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パラレルワールドがあったなら、わたしはコムアイだったのに

水曜日のカンパネラというユニットがいる。

「どんな人たち?」と思った人は、下のMVを見て欲しい。

東京 渋谷区 終電間際の攻防せめぎ合い
坂道上って 向かうは円山 駅から徒歩10分
カルチャービレッジ 本当は色欲 ムラムラ文化村
開けたら遊郭 花街 ようこそ 夜の動物園

韻を踏むラップ…?

ノートルダム 飛び石連休
モンマルトル パーティー三昧
マルセイユで暴飲暴食
シャンゼリゼで衝動買い

「マリー・アントワネット」「千利休」「小野妹子」など、曲のタイトルは歴史上の人物が多く、ウィットに富んでいる。歴史の勉強…?

どうやら作詞担当のケンモチヒデフミは、特に意味を持たせているわけではなさそうだが、こんなにも音楽が言葉と融合されて、遊びへとステップしている瞬間には、快感すら覚える。

でも、結局。この人たちほど説明するのが難儀な人はおらず、特に"主演"として歌うサムネイルの女にコムアイに至っては尚更。

私がこのユニットのファンになったのは5年前。鮮烈な歌詞と笑っちゃうほど心地良いリズム感に負けてしまい、真夜中の渋谷までCDを買いに行った。でもそれだけが理由ではなかった。コムアイの様相、言動、何もかもすべてに嫉妬してしまっていたのだ。

🍑

コムアイは形容しがたい。まろやかに「奇抜」で、「破天荒」よりかはかなり平和的。でも、誰にも真似できない”拘束感のなさ”がある。とらえどころがない。そして自由。

ライブで鹿の解体ショーを行ったり、心に余裕のある時は何人とも「いちゃいちゃ」する。外国人の恋人と別れたら突然インドへ失恋旅行へ赴く。アイヌの地では民謡を高らかに歌う。地雷除去活動やLGBTQなどの問題にも真摯に取り組んでいる。最も驚いたのは、夜中のコンビニでパパラッチに遭遇したとき、そのまま記者カメラマンに中華を奢ってもらっていたことだ。その翌日に確かこんなTweetをしていた。(おぼろげだけど)

フカヒレのおかげで、
明日のMステはお肌ツルツル。

一通りの記憶を搾って出てくるエピソードからも、コムアイの人となりはなんとなく伝わると思う。

🐍

初めてコムアイを見た時、私のなかの”コムアイ”が疼いたのを鮮明に覚えている。

誰に何を言われても我が道を行き、堂々と意見を言う。好きな服や時間、人、場所に躊躇なく近づき、自分のものにする。

「本当の私はこうだった」そんな気持ちがふつふつと湧いて、見えない何かに雁字搦めになっている自分をすごく苦しく思い、透け透けの下着姿でLIVEをするコムアイを羨ましく思った。

私も昔はもっと鷹揚で、いつも笑ってた。
でも、いつの間にかそんなことができなくなってしまった。

もし、パラレルワールドがあれば私はコムアイだったのに。

🦩

5年前、初めてコムアイの写真を何枚か見た時、彼女はだいたい夜の東京にいた。共通点はそこだけ。当時の私も夜の東京にいた。特に何をするわけでもないけれど、夜の都内をうろうろと歩いては、何かしらの「答え」を探していたように思う。夜遅い渋谷で水曜日のカンパネラのCDを購入したのもその折だった。コムアイは、夜の東京をぎゅっと凝縮したみたいだなと思いながら、車の光で目がくらむ明治通りを歩いたことを覚えている。

自由で、おしゃれで、覚束ない危うさ。
自分もなんのためらいもなく身を委ねられたら、と思ったけれど、やっぱりそうはなれなかった。

🦅

ある日。ひょんな拍子に、決定的に「コムアイになれない」と思わされたことがあった。

彼女は高校生の時に、母親を亡くしている。それに関するインタビュー記事のような文章を読んだ。「悲しむ」よりは「受容」に近い、コムアイらしい地に足の着いた死生観。神妙な面持ちになる。身内の死すらも、自由に受け入れる強さは頼もしかった。

でも、問題は次。

残された父親の「新しい恋愛」を応援しているというのだ。

父親本人の人生だから、仕方ないでしょうね

こんなことばを添えていた。

子どもが経験しなくて良いこと。親の恋愛を目の当たりにすること。(百を承知で)どんな背景があっても、ちょっと受け入れ難い。夜の東京を生きる以外、私はこの点においても、実はコムアイと同じだった。

でも、コムアイは親の自由を尊重した。

それはコムアイ自身が自由だからだろうか。恋愛が好きだからだろうか。どうか、私のように傷ついていて欲しくないと思ったけれど、コムアイはきっと、じとじとと泣くような私を朗らかに叱るんだろう、と思った。

彼女はきっとはじめから自由な人間ではない。
きっと誰よりも模索した結果、達観しているのだ。

「あぁ、あなたには敵わない」と、パラレルワールドを諦めた瞬間だった。

🦤

最近「東京は不自然」と話すコムアイのインタビューを読んだ。彼女にしか着られない類のセーターを纏っていて、安心した。彼女もあまり都内に繰り出していなさそうだ。私も、東京の夜を歩かなくても生きられるようになった。

「嫉妬をしている」段階は「そのようになれる可能性」を信じている最中なのだと今なら分かる。それは貪欲で、苦しくて、卑しくもあるが、すごく尊い気持ちだ。

かく言う私は、コムアイから降りて別ルートで生きることを選んだ。彼女の達観に、到底追いつけないと分かったからだ。

でもたまに挫けそうな時「コムアイだったらこうするんだろうな」と勝手に自分をコムアイ化している。


まだ、私の中には"コムアイ"が住んでいるから。

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