僕の好きな女の子─「好き」と言えないあなたに贈る映画─
好きな人に「好き」と言えずにもどかしい思いをしたことはありますか?
振り向きもされず、絶対実らないと分かった時の「あぁやっぱり…そうだよね」という絶望は、とても静かで、笑ってしまうほどの切なさです。私はそんな感じでした。
なぜ好きと言えないかって?
勝算がない。自信がない。そして、言ってしまったら、友達としてももう会えなくなってしまうかもしれないから。
だから、友達のまま、好きな人の光を見つめるだけなんです。
そういう思いをしている人に、今、この瞬間、観てもらいたい映画が『僕の好きな女の子』です。
加藤(渡辺大知)は、美帆(奈緒)へ好意を寄せています。でも二人はずっと友達。
天真爛漫でちょっとあざとくて。そんな美帆に翻弄される加藤。「エルボーやキックではなく触れてみたい」と切実に願う加藤の恋心はとうとう叶うことはありません。美帆は「恋人ができたんだ!」と、まさかの新しい彼氏を加藤に会わせます。
加藤の煮えきらなさが、ひたすらにきもくて(絶賛の言葉です)、苦しくて、美しいお話です。
この映画は、2017年発行の『別冊カドカワ』にて又吉直樹さんが書き下ろしたエッセイが原作です。又吉さんにこういうのを書かせるとピカイチです。
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「自分には叶う資格がない」
他の人にとっては普通にできそうなことが、自分にとってはどんなに頑張っても叶わない、みたいなことはないでしょうか。恋に限らず、です。
三年前、『別冊カドカワ』を開いた時に、そんなテーマがエッセイを貫いていたので、それはそれは切なくなりました。
屈託なく笑う可愛い女の子を見たとき。
起業に成功している同年代を見たとき。
家族と当たり前に仲良くしている人を見たとき。
どこで道を違えたのか、自分は「欄外の人」だと思うことがあります。一般に迎合できない落胆。又吉さんの作品の切なさの真髄はここにあります。『僕の好きな女の子』も、そのひとつです。
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映画の中でもうまく表現されていますが、エッセイの中で一番好きな一節があります。
その絶望は僕にとても似合っている。
服でも、色でも、笑顔でもなく、絶望。それが"似合う"ことなんてあるでしょうか。
運動会でみんなが走る50m走を普通に走れなかったり、初めての宿泊授業でおねしょしてしまったり。そんな些細な「人と違う感覚」は「自信のなさ」として大人になっても続きます。ズレてしまったことは、あまり取り返しがつかないから、生きることはしんどいのかもしれません。
でも、私がこの言葉に救われたのは紛れもない事実です。そのズレの狭間から「私らしさ」を見つけられたから。
又吉さんには、読者にそう思わせる才能があるなぁと思います。
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これ以上、胸が痛まないように
さて、映画の話に戻ります。「好き」と言えなかった加藤は、美帆と彼氏を笑わせる役に徹します。自分のことを抑えて、誰かの幸せを祈る。その彼を「いい人過ぎる」と叱らないであげてほしいです。それは、本人が痛いほどに分かっているはずだから。
原作は加藤のもどかしさの話で終わりますが、映画は少し違う幕の閉じ方をします。
全部は書けませんが、加藤は美帆に「好き」とは結局言えなかったようです。それが分かる理由は、加藤らしい幸せを噛み締めている数年後の未来がチラッと映されるから。
そんな数年後の加藤が少しだけ、切なかった過去を思い出すシーンが挟まれていて、そこに流れるのが前野健太の『友達じゃがまんできない』です。この映画のために生まれた曲と思うほど。
(冒頭の二節でぷぷっと思いますが、三節目にはっとさせられる歌詞が刺さります。"好き"って何でしょうか?)
叶う人生も素晴らしいです。
でも、叶わないことにも美しさは隠れています。
どうかその美しさを愛でてください、と祈るような映画でした。「生きている限り、バッドエンドはない」がいろんなところに散りばめられていました。
それはきっとあなたの人生にも、散りばめられています。
✱ふんわりして優しい映画でした。
こじらせ役に渡辺大知さんはぴったりです。奈緒さんもとてつもなく可愛いです🌷
又吉さんの大ファンなので正直心配でした。たった2ページのエッセイをどうやって90分にするのか?と。でも期待を遥かに越えました。
"枠からはみ出た人"を描くのが本当に上手い又吉さん。又吉さんが見つめる世界は少し苦くて、でも途方もなく優しいんだろうなと、涙が出てきます。
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