おもろうて、やがて怖いピカソ
アート歩きの初回は、2020年2月にロンドンのロイヤルアカデミーで開催中の「Picasso and Paper」展を観に行った時のことを書こう。まだこの頃は美術館に出かけて生のアートを見ることができたんだなぁ。なんだか遠い昔のことのような気がしてしまう。
さて、展覧会の広報ビジュアルには、ピカソが紙で作ったユーモラスな切り絵やコラージュが使われていた。そんなイカした作品の数々を観て楽しく週末の夕べを過ごせるといいな、と思ったたのだった。
こういう奴ね。素敵じゃないですか。これピカソの8歳の時の切り絵だそうです。恐ろしい子!↓
確かに、こういうのも展示されてはいた。
ところが。
やはりピカソを「楽しく」なんて見ることは不可能なのだった。
展覧会の内容は、ものすごいボリューム、そしてヘヴィーな内容であったのだ。
まずは、展示数が半端なかった。そして、コラージュや紙工作だけではなかった。油絵、彫刻、映像も含めた300点もの展示である。これは、ちょっとピカソを観に、とかではなく、心して観に行かねばならない展覧会だったのだ。
ピカソの作品は、それでなくとも恐ろしい。何が恐ろしいって、とてもnoteの1ページには書き尽くせないのだけれど、今回改めて思ったのは、その「爆発が永久に続いているような」創作エネルギーである。
1940年ナチス・ドイツ占領下のパリで、物資不足をものともせず、ピカソは身近な紙素材を使って着々と作り続けていた。写真は、ナプキンや包装紙などをフリーハンドで切って作った烏や果物、フワッとした顔など。こうした切り抜き作品の数々が、ガラスに挟んで展示されていた。
パッと見、一点一点の作品は、可愛らしく微笑ましい感じも受ける。でも、やはり、作品の量が半端ない。世界の全てを飲み込み、噛み砕いて自らの創作世界に取り込もうとするブラックホールのような引力を感じる。
そして、ピカソが好んで描く題材の恐ろしさよ。今回も多数展示されていたミノタウロス(牛頭人身の怪物)をテーマにした作品群は、正視できないほど怖かった。ピカソ、嬉々として暴力と悪を描く、の巻である。女性に対する性的な支配欲があまりにも直裁的に描かれていてキビシイ。(これはその中でも、比較的ソフトな作品)
ピカソとミノタウロスについて、wikipediaにちょうどこんな解説がありました。「男をなぶり殺し、女を陵辱し快楽の限りを貪るこの怪物に、ピカソは共犯者意識を持ちつつも、倒されねばならぬ絶対悪の役割を与えた。自分のたどった全ての道を集約するなら、それはミーノータウロスにつながるとの趣旨の言葉すら残している(『ピカソ 愛と苦悩-「ゲルニカ」への道』展図録 朝日新聞社・刊)」ああ、ピカソ自身重々わかってやってんですよね。
そして、イギリスでは初公開という巨大なコラージュ作品 Femmes à leur toilette。
この巨大なコラージュ壁画には、三人の女性が描かれているが、これは同時期にピカソと関係のあった女性たち(オルガ・コクローヴァ、ドラ・マール、マリ・テレーズ)とされている。愛憎の渦中にあったはずの女性たちを、コレクターのように三人並べてモチーフにし、オシャレな壁紙を使って楽しげな雰囲気のコラージュ作品を作るというスタンスが凄い。
恋愛のパートナーとしては普通に最悪だと思ったが、20世紀の美の巨人は、そんな庶民的な価値観を超えた世界に生きて絵を描き、それを後世の私たちが美術館で拝んでいる。虚しい。
さらに、ピカソが油性ペンで即興的に絵を描く様子を撮影した映画も上映されていた。
ピカソが描線を描く様子には、全く迷いが無い。そして、最初からの構想なのか、途中で構想を変えたのかはわからないが、かなり描きこんだものを突然黒々と塗りつぶしたりする。
疲れたんじゃないかとピカソを気づかう映画監督に、「大丈夫だ、一晩中だって描ける」とうそぶくピカソ。その目の圧力が半端なかった。
観終わって帰る頃には、私はもう完全に消耗してグッタリしていた。
ピカソは、決して軽い気持ちで観てはいけない画家なのだった。
--- Picasso and Paper, Royal Academy of Arts(25January ~ 13 April)
★現在ロイヤルアカデミーは閉館中で、この展覧会の再開時期は不明ですが、公式サイトでヴァーチャルツアーを見ることができます。そして、ヴァーチャルでも十分、怖さは伝わってきます(笑)
🎵最後まで読んでくださってありがとうございます。今後もいろいろ書いていきますので、よろしければまたどうぞ。
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