★映画鑑賞★『PARKS』
ポスターのイメージ覆す度:★★★★★
歌を歌いたくなる度:★★★★☆
武蔵野愛:★★★★★
不思議な体質で、東京23区を離れ武蔵野付近に近づくと、急にまわりの音が遠くなって、時間がゆっくりになり、ふわっと浮いた感じがする。
「武蔵野現象」と呼んでいる。
たまに親戚と武蔵野界隈を歩く時は、
私)「あッ今『武蔵野現象』キテるから、待ってて!」
親戚)「またかよwwww」
みたいな会話が盛んになる。よく考えるととても怪しい。
なぜこのようなことになったかはよく分からないが、何はどうあれ、私は三鷹や吉祥寺がとても好きだ。私の人格形成の場であり、尊敬すべき又吉直樹先生ゆかりの地であり、太宰治が晩年を過ごした地であり、近代文学とは切っても切り離せない場所だからだ。
この真ん中に位置する井之頭恩賜公園を舞台に、公園設立100周年を記念して作られた映画が『PARKS』である。純(橋本愛)、ハル(永野芽郁)、トキオ(染谷将太)の三人が、一曲の音楽をめぐって奏でる物語。
「うおぉぉ…めちゃくちゃ爽やか青春!こんな学生時代を過ごしたかった」と思いながら(&染谷将太を観るため)シネマに走ったわけだが、この物語、実は〈時間と空間〉の関係性に基づいて作られた、SF映画だった。
公園の近くに住む主人公・純のもとに突然現れるハルは、亡くなった父の昔の恋人(女優:石橋静河)を探しているという。その、「昔の恋人」の孫であるトキオのもとを訪れると、彼の家から一本の”オープンリールテープ”が発見される。このテープに収められた「作りかけの一曲」を、現代風にアレンジし、吉祥寺フェスタで発表するというわけだが。なんだか少しおかしい場面がチラホラ。
映画の中で、ハルの亡くなった父親が若かった昭和時代のシーンと、現代のシーンが何度も交互に映される。しかし、両方のシーンにハルちゃんは現れる。どうやらハルちゃんは、時間を行き来できる存在のようだ。
※ネタバレしたくないので感想だけ書きます。
結局のところ、ハルが何者かは分からずじまいである。しかし、オープンリールから発見された音楽は、確実に、ハルの亡くなった父やその恋人の赤い糸だったわけであり、一方で、純とハルとトキオの友情を結んだ。そういった意味で、ひとつの音楽は時を超えている=時間ってあまり「絶対的」ではない!決して流れているだけではない!
ここで私はめちゃくちゃ「相対性理論」を勉強した。アインシュタインも、令和を生きる女が自分の主張を勉強しているとは思ってもないだろう。
勉強したわりには説明できないが、
光の速さが一定であることを前提にすると、〈地上〉と、〈爆裂に早く進む機械の中〉では、時間の進みに差が生まれるのだという。「地上では100年が、宇宙では1分」的な。だから時間なんてあてにならないとな。
アインシュタインは、相対性理論を「好きな人といる時間は一瞬。そういうこと。」みたいに、どちゃクソかっこいいこと言ってくれているようだが、とどのつまりは、そういうことなのかもしれない。
あとは「スポットライト理論」というのも勉強した。時間は〈過去〉〈現在〉〈未来〉を流れているのではなく、同一空間内でそれぞれが存在しており、「今」はスポットライトを当てられているだけに過ぎないとな。
…
難しいが、ハルは「過去に残したものが今になり、今残したものが未来を作る」ということを教えてくれる存在のように思う。そして、いろいろな時間にスポットライトを当てることができる女の子なんだろう。
もう会えないあの人が、残してくれたものがあるから「今」がある。
決して会えない人のために残せる「未来」がある。時間なんかに負けない、人の想いよ。
映画のラストシーンでは、オープンリールに残された曲が完成し、井之頭公園でみんなで麗らかに歌う。歌詞の途中には「♩春から順に時を経て~」とあるが、「ハルから純にトキオ」なんだろう。粋な歌詞だ…★
「このメロディが 過去も未来も超えて 君に口ずさんで欲しい」という歌詞は、まさにこの映画のエッセンスを詰めた言葉だ。
なお、この映画を紐解くためには、主題歌も忘れてはいけない。
相対性理論の『弁天様はスピリチュア』である。もう、そのままである。
井之頭公園には「弁天橋」があり、どうやらそこを通じて、ハルは時間の行き来をしているらしい。これで、映画の話の筋は通る。やくしまるえつこの軽やかでいて、執着にも近い信念のある声は、吉祥寺の街にぴったりだと個人的に思う。
私の「武蔵野現象」も、一種の時間のループ現象だと思えてきた。
橋本愛ちゃんと永野芽郁ちゃんの可愛さや、ファッションも素敵な映画です。染谷将太の少年っぽさも面白いです。若い時代の陰鬱さと、それと共生してくれる吉祥寺のキラキラした自然の描写もすごく美しく、親しみやすい映画です。