、いつまでたったって冷たい手を握り締めながら、コートのポケットに突っ込んで、星を見上げて歩いていく、そんなたった数ヶ月のお散歩。
彼女に謝辞を捧げられている本は、いまでも本棚に並べている。交わされたたくさんの会話やたくさんのメール、たくさんの約束は、いまはもう沈黙して、僕を訪ねてくることさえ稀だ。一つになれないままの二人がもどかしく、「溶けちゃいそうだね」という呟きさえもどかしく、そして、またひとりで歩くことにしたのは、クリスマスで、それは僕にとっては恋人と過ごした最初のクリスマスであり、それからはクリスマスといえばはじめての恋人と別れた日にもなる。
…あくまでこれは脚色しています。手紙の鉤括弧内だけは角田光代さんの小説を原典にしています。
…では雑記を。
ちょうど、ターニングポイントを迎えている。凄く大切な決断をゆっくりとしていくことになる。
そんななか、久しぶりに会った友達に、「雰囲気が変わったよね」と言われる。彼女もまた美しくなっていた。久しぶりの穏やかなお休みだった。
いま自分の感情がとにかく大きく揺らぐ。
心のなかは嵐とはよく言ったもので、自分のなかで巻き起こる全てを描こうにも、書ききれない。これはきっとずっとそうなんだろうな、とも思う。
それをたったひとことで表せたら、あるいは一つの物語で描くために、僕の人生ってやつはあるのかも知れないし、人生はひとことや一つの物語では描ききれないよな、とも思う。それはどっちであろうと、同じ意味だと。
…ようやく長らく観られなかった大橋トリオのライブDVDを観る。一度、ずっと好きなひとに借りて、観られないままにかえして、それきりになっていたものを、買って、やっぱりずっと観られなかった。ついで、彼女が僕に教えてくれた歌を、iTunesでプレイリストにして聴く。とはいえ、いまはプレイリスト作りをずっとしていて、いまは洋愛さんに教わって大好きになった髭のプレイリストも作っている。僕は(同じステージにたったりしていたにも関わらず)、ハンバートハンバートもさかいゆうも彼女の歌うカラオケで好きになる。それから秦基博やスキマスイッチ。大橋トリオだってそうだ。「HONEY」はある時期、仲間内のアンセムになっていた。
それからようやくひかるくんに、僕を形成したミュージシャンのなかで、毎月2枚のおすすめCDセレクションを送る。少しの紹介文をつけて。その2枚から3枚を考えるだけで楽しい。
久しぶりにbright eyesを聴いている。「first day of my life」という、僕には特別な一曲が入っているアルバム、「I'm wide awake,It's morning」。その「first day of my life」と「HONEY」は僕にとっては同じように響く。でも、bright eyesの歌の揺らぎは、よりいまの僕にはしっくりくる。
僕たちはたくさんの約束を交わし、僕たちはたくさんの約束を破る。そしていつか、そんな約束を交わしたことも、そんな約束を破ったことも、すべて忘れてしまう。一瞬だけ、2人の視線が合った瞬間に、彼女の瞳のなかにある光に魅入られた、そのときの感情だけはそれでも思い出せる。
あどけなさの残る友達と話した。墓場に持って行けるのは、愛だけかも知れないよね。彼女は言う。愛した記憶と愛された記憶だと。僕は言う。愛したって記憶だけだよと。彼女は笑う。そしてまたかかり続けている音楽に耳を傾ける。
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